第41話 宣戦布告?


 とかく学校という集団は、個人の領分というか、プライバシーというものをこれでもかと侵害してくるものだと嘆息する。


 学校に着き教室に向かっていると、普段よりも一層ざわめく生徒たちとすれ違う。その喧騒は俺と七海のクラスに向かうにつれて大きくなっているようで、


「おーい! 真尋ぉ! あ、芹澤さんもおはよぉ!」


 喧噪の中心たる掲示板の前では、祐二が大きく手を振っていた。

 いったい何があったのか。不思議に思いながら近づくと、ぴっかりと笑顔を輝かせる祐二に脇腹をごつんと突かれた。


「お前―っ! いつの間にこんな成績よくなったんだよ!? 学年二位とかヤバくねーっ!?」


 指差された方を見ると、先月行われた学年統一テストの順位表が張り出されていた。ぴこぴこと揺れる祐二のヴィジュアル系リスペクトな黒いネイルが、


『二位 茅ヶ崎真尋 総合468点』


 という文字を示す。

 確かに前回のテストはよくできた方だと思っていたが、まさかここまで上位に食い込むとは思っていなかった。それと同時に、自分の名前と点数が衆目の目に晒されることにどこか恥ずかしさを覚える。

 良い成績なのだから胸を張ればいいと頭ではわかっているのだが、それでドヤ顔するようなキャラでもないし柄でもないし、そもそも俺が統一テストで良い点を取れたのは、七海が転校してくる前の試験範囲の総復習を(七海専用・ヒロくんお手製ドリルを作成し、)一緒にやっていて、たまたまそこが多く出題されただけなのだ。かといって、そんな謙遜じみた言い訳をするのもかえって嫌味になるだろう。


 どういう反応をすればいいかわからずまごついていると、隣で七海が嬉しそうな声をあげた。


「ヒロく――真尋くん、すごーいっ!」


 屈託のない笑みに、思わず口元が綻ぶ。それはまるで、ひねくれているせいで素直に喜びを表せない俺の分まで、七海が喜んでくれているように思えた。


(ああ、これだから七海ちゃんは……)


 好き。超好き。究極に大好き。

 できることなら今すぐにでも抱き締めて、頭をなでなでしまくりたい。


 しかし今は学校だ。俺はもぞもぞとする指先を隠すように制服のポケットに手を突っ込んだ。


「順位表にのるだけでも凄いのに、五本、いや、二本指にはいっちゃうなんて! 雲の上の人だよぉ! 変な口きけないよぉ!」


 興奮気味にそう口にする七海。俺はというと、七海に口をきいてもらえないくらいなら、その雲の上から落っこちて地面に激突して死にたい。


 朝から脳内テンションを乱高下させていると、ぽすぽすと肩を叩かれた。さらりとした黒髪を揺らす、クールな眼差しが特徴的な和顔美人、加賀谷撫子だ。


「茅ヶ崎くん」


 普段めったに会話することのない人物。加賀谷が茶道部所属ということで、文化祭の喫茶を運営する際に何度か話したことはあるが、それ以外ではこれといった接点もない。わざわざ呼び止められるなんて何事か。

 しかも、その淡々とした口調はどこか怒ってすらいるように思える。


「見たわよ、順位表」


 それは俺も見た。


 だが、知的で奥底に深い青を湛えた瞳が俺の言葉と呼吸を封じる。

 有無を言わさぬ雰囲気。

 ただ目をぱちくりとさせていると、加賀谷は肩に置いた手に力を込めて一言呟く。


「私と天上院くんの間に割って入るなんて……いい度胸ね……」


 そして、ふいっと下を向いて去っていってしまった。

 廊下にきらりと零れた粒は涙だろうか?


(あいつ、泣いて……?)


 どうしてそんなことになっているのかはわからないが、要は負けて悔しいということなのだろうか。再び順位表で確認すると、加賀谷は総合三位。ちなみに、加賀谷が口にした天上院というのは、入学時より不動の一位に君臨し続ける秀才、天上院翔てんじょういんかけるのことだ。

 クラスは違うが、その噂は聞いている。


 天上院翔――分厚い瓶底メガネと長すぎる前髪が印象的な、(俺が言うのも失礼極まりないが)究極の陰キャだ。

 勉強にしか興味がないのか、昼休みだろうとグループ学習だろうと誰とも群れず、ひとり自席で参考書を片手に弁当を食べているような、孤高のぼっち。

 あまりにグループ学習で余りすぎるので見かねた先生がクラスの委員長らに「仲良くしてあげてね」と頼むも、差し伸べられた手に「ぼくはひとりで結構です」と言い放ったと聞いたときは、一周回ってすげぇと思ったものだ。


 ともするとイジメの標的になりそうなぼっち陰キャだが、彼ほどとなると話しは別で。その、敢えてひとりでいる勇気とマイペースさに誰もが一目を置き、不動の一位として君臨し続ける様が有無を言わさぬ尊敬の念を抱かせる、不思議な生徒だった。 

誰とも言葉を交わさずに、自分の世界にだけ生き続ける、まさに真性の雲の上の者。


 その雲の上の仙人が、俺の目の前にやってきた。

 モーゼが海を割るように、廊下に群れる生徒たちを割ってやってきた!


