第40話 幼馴染と同じ大学に行きたい


 冬はいい。


 隣を歩く彼女との距離が、自然と近くなるからだ。


 常日頃から手を繋ぐのは当たり前のようにしているが、冬に感じる人肌のあたたかさはこれまた格別なものだった。


 はぁ、と白い息を吐きながら、七海がこちらを見上げる。


「ねぇ、ヒロくん」


「なに?」


「私、勉強がんばるって言ったじゃない?」


「うん」


「あのさ、思ったんだけどさぁ。冬の学校ってテストばっかりじゃない? 学校行事もなーんも無いし、二月には大きな模擬試験もあるし」


「まぁ、三年生は大学入試のセンター試験で忙しいし、先生たちはその対応に追われてる。この時期に行事っていっても無理があるからなぁ」


「みんなでスキーとか行かないの?」


「私立ならそういうウィンターキャンプ的なのがあるところもあるかもしれないけど、少なくともウチには無いね」


 淡々と述べると、七海はお気に入りのマフラーの下でむぅっと頬を膨らませる。


(ああ、たまには息抜きしたいんだろうなぁ…………かわいっ)


 七海がそういう顔をするだけで、俺にはウィンターキャンプなんて要らないね。


 拗ねてても可愛い幼馴染=なにしても可愛い=最高。


 俺は、思わずこぼれそうになるため息をマフラーの下で我慢する。


 ふたりしてクリスマスにプレゼントしあったマフラーは、お互い気に入りすぎて毎日のようにつけていた。柄がほんのり似ているせいか、どこからどう見てもシミラールックのラブラブ高校生にしか見えない。

 昔はそういうお揃いコーデで街を出歩くカップルを「見せつけやがって」と妬ましく眺めていたが、いざ自分でやってみるとまぁ――

 体感で親密度が三割り増しになった気がするんだ、棚上げしたくもなるよなぁ。


(ふふふ……)


 今日も今日とて、俺の幼馴染はハイパー可愛いぜ。


 圧倒的超越感と優越感に満たされながら学校への道を歩いていると、七海が不意に指先を引く。


「ねぇねぇ、ヒロくん?」


「なに?」


「来月の模擬試験ってさ、志望校とその判定がでるやつなんだよね?」


「そうだね。今は散々な判定結果しか出ないだろうけど、高二の時点で腕試しして、高三から本格的にスタートする勉強の目安にするのが目的なんだって。一応、希望者のみの受験ってことになってるけど、基本的にウチの学校は全員受ける感じだよ」


「じゃあ、ヒロくんも受けるんだよね?」


「一応ね」


 そう言うと、七海はちょっと躊躇うように下を向いてから、尋ねる。


「ヒロくんの志望校ってさ、私立のK大? 琴葉お姉ちゃんと同じ……」


「うん、そのつもり。家から近いし、ネームバリューだけなら就活に結構有利とか聞くし、途中から通うキャンパスが都内になるのも新鮮で楽しそうだよね。学費の面を考えると本当は国立がいいんだろうけど、国立でかなり良いとこってなると、ほら……」


「T大?」


「まず無理でしょ」


「え~? ヒロくんなら、頑張ればできなくも……」


 七海にそう思われているなら嬉しいことだが、俺が今からT大を目指すとなると、これからの生活は全て勉強に注がねばならないだろう。正直、それは嫌だ。


 ありがたいことにウチの両親は「私立でもいいよ」と言ってくれているし、なにより姉がK大に通っている。なのに弟にダメとは言えないだろう。それに、いくら引き籠り気味といえど、姉の大学生活はそれなりに充実しているように見えるし、講義だって(リモートで受けているのを覗き見たら)楽しそうだった。扱う内容がエヴァンギョリオンと宗教学、とか。聞いただけでわくわくする。

 あと、(俺には七海ちゃんがいるので)これは完全に蛇足だが、キャンパスを歩っている女子が軒並み可愛いらしい。と、姉が豪語している。


 それになによりも。両親は「一度しかない青春を楽しみなさい」「そして願わくば七海ちゃんをお嫁にしなさい」というのが持論だ。


 だとすれば、俺の目標はあと少しの努力でそこそこいい大学に入り、残った時間の全てを費やして同じ大学に七海を入れること。これに尽きる。


「七海ちゃん、K大なら受ける学部によっては数学と理科は勉強しなくてもいいんだ」


「え? それって――」


「一緒にK大学、目指さない?」


 その問いに、七海は、


「むっ、無理むり無理だよぉっ……!?!?」


 両手を振って全面否定した。俺はぶんぶんと眼前で振り回されるその手を掴む。


「大丈夫! K大の入試なら姉ちゃんが経験済だし、人気なところだから対策講座とか沢山あるし、それに何より、あと一年あるんだぞ!? やってやれないことはない! 偏差値なんて、その気になれば一か月で十あがるし!」


 事実、俺は七海に「勉強おしえて?」と言われてからどんな質問にでも答えられるよう必死に勉強し、その結果、偏差値が十あがったのだ。


 人に勉強を教えるということは、自分に理解できることは勿論、それがわからない人でもわかるように説明するために原理や解き方をかみ砕く必要がある。直感的にどの数式を使えばいいかわかるとか、単語や歴史を全部覚えれば楽勝なんて、そういうことではダメなのだ。

 そのため、俺は全ての教科をもう一度基礎から見直し、単に覚えるだけだった歴史は時代の流れを体系づけて考えるようにしたし、英作文を作るのには難しい単語をより多く覚えるのではなく、手持ちの単語をいかに組み合わせれば目的となる作文ができあがるかを考えるようにした。

 まぁ、アメリカの帰国子女である七海ちゃんに英語を教える必要は万にひとつもないわけだけど。それでも俺は好きな子の前で格好つけたい一心でやり遂げたのだ。

 こういうとき、秘められたる男子のパワーはすげぇって思う。だって、七海に「ヒロくん、すごーい!」って褒められると、前日の睡眠時間4時間でも疲れが吹き飛ぶわけだから。


 そんなこんなで、一緒に受験する覚悟も気力も十分だ。

 俺は、「むりむり」言いながら後ずさる七海の手を引いて、いつものように学校を目指した。


「ダメもとでもいい。二月の模擬試験、一緒にK大の判定を受けよう! 志望校の調査と記入、たしか今日だったよな?」


「えっ、えっ……?」


「あと一か月で、俺が死ぬほど鍛えるから!」


「死にたくないよぉ!?」


「今からそんな弱腰じゃあ、一緒の大学行けないよ!?」


「そ、それはヤダぁ!! 死ぬよりヤだぁ!」


「じゃあがんばろう!」


 その言葉に、心の奥で嘆息する。


 『がんばろう』なんて、いままでの自分からすれば大嫌いな言葉だった。

 勝てる見込みもないのに根拠もなく『がんばろう』とか、みんながんばってるから『がんばろう』とか、既に十分すぎるくらいに頑張っている人に向かって『がんばろう』とか……

 でも、この人となら前に向かっていきたい、隣を走りたい、一緒に走って欲しい、というのを一言で表すと、もうそれ以外に思い浮かぶ言葉がなかった。


 隣で「ひえぇ」と悲鳴を漏らす七海。しかし、俺が強く手を引くと、前を向いて、


「も~う! がんばるよぉ!! だってヒロくんと同じがいいもん! 同じじゃないとダメなんだもん~!」


 と。幼い頃にハンカチの色を選んだときのようなダダをこね、駅に向かって走り出すのだった。

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