第34話 独占バニー


 文化祭の一日目をそれなりに楽しく終えた俺達は、教室に戻って喫茶の撤収作業をし、帰宅することになった。

 いくら喫茶がシフト制とはいえ、最後の店番の人に撤収と翌日分の仕込みなど、全てを任せるのではあまりに不公平。そういうわけで、放課後はシフトや担当の有無に関わらず全員でやるのが全日程を通しての決まり事になっている。


 もうすっかり暗くなってしまった帰り道をふたりして歩いていると、不意に七海が指先を絡ませてきた。


「ねぇヒロくん? 今日ってさ、このあと……時間ある?」


「空いてるといえば空いてるけど……今日……って、もう七時近いじゃないか。外も真っ暗だし、ご両親帰ってくる時間じゃないのか?」


「今日はね、ふたりとも七時から会議なんだって」


「うわ、定時大分過ぎてから会議とか、大丈夫なの? それ、ご両親の会社って……もしかしてブラック?」


「違う違う! いつもはそんなこと全然ないの! でも、今回はお客さんの都合に合わせて仕方なくらしくって。そのあと食事にも行くかもしれないんだって」


「ああ、接待ってやつか」


「みたいな感じ? だから、帰りが遅くなるらしいんだけど……ヒロくん、ウチ来ない?」


 そわそわとした七海の視線。普段から放課後は七海の家に入り浸っているのでそこまで緊張するような必要もないはずなのだが、今日はどうしても来て欲しいらしい。


 俺自身はこのあとこれといった予定もないし、そもそも七海以上に大事な用事なんて無いわけだから行っても全然かまわないのだが、改まって『ウチ来ない?』なんてどうしたのだろうか。少し疑問に思った俺は俯きがちに隣を歩く七海に問いかけた。


「七海ちゃん、何かあった?」


「え?」


「ひょっとして、今日イヤな客に当たったとか? しつこくナンパされたりした? 家に行くのはかまわないんだけど、もし元気がないなら正直に言って欲しい。心配だし……」


 暗くなってよく見えない顔を覗き込みながら話しかけると、七海は一層俯いてしまう。繋いだ手を握る力が少しだけぎゅうっと強くなったことが、余計に心配だ。


「とにかく、七海ちゃんがそう言うなら行くよ」


「うん。ありがとう……」


      ◇


 部屋に着いた俺達は適当な場所に鞄を置いてベッドの上に腰かける。

 部屋にはあいかわらず七海の匂いが充満していて、いくら慣れたとはいえ少しばかり落ち着かない心地になるのは毎回変わらない。

 だが、今日は珍しく、そんな俺よりも七海の方が落ち着かなさそうだった。さっきから終始そわそわとして……


「七海ちゃん? ひょっとして体調悪いの?」


 生理なの?とは聞けない。

 だが、尋ねると七海はびくりと肩を震わせた。そうして、隣に座る俺に向かって身体を預けるようにしてもたれかかってくる。いつものような甘える素振り。だが、今日はいつもとどこかが違うような……


「ねぇ、ヒロくん?」


「ん?」


「今日、楽しかった?」


「文化祭のこと? まぁ、喫茶の仕事は大変だったけど、楽しかったよ」


 七海と回る初めての文化祭。正直に言えば人生で一番充実していた文化祭といっても過言ではない。だが、なんだか気恥ずかしくてそれ以上は言い淀んでしまう。


「私はね、すっごく楽しかった。ヒロくんと一緒に色んなクラスの出し物を見て回って、クレープを食べて、祐二くんのステージを見て……学校には私がまだまだ知らない生徒の子が沢山いて、皆がみんな思い思いに文化祭を過ごしてて……いつも見ている学校がまるで違う世界みたいに賑やかで……」


「…………」


「でもね? こんなに楽しかったはずなのに。私、少しもやもやしちゃって。それがイヤで……」


「もやもや?」


「うん。そう思っちゃう自分が本当にイヤ……」


 七海のそんな感情を目の当たりにするのは初めてだ。

 ドキドキと心臓がイヤな音を立てると同時に、今日の出来事でそんな悪い出来事があったかどうかを瞬時に反芻する。しかし、七海にそう思わせるようなイヤな出来事なんて思い浮かばなかった。


(俺が見ていない間に何かあったのか? だとしたら、どうやって聞き出そう? かといって、誰かに何かイヤなことを言われたとかだったら、下手に思い出させない方が……?)


