第28話 朝の彼女

 朝は苦手だ。学校へ行く日でも、そうでない日でもそれは変わらない。一日の始まりを告げる陽光が煩わしくて、ソレに無理矢理起こされている感じがするのがどうにも苦手だった。だが、もし朝起きて目の前に美少女の寝顔があったらどうだろう?


(顔、近……)


 いつもなら鬱陶しい朝陽に照らされてきらきらとする長い睫毛。くぅくぅとリズムを刻みながら上下する華奢な肩。そして、同じ枕に頭を乗せて無防備な寝息を立てる幼馴染……


(かわいい……)


 なんて素晴らしい朝なんだ。

 こんな美少女が眼前で寝てて理性を保てるのかって?普通ならすぐにでも朝からR指定無視してイチャコラモードに突入……かと思いきや。案外そうはならないものだと、身をもって実感する。だって、こんな神聖な生き物が目の前にいたら誰だって拝み倒すのが精一杯で、間違っても手なんて出せるわけがないんだから。


(あ。でも、せめて写真くらい撮っちゃダメ……かな?)


 そう思って枕元のスマホに手を伸ばすと、隣で寝ている七海が目を覚ました。


「……ん。あ……ヒロくん、おはょ……」


 寝ぼけ眼をこすりながら、甘えるようにシャツの胸元に顔をうずめる。ふわりとした髪の感触が少しくすぐったい。


(はぁ……これが幸せか……)


 自分たちが付き合いたてで人生的にも幸福の絶頂期にいることは自覚している。だが、もし結婚して七海ちゃんが俺の嫁になってくれたら、コレが毎日続くわけで。そう思うと、高校生という拙い立場である我が身がもどかしい。と同時にどうしようもない程七海を手放したくないという気持ちが沸き上がり、思わずぎゅうっと抱きしめると、七海は満足そうに微笑んだ。


「わぁっ、くすぐったいよ……!ふふふ、おはよう?ヒロくん?」


「おはよう……」


「ん~……今、何時ぃ?」


「まだ六時半」


「じゃあ、もうちょっと一緒に寝られる?」


「うん。基本的に朝は誰も起こしに来ないから、余程遅くならない限りは大丈夫だと思う。姉ちゃんも俺より起きるの絶対遅いし」


 その返答に『えへへ……』と嬉しそうな七海。すりすりと身を寄せる仕草が途方もなく可愛くて、朝から脳みそが外国製のチョコレートファッジよりも甘くなりそうだ。


「ねぇねぇ、ヒロくん?」


「なに?」


「そろそろ夏休み、終わっちゃうね?」


「そうだね」


「楽しい思い出、たくさん作れたかな?」


「うん。少なくとも俺にとっては、今までで一番楽しい夏休みだった……」


 連日のように開かれるふたりきりの勉強会に、プール、温泉旅行。そしてお祭りと綺麗な花火。夏の思い出を噛み締めるようにそう呟くと、七海はさも満足そうに頷く。


「私も! 忘れられない思い出が、沢山できたよね……?」


 くすりと小さく息を漏らす姿がいたずらっぽくて、どこか蠱惑的な雰囲気を醸し出している。おそらく七海はあの温泉旅行のことを言っているのだろう。そういえば、行きの電車の中でも『忘れられない思い出を作ろうね?』なんて言われたっけ?あのときから七海がだったのかと思うと、思わず顔が熱くなる。


「ねぇ、ヒロくん?」


「ん?」


「日本の学校は、秋にはどんなことをするの?」


「そうだなぁ。目ぼしいイベントといえば、9月の末には大きなテストがあって、それが終わったら文化祭かな?」


「文化祭!メイド喫茶だ!女装喫茶だ!コスプレ喫茶だぁ!」


 そう言って、『わぁ!』と顔を輝かせる。転校当時の『ぼっち飯文化』への発言といい、七海の日本の学校に対するカルチャー認識はどこか偏りがあるようだ。


「文化祭の出し物は、喫茶ばっかりじゃないよ……?」


 だが、例年喫茶系は生徒の皆に人気だし、ウチのクラスの出し物が喫茶になる確率は他よりも比較的高い方だと思われた。なにせ、茶道部の次期部長と大手のカフェチェーンを経営する社長の孫娘が在席しているからだ。加賀谷さんと米島よねしまさん。ふたりは日頃から仲が良く、趣味のお茶の話で盛り上がってはお互いの家に招き合ったりしているらしいので、彼女たちを組ませて喫茶をやらせたら、右に出るものはいないだろう。


「七海ちゃんは、メイド喫茶がやりたいの?」


 そう尋ねると、こくこくと首を縦に振る七海。


「メイドさん、可愛いよね!コスプレでお祭りっていうと、アメリカはもっと露出度の高い衣装の催し物が多いけど、私はフリフリな衣装が好きだなぁ。ちょっと着てみたいかも!」


「そう……」


(七海ちゃんなら、ミニ丈でもロングの清楚系でも似合いそうだな。いや、何着せても可愛いんだろうけど。でも、サイズ如何によっては胸元がはち切れないかちょっと心配……)


 思わずメイド姿の七海を想像するが、妄想しただけで凄まじい破壊力。黒髪ロングストレートでメイドカチューシャなんてそれだけで国宝級の可愛さだろうし、白いエプロンを翻して『おかえりなさいませ、ご主人様!』なんて言われたら、もう……ミニ丈だったら、ガーターも付けたりするのかな?