 順位表を一瞥した天上院は、少し上にある俺の顔を見上げると、一言――


「次のライバルは、キミか」


 と呟く。

 そこで初めて、俺は今まで不動の二位だったのが加賀谷だという事実を知った。

 だが、天上院はまるで「三位以下には興味がない」とでも言わんばかりにその台詞を吐いたのだ。


 加賀谷の涙のわけ。それは――


(ひょっとして、もう天上院に相手にされないのが寂しかった、とか……?)


 いやいや、まさかな。


 だってあの天上院だぞ? 

 誰とも群れずに、友達もゼロ、まして彼女なんているわけのない天上院を、黒髪美人スキーに絶大な人気を誇る加賀谷が――


 俺がそんな、成績とは全く関係のないことで思考を巡らせているとは露知らず、天上院は隣にいた七海に視線を向ける。


「ん?」

「ふぇ??」


 きょとんとした七海と数秒見つめ合い、俺と七海の間で視線を交互させたかと思うと、


「ふっ、リア充か。負ける気がしないな」


 と。鼻で嗤って、去っていった。


 その小ばかにしたような不敵な笑みがムカつく!

 なにより、七海のハイパープリティフェイスと数秒見つめ合った後に少しも赤面せずににやりと口元を歪めたあの仕草が超ムカつく!! 


 男なら! そこは! あまりの可愛さに赤面してわたわたして手に汗かいて逃げ去るのが正解なんだよ!!


「おい、天上院!!」


 七海に対するどこか失礼な振る舞いに苛立たしさを隠せなくなった俺は、廊下を歩く天上院を引き止め、肩を掴んでこちらを振り向かせる。


「ひとの彼女と見つめ合っておいて『可愛い』の一言もなしとはいい度胸だなぁ!?」


「!?!? ヒロくっ――!?!?」


(((えっ。そこ……?)))


 天上院からの宣戦布告に対し何かしら反論するかと思っていた周囲の生徒たちは動揺を隠しきれない。


 文化祭で交際が発覚して以来、俺と七海が付き合っていることは多くの者が知っていた。だから、俺が七海を彼女呼ばわりすることはなんの不思議もないのだが、ここまで溺愛しているのは知らなかったようだ。


 まさか、見つめ合ったことに嫉妬するとかそういうのを通り越して、『可愛い』の一言がないことに怒るとは。


「なんとか言え、天上院!」


 廊下があらゆる意味で静寂に包まれる。


 それって強要するもんじゃなくね? 

 かわいいの基準はひとそれぞれ……


 んなことわかってんだよ! 


 でも、七海を形容するのに可愛い以外の言葉があるっていうなら聞かせてもらおうか!? 良ければ次から採用するからさぁ!!


一方で七海はというと、真っ赤なった顔を両手で覆っていた。


「も、もういいよぉ、ヒロくん、恥ずかしいよぉ……」


「恥ずかしいわけあるか! 七海のことを可愛いと思わない奴なんてこの世にひとりもいないんだからな!!」


「そうだそうだ! もっと言ってやれ、真尋ぉ! 芹澤さん、世界一かわいいぞー、っと!」


 祐二のヤジに、周囲もやいのやいのと騒ぎ出す。


「ふぇぇ……やめてぇ……!」


 恥ずかしさのあまり爆発しそうな七海をよそに、俺は天上院のメガネに手をかけた。誰も見たことのないというその素顔に、周囲の生徒がざわめきだす。


「その分厚いレンズの下で、本当は赤面しているんじゃないか!? ひとのことを馬鹿にして、俺に宣戦布告するつもりなら、せめてその顔みせてみろ!」


 普段ならこんな乱暴な真似はしない。しかし、今朝の俺は色々な要因が相まって頭に血がのぼってしまったようだ。


 俺や七海に対するいけ好かない態度もそうだが、多分、加賀谷はこいつのことが――


 なのに、あの、まるで眼中に無いといった冷たい態度。

 もし自分がやられたらどれだけ悲しい気持ちになるのかわからないのだろうか。

 人の好意には、せめて誠意をもって向き合え。いや、せめて、泣きながらすれ違った加賀谷に視線を向けるくらいしてもよかったんじゃないか?


 思わずメガネをパッと取ると、廊下が先程の三倍以上に騒ぎ出した。


 さっきまでの俺や七海に対する「ひゅうひゅう!」といった冷やかしも、大津波に呑まれたかのように一瞬で消え去っていく。


(な、なんだ、こいつ……!)


 加賀谷は、知っていたのかもしれない。天上院は、実は――


(超、美少年……!?)


 だった、のだ。


 そしてこのとき、俺は知らなかった。

 学校内のスクールカーストが、少しずつ動き始めているということに。

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