 しかし、次の瞬間七海の口から出たのは予想外のものだった。


「ねぇ知ってる? ヒロくんてば、今日クラスの皆にすっごい注目されてたんだよ?」


「え?」


「男の子がやりたがらないウェイター……フロアの仕事を引き受けて、でも嫌な顔しないでテキパキ仕事して。初めてのはずなのに、注文も給仕も丁寧で早くて。美咲ちゃんも、『こわい人を追い払ってくれて助かった!』って喜んでた」


「そ、そうなのか?」


 確かに米島もそんなことを言っていたような気が……

 だが、それとこれと何の関係が?


「私、慣れてなくて今日は裏にいることが多かったんだけど。ウェイター姿のヒロくん、とってもカッコよくて、頼りになって……さっきも『何かあった?』って、私を心配してくれて。私、今日だけでヒロくんのこと、また何倍も好きになった」


「…………」


 う、嬉しい。けど、なんだかこそばゆくて言葉が出てこない。


 微動だにせずただ耳だけを傾ける俺に、七海は何故か悲しそうな視線を向ける。俺の膝を悩ましげにさすりながら、ぎゅうっと横から抱き着いて、そして……


「他の人に取られちゃったら、ヤだよ……」


 ぽつりと、そう呟いた。


「ヒロくんが皆に注目されて、私、それが自分のことのように嬉しくて。でも、段々それがこわくなって、もやもやしちゃって……そう思う自分が、イヤ……」


「七海ちゃん……」


(まさか、妬きもちを? だから皆にバレるのも気にせずに、これ見よがしに『好きな人はいます』だなんて……)


「ヒロくんはいつも私に『楽しい』をくれる。『嬉しい』をくれる。私、もらってばっかりで、ちゃんとヒロくんにお返しできてるかなぁ?」


(そんなこと……)


 当たり前のように俺は七海に沢山のものを貰ってるっていうのに。

 七海は心底そう思っているのか、心細そうな視線を向ける。まるで、きちんとお返しできないと俺が遠くへ行ってしまうのではないかと。

 そして何を思ったか、するりと立ち上がるとブラウスのボタンをプチプチと外し始めた。


「ねぇ、ヒロくん……前に『見て見たい』って言ってたよね……?」


「え……?」


 パサッっと、スカートの落ちる音がする。


「ヒロくんだけに……だよ?」


 顔を赤らめながら唇にもじもじと手を当てる七海。


 俺の目の前には、バニースーツに身を包んだ美少女が立っていた。


 幼さがまだ少し残る容貌とは裏腹に、ぴっちりとしたボディラインとたわわな胸元がこれでもかというくらいに女を主張してくる。


「あ。コレも付けなきゃ!」


 そう言って、鞄からごそごそと取り出した黒いウサ耳を装着して、七海は俺の膝に跨った。


「ねぇ、ヒロくん……どう? 似合う?」


 首筋に両腕を回して、甘えるように頬ずりをしてくる。


「こんな恰好するの、ヒロくんの前だけ。ヒロくん専用だよ……?」


 日中に見せる可憐で爽やかな笑顔が嘘のような、蠱惑的で吐息混じりの声。だが、艶かしさの奥にも確かに『七海だ』と感じさせる要素があるこの声が、余計に俺の鼓膜を震わせる。

 しなやかな猫のごとく身体をぴったりとくっつけ、胸を押しつけるようにして、七海は俺に口づけた。


「んっ……」


 いつもより少し長めで、愛でるような、離すのを惜しむようなキス。甘くて、柔らかくて、七海のこと以外は考えられなくなるような。そんなキスだった。

 幾度となく唇を食んだ七海はぺろりと口の端を舐めると、俺にしか聞こえない声で囁いた。


「だから……ヒロくんも、私だけのヒロくんでいてね?」


 ぐっと肩に込められる力に抗えないまま、俺は流されるようにベッドに押し倒された。


「最後までシてくれなくてもいいの。ヒロくんも、それは望んでないだろうから。でも……もうちょっと。もうちょっとだけ。せめてその手前までは……」



「シて……?」



 幼馴染で、誰よりも素直で愛らしいと思っていた彼女は。

 想定よりも独占欲の強い彼女なのだった。

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