「……ヒロくん?」


 ――ハッ……!


 我に返って、不思議そうに首をかしげる七海に返事する。


「七海ちゃんなら、何を着てもきっと似合うよ。俺が保証する」


「そ、そうかなぁ?」


「うん。絶対、間違いない」


 だって、もし喫茶をやることになったら俺が全力でプロデュースするから。ただ、文化祭の衣装は俺以外の人の目にも晒されることになる。やっぱり露出度が高すぎるのは心配だし良くない。七海ちゃんはただでさえ人目を引くスタイルなんだから。そんなロリ巨乳彼女をちらりと見やり、どんな服装が似合うかと考えを膨らませていると……


「ねぇ、喫茶をやることになったら、ヒロくんはどんな格好をするの?」


「え、俺?」


「うん!」


(か、考えたことなかったな……)


「そ、そりゃあ、白シャツにエプロンとかで、カフェの店員さんぽい恰好なんじゃない?」


「え~!執事じゃないの!?それか女装!」


「女装っ……!? しないって!!」


「なにそれつまんな~い!!」


「え、何? 七海ちゃんは女装が見たいの?」


「そういうわけじゃあないけどぉ、普段とは違う恰好のヒロくんを見てみたいの!」


「えぇ~……」


(そんなこと言われても、文化祭じゃあ毎年調理とかの裏方にまわってたからなぁ。表に立つのは柄じゃないし、恥ずかしいし……)


「こないだ浴衣姿見たでしょ?それじゃダメ?」


「浴衣がカッコよかったから、他も見たいのぉ~!」


「うっ……」


(どうしよう……まんざらでもないこの気持ち……!)


 俺のことをここまで手放しで褒めてくれるのは七海くらいのものだ。困ったダダをこねられているというのに、なんだか頬が緩んでしまう。


「じゃあ、もし俺が普段と違う恰好をして給仕として出ることになったら、七海ちゃんは俺の為にメイド服を着てくれるってことで」


「……交換条件?」


「まぁ、そんな感じ」


 それくらいの見返りが無いと、さすがに俺も恥ずかしいし頑張れる気がしない。俺にばかり都合のいい交換条件なような気がするが、七海は思いのほかあっさりとその提案を受け入れた。


「いいよ!ヒロくんの特別な恰好が見れるなら、代わりにメイド服でご奉仕してあげちゃう!」


(そ、そこまで言ってないけど……!)


 こういうのがアレだ、なんだっけ?棚からぼた餅。てゆーか、七海ちゃんの言う『ご奉仕』ってどんなだろう?にこにこしている様子を見る限り、膝枕でもしてくれるつもりなんだろうか? ……サイコーかよ。


「じゃあ、文化祭の出し物がメイド喫茶かコスプレ喫茶になるように意見を通さないとね!あっ、でも、私友達いないから……手を挙げても賛成してくれる人、いないかなぁ……?」


「そんなことないよ。喫茶なら俺達がわざわざ手を挙げなくても提案する人がいるだろうし、仮に俺達が意見を出してもきっと多くの人が賛同してくれるはず」


「そ、そっか……!」


 安堵したような、でもどこか心細そうな表情。


(七海ちゃん、結局夏休みまでに『一緒に文化祭を回れるような』それらしい友達作れなかったもんな……やっぱ、気にしてるのかな)


 いくら彼氏の俺がいるとはいっても、文化祭は友人同士でも楽しみたいものだろう。ましてやメイド喫茶をすることになれば、女子同士で着替えながら『ああだ、こうだ』『きゃっきゃうふふ』と盛り上がりたいんじゃないだろうか?

 俺は安心させるように、どこか悲しげな七海のおでこに自分のおでこをくっつけた。


「七海ちゃん。新学期が始まったら、また一緒に友達を作ろう?」


「えっ。いいの……?」


「いいも何も。友達作りに協力するって約束したのは俺だし、大事な幼馴染にせっかくの日本の学校生活を楽しんでもらいたいと思うのは当たり前だろう?」


 さらさらと髪を撫で、ゆっくりと背中をさすっていると、七海はぎゅうっと俺のシャツの裾を握りしめた。


「……ヒロくん、ありがとう……」


「どういたしまして」


「好き……大好き……」


「また一緒に、忘れられない、楽しい思い出を沢山作ろう?」


「うん……」


 そんな、甘い甘い朝のやり取り。今この瞬間も、俺にとっては忘れられない思い出の一ページになるんだろう。夏が終わり、新しい季節が始まる。すっかり忘れかけていた、というか色々あってそれどころではなかった『友達できるかな計画』。それを再始動するときが来たようだ。


(まずは手始めに……)


 脳内に具体的な計画を描きつつ、七海がこれからもいい思い出を沢山作れるように、俺は手を尽くそう。その前に……


「七海ちゃん」


「なぁに?」


「俺と付き合ってくれてありがとう」


「ふえっ!?ヒロくんてば、きゅ、急に改まってどうしたの!?」


「だって、夏休み楽しかったなぁってしみじみと感じたから。それもこれも七海ちゃんのおかげだなぁって思って、ついお礼を言いたくなって……」


 恥ずかしいとは思いながらもたどたどしくそう述べると、七海はこれ以上ないほど嬉しそうに、にま~っと笑ったのだった。

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