第32話 文化祭


「2番テーブルアフタヌーンティーセット入りまーす! あと、4卓会計、5卓オーダー待ち、7卓アイコワン追加で!!」


「「は~い!」」


 ざわざわと騒がしい教室でらしくもなく大声を張り上げると、薄い仕切りパーテーションの向こうから数名の女子生徒の返事が聞こえた。


(はぁ~。疲れる……カフェの接客フロアなんて引き受けるんじゃなかった……)


 結局、テスト期間が終わってからの二週間なんてあっという間に過ぎてしまい、俺達は文化祭当日を迎えた。

 催し物は予定通りコスプレ喫茶。愛らしいメイド服の女子生徒の中に時折チャイナやナースや男装の混じるこの歪な感じ。こういった、コンセプトが全く統一されていない混沌とした様もまた文化祭の醍醐味というやつなのだろうか。


 そんな中、調理担当の男子から薄っいパンケーキに山盛りのクリームを乗せた『エベレストパンケーキ』を受け取ったウェイトレス姿の生徒がにやにやと俺に話しかけてきた。明るすぎない上品なこげ茶の髪をポニテで結った陽キャの鏡、有名カフェチェーンの孫娘の米島だ。


「まさか、茅ヶ崎ちがさきがここまで奴だとは思わなかったよ」


「は?」


 俺は追加オーダーのアイスコーヒーを用意しながらぶっきらぼうに返事する。


「陰キャの俺に慣れない接客を押し付けておいて、なんだよ今更」


「あはは、ごめんって! だって男子でフロア引き受けてくれる人なんていなかったんだもん! しょうがないじゃん! 代わりにそっちの求める条件は飲んだわけだし、おあいこでしょ?」


「まぁ、そうだけど……」


「あの~! 7番テーブル追加行ってますかぁ~?」


「あ。俺が行く」


 そう言ってお盆にアイスコーヒーを乗せて客の待つ仕切りの向こうに出ようとすると、追加の確認をしてきた女子生徒がおずおずとした視線を投げてきた。


「あ、でも……7番さん『次も可愛い女の子でお願いね』って……」


「タチの悪いナンパ客かよ……何? 大学生二人組だっけ?」


「うん。アイスコーヒー単品追加で粘ってる、あそこのふたり……」


「いいよ、だったら尚更俺が行く。さっきから品定めするみたいに『アタリ待ち』しやがって。ああいうのは女子のアドレス聞けるまで帰らないぞ、多分。店の回転効率も落ちるし、適当に言って帰らせるわ」


「えっ、でも……いいの? 茅ヶ崎君……」


 伺うようなその表情が、『怖くないの?』と聞いている。


「『ウチの店にいる女子は全員あなた達の対応をし終わりましたよ』『コンプ済なんでアイスコーヒーはテイクアウトにしますか?』って言えば帰るだろ? とりあえず行ってくるわ」


 俺はお盆の上にテイクアウト用の袋とストロー、ガムシロなどを乗せてテーブルに向かった。7番卓の大学生らは俺を見るなり露骨にイヤな顔をする。


「あれ? あの黒髪で巨乳の子じゃないの?」


 無論、七海のことだ。


「そうそう。あの子まだ接客来てないよね?」


「あの子は裏方なので」


「え〜、いいじゃん。呼んでよ?」


「それはできかねます」


 その為に、こういうときのために俺は七海と同じ時間帯にフロアにいるんだよ。わかってねーなコイツら。まぁ、わかるはずもないけれど。


(仕方ない、奥の手を使うか......)


「お兄さん方、それよりも......」


 俺がこれから始まる屋外ステージの女子軽音部は(顔面の)レベルが高いと小声で囁くと、大学生らは『お主も悪よのぅ』みたいな悪代官的笑みを浮かべながらコーヒー片手に去っていったのだった。

