第35話 登校


 朝。彼女はいつものように変わらない笑顔で声をかけてきた。


「ヒ~ロ~くん!がっこ行こ~!」


「ちょっと待って、すぐ出るから!」


 俺もいつもと変わらず鞄を手に玄関を出る。


「おはよ! 今日は文化祭二日目だね!今日こそオーダーで緊張しないように頑張らなきゃ……!」


 そう意気込む七海はきゅっと手を握って問いかけてくる。


「応援……してくれる?」


「ああ、もちろん」


「えへへ。ありがとう、ヒロくん?」


 安心したようにニコっとする笑顔が今日も眩しい。

 だが、七海は何を思ったか不意に歩くスピードを緩めた。


「あ、そうだ。『ありがとう』といえば……」


「?」


「昨日は、ありがとね?」


 頬を染めて上目がちに言われば、イヤでも『昨日』の光景が脳裏に浮かんでしまう。


 上気した頬に、汗ばんだ肌。もはや原型があやふやなほどにはだけきったバニーの衣装に身を包む七海の、蕩けるような表情と潤んだ瞳。そして、耳の奥に直接響く甘い声――


 ――『ヒロくん、きもちぃぃ……』


「……!!」


 フラッシュバックした光景に思わず肩を跳ねさせると、七海は恥ずかしそうにくすりと笑った。


「ええと……昨日はワガママ言っちゃったし。それに、その……とっても、良かったから……ありがとうって、言いたくて……」


 照れ照れと俯くその愛らしさと昨日とのギャップに、朝から悶えて呼吸が苦しい。


「七海ちゃん、ちょっと……朝から煽らないでよ……」


「え?」


「これから学校なのに、行けなくなるじゃん……」


「えっ、えっ? 私、煽ってなんかないよぉ……?」


「……知ってる」


 七海は、コレが素なんだって。


「ふえぇ? ヒロくん意味わからな――」


 動揺してきょときょとと慌てる七海。俺は周囲に人がいないのを確認してぎゅっと抱き寄せた。


「……!? ひ、ひろくん……?」


 胸元でもごもごする七海の耳元に、ため息交じりに顔を近づける。


「はぁ……好き……」


「……!!」


「俺は、七海ちゃん以外の誰のものにもならないから。安心して」


「ヒロくん……」


「ほら。わかったら学校、行こう? 今日こそそんなこと気にせず、目一杯文化祭を楽しまなきゃ」


「そ、そんなことって……! 私にとっては重要なのに~!」


 パッと離した腕の中から不満げな声が上がる。

 だが。


(俺にとっては、『そんなこと』だよ……)


 だって、七海以外のことなんて、今も昔も考えられた試しが無いんだから。


「わかってないなぁ、七海ちゃん」


 照れを隠すようにくすりと笑うと、七海はむすーっとしながらも、握った手はぎゅうっと離さないのであった。


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