 ウチの女子軽音部の約半数が重度のメンヘラバンギャだとは知りもしないで。


 徐々に波のおさまってきた店内を見渡し、客の去ったテーブルを片付けて裏に戻ると、ちょうど休憩に入ろうとしていた米島に再び声をかけられる。


「へぇ~。優しいじゃん?」


「なにが?」


「美咲があいつらにしつこくメアド聞かれてたの、助けてあげたんでしょ?」


 美咲みさきというのは、さっきのおずおずとした女子、菊岡きくおかのことだ。


「別に、助けたわけじゃない。困ってるところに割って入ったわけでもないし」


「でも、あいつら帰って美咲、すごくホッとしてる」


「ならよかったじゃん。俺はいつまでもうだうだ居座る客が目障りだっただけだよ。結果オーライってやつだ」


「へぇ……?」


 そう言ってにやにやと目を細める米島。


「茅ヶ崎さぁ、最近なんか変わったよね?」


「変わったって……どう?」


「いやぁ、あんたにフロア頼んで正解だったわ。店内の様子、全体を把握するようにちゃんと見てるし、飲み物出すスピードも片付けも早いし。オーダーの記憶力も的確さも文句ない。それでいて女子への気遣いまで……」


「急になんだよ、気持ち悪い。『陰キャには到底できそうにないって甘く見てました~ごめんなさい~』ってか?」


「違うってば。なにさ、『陰キャ、陰キャ』って。別にあたしは茅ヶ崎のことそこまで陰キャだと思ってないよ。茅ヶ崎はなんつーか、自分から日陰に居たがるっていうか、目立つのを避けてるっていうか。『やろうとしない』ってだけで、『できなくはない』んでしょ? でも、最近はちゃんとやろうとしてる。クラス行事とか文化祭なんて、本当は微塵も興味ないくせに」


「それが何……まさか、俺をコキ使うつもりか?」


 イヤな予感に顔をしかめると、米島は再びにやりと笑う。


「その理由が、芹澤せりざわさんか」


「…………」


 その無言を、米島はどう受け取ったのだろうか。


 俺と七海は付き合っていることを学校では内緒にしている。七海が『碌に友人もいないのに男だけはいる』みたいな孤立した状況になるのを避けるために。

 かといっていくら昼食と登下校以外は一緒にいないようにしていても、友人の光也みつや曰く『わかる奴にはバレバレ』らしいし、米島はその辺に探りを入れているのだろうか? だが、一体何の為に?


「おおかた『幼馴染だから面倒見るように頼まれてる』ってのも嘘なんでしょう?」


「嘘じゃないって」


 本人に『お昼一緒に食べて!ぼっちにしないで!』って言われてるだけだ。

 ……嘘ではない。


「じゃあ、休憩時間を同じにしたい理由は?」


「文化祭の案内を頼まれてる。七海は日本の学校にはまだ不慣れだから」


 ちらっと視線を移すと、メイド服姿で一生懸命パフェを作り、その出来栄えに他の女子と共に一喜一憂している七海の姿が映った。


(あ。七海ちゃん楽しそう……)


 い、いかん。顔がニヤつくとバレる……!


「学校に慣れるまで、孤立させないように面倒を見る。それが俺の役割だ」


「幼馴染だから?」


「幼馴染だから」


「ぷっはは!! それじゃあ保護者じゃん!?」


「な、何が可笑しいんだよ……?」


「あははっ! いやぁ……なぁんで、そこまで隠すかなって!」


「…………」


 ああ、無理だ。

 米島は完全に気が付いてる。


 そりゃそうだよな、『七海と全日程の休憩時間が被るようにシフト組んでくれ』なんて頼めば、そりゃあな。

 その為に普段話しかけないような米島に声かけて、挙句の果てにフロアでウェイターをやるなんて男子に不人気なポジションの条件まで飲んじまったんだから。


「いいじゃん? 芹澤さん超可愛いんだし、自慢の彼女なんじゃないの?」


「そ、そういうわけじゃ……」


「なんで隠すの?」


「あ。フロアが呼んでる」


「呼ばれてないよ」


 ぐい、とシャツの裾を引っ張られる。


(あ~……これは帰してもらえないパターン。これ以上否定して変な勘繰りされても困るし……)


 俺は、観念した。


「嘘言って悪かったよ。付き合ってるよ……けど、あんまり他の人に言わないでくれるか? ほら、その……七海に友人ができづらくなると困るし……」


「茅ヶ崎が束縛系男子でアブナイから芹澤さんには近寄らんとこ~ってこと?」


「そんなんじゃねぇよ!」


「あはは、冗談だって! でも、秘密にしたいって言うなら秘密は守るよ。けど、そんなに気にしなくても大丈夫だと思うけど?」


 米島はちらりと七海の方を見る。


「わ! 美咲ちゃん『エベレスト盛り』上手!」


「七海ちゃんも、今日一日でパフェ作るの随分早くなったよね?」


「うん。フロアで注文受けるのはまだ緊張してうまくできないけど……」


「誰だって初めてはそうだよ! 私も去年は紅茶を置く手がプルプルしてたし。誰もが米島さんみたいにできるわけないって! だって米島さんは本物のお店で研修……っていうかバイトして何年も経つって噂で……」


「でも、器用にできる人はできるみたいだから……私、人見知りでうまくできなくて……」


 そう言って、七海がちらりと俺を見た。隣の美咲――菊岡も、ひょっこりとこちらを覗き込む。


「ああ、茅ヶ崎君ね。アレは意外だった。私もびっくりした。あんなにテキパキ……」


真尋まひろ君、頭いいから。なんでもできてすごいなぁ……」


(あ。七海ちゃんが『よそ向き』な『真尋呼び』してる……)


「ああ、ふたりは幼馴染なんだっけ?」


「うん……」


(ちょっと恥ずかしそうに友達と話す七海ちゃん、可愛い……)


 そして、どこか自慢げに俺のことを話しているのが可愛い! 異様に嬉しい!

 てゆーか……



 友達、ちょっとずつだけどできてる!!



 文化祭の準備期間というのは不思議なもので。数日という限られた時間の中で、同じフロア係に配属された生徒同士は誰に言われるでもなく自然と親睦を深めていった。日本には、良くも悪くも空気というものがある。そんな空気に流されるように七海も他の女生徒たちと一緒に談笑しながら準備を進め、アドレスを交換し、友達が……


(うっ。七海ちゃん……ほんと、よかったな……)


 ひとつの目標に向かって生徒たちが協力し合うなんて、まるで24時間テレビみたいな綺麗ごとのように思っていた。しかし、それが綺麗ごとでもなんでもなかったことを、俺は高二にして初めて実感することができたのだ。それを教えてくれたのも七海というわけだ。好きな人ができると世界が変わって見えるというと大袈裟かもしれないが……


 本当に、七海が帰ってきてから俺には嬉しいことばかり……


「……!」


 俺の視線に気が付いた七海が、周囲にバレないようにちょこちょこと遠慮がちに手を振ってくる。サラッとしたロングの黒髪を耳にかけながら、はにかむような、照れるような笑顔を向けて。気が付けば、俺も無意識にちょこちょこと手を振り返していた。


「ちょっと、茅ヶ崎聞いてる??」


「な、なに?」


「もう。その顔バレバレだって。付き合ってんの秘密にしたいなら気を付けなよ?」


「えっ。俺、どんな顔してた?」


「ボーっと芹澤さんのこと見てた」


「それだと単なる片想いと判別つかないじゃないか。セーフだろ」


「ダメ、ダメ。ぜんっぜんダメだね。だって、今のはなんていうか、こう……恋するなんちゃらっていうよりはアレだもん」


「アレって何?」


「慈愛に満ちた……っていうとキモいな。なんかアレだよ。大事でしょうがないって感じ」


「うそ、はずっ。それこそ保護者かよ?」


「はは! やっぱ変わったよね、茅ヶ崎! あたしはイイと思う! 次の一時間乗り越えたらふたりは上がりだから、楽しんでおいでよ! じゃ、休憩行ってくるわ~」


「サンキュー、米島」


「明日もよろしく~!!」


 ポニテをバサッとほどいてオフモードに入る米島。今まで話したことのない類の所謂パリピ……と思っていたが、中々に鋭い洞察力の持ち主だった。それでいて仕事もそつなくこなし、クラスのまとめ役としてうまく機能している。こと文化祭においては間違いなく中心的人物と言えるだろう。

 そんな米島に付いて喫茶の準備と運営を行った俺と七海は影ながら知名度を上げ、おかげで七海ちゃんは順調に友人を増やしつつある。


 ここまでは、計画通りだ。


 きっと帰ったらまた『今日ね、○○ちゃんがね!』といった飛びっきりの笑顔を見ることができるんだろう。それだけで、俺は満足だ。


「はぁ、ラスト一時間がんばろ……」


 俺は差し入れのコーヒーを啜りながら、嬉しいため息を吐いてひとりごちた。

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