第23話 混浴


 半分はだけた浴衣姿のまま、ぽそりと呟く七海。赤くなっているのを隠そうとしているのか、俺の胸元に顔をうずめたまま一向にこちらを向いてくれる気配が無い。


「「…………」」


 長い沈黙が訪れる。それは、さっき七海が言った言葉の意味をお互いが理解しているということなのだろう。そして、それ故に何も言い出すことができない。


(『ヒロくんならいいよ』って……完全にそういう意味だよな……)


 そう言ってくれるのはこの上なく光栄で、本来なら両手放しで喜びたいような嬉しいことなのだが、俺が心配しているのはそういうことではない。


「七海ちゃん。気持ちは嬉しいけど、俺達まだ高校生でしょう?」


「…………」


「俺は、その……七海ちゃんのこと大切にしたいから、むやみにそういうことはできないよ。情けない話かもしれないけど、俺はまだ社会に出てないし仕事にだって就いてない。もし何かあったときに責任を取れる歳じゃないんだ……」


「…………」


「こないだも芸能人の高校生カップルが妊娠結婚とかいう報告してたよね?彼らは仕事に就いていたけど、それでも世間からの風当たりはまだ強くて。俺は、七海ちゃんにはそういう大変な想いをして欲しくない。せっかくなんだから、皆から揃って祝福されるような状況になってから――」


 そこまで言うと、七海は顔をあげた。こころなしか瞳がうるんで、恥ずかしさのあまりに声もぷるぷると震えている。


「ヒ、ヒロくん……? ゴム、付けないの……?」


「ふえっ!?!?」


「あ、赤ちゃん作る気、満々なんだね……?」


「あばっ!?」


(ななな! なんか七海ちゃんの口からとんでもないワードが飛び出てるんですけどぉ!? 今なんて言った!? その小さなお口から『ゴム』って、『赤ちゃん』って言ったんですかぁ!? それって、完全に俺と旅行すること意識してた感じ!?)


 待って、待って! 動悸がヤバい!!

 今日旅館まで来るとき、七海が可愛い顔してそんなこと考えてたのかと思うともうヤバい!


(ちょ、七海ちゃんエロすぎる……!耐えられない!! てゆーか……!)


「あ、いや! そういうつもりじゃなくてっ……!!」


「べ、別に私は……それでもいいけど……」


「!?!?」


 ぜんっぜん! 良くないよねぇ!?

 なになに!? さっきから展開が早すぎてついていけない!!


「な、七海ちゃん!?それ、わかってて言ってる!?」


「わ、わかってる。つもり……」


「「…………」」


 再び長い沈黙が訪れる。そのどうしようもない沈黙を破る言葉を俺は持たない。だが、七海は持っていたようだ。照れ隠しするようにパッと表情を明るくすると、俺の手を引いた。


「と、とりあえず!お風呂入ろうか!!」


「う、うん……」


 咄嗟に流されてそれしか言えなかった俺はきっと、七海に負けてしまったということになるんだろう。


      ◇


 『先に入ってて!』と言われた俺は頭の中がショート寸前のまま、ただぼーっと温泉に浸かって遠くの緑を眺めていた。


(あぁ、小鳥が鳴いてる。良い湯だな……)


 ひんやりとした森の空気に、温泉のあたたかい湯気、かけ流しの薬湯と浴槽の檜のいい匂い。これならいつまでも入っていられるなぁ、なんて……現実逃避も甚だしい。しばらくそうして為すすべなく湯に浸かっていると、客室と繋がる背後の扉がカラカラと音を立てた。


「お、お待たせ……」


 振り向けないまま、隣のスペースがちゃぷ……と水音を立てる。


「ちゃんと厚めのタオル巻いてきたよ!ほら!」


「…………」


(『ほら!』って言われても……え?なに?そっち見ろって?大丈夫かどうか確かめろってこと?)


 恐る恐る声の方に視線を向けると、白いバスタオルで身体を包んだ七海がにこにこと浴槽に腰かけて足先を湯に浸していた。


「これなら平気でしょ?水着よりも露出度少ないよ?」


「あ。うん……」


 ……何が平気なんだろう?


 ちゃんとずり落ちないように胸元でタオルを抑えてくれてるみたいだけど、そのせいで谷間がいつもより深い気がするし、湯気が肌に水滴を纏わせてつやつやな光沢を生み出している。ぶっちゃけ生々し……いや、艶めかしい。


「ふわぁ~!温泉、あったか~い!景色も良くて、最高だね!」


「ソウダネ……」


 ……としか言えない。


「ねぇヒロくん。そっち入ってもいい?こっち、ちょっと狭くて足しか入れないの」


「え?ああ、うん……」


 条件反射で返事したはいいが、もう少し状況を見てから返事すべきだっただろう。俺達の浸かっている浴槽は足を伸ばして楽しめるように、長方形になっていた。俺が背もたれにしている短い辺の方、その隣に腰掛けていた七海はゆっくり立ち上がると、まだスペースにゆとりのある俺の脚側に移動する。そして――


「よい、しょ……」


 あろうことか、脚の間に挟まるようにして背中を預けてきたのだ。


「ふ~!極楽極楽~!」


 目の前で、髪をアップにしたうなじにチャパチャパと湯をかける七海。


「気持ちいいね!」


 くるっとこちらを振り返る笑顔が、眩しすぎる……


「ふふっ。ヒロくん、私専用の椅子みたい!」


 俺の両膝を腕置き代わりに、ご満悦なようでなによりだ。


(ちょ、それ以上寄り掛かかられたら、下半身に当たっちゃう……!)


 だが、流石にそこは七海もわかってくれたのか、それ以上無理にもたれかかってくることは無かった。すべすべな背中を眺めながら、ふたりでしっぽりと湯に浸かる。


(あ。イイ……)


 こうして見ると、七海が言ったように視覚的な破壊力は思ったほどではない。ふたりして向き合って浸かるよりは余程マシだろう。思わず安堵のため息を漏らすと、七海はにこっと振り返った。


「ねぇねぇ、ヒロくん?背中流してあげようか?」


「え?」


「ほら、前にウチに来たとき言ったでしょ?いつでも背中ながしてあげるね、って」


「…………」


 そういえば、そんなこともあったっけ。


「ほらほら、遠慮しないで?洗ってあげるから」


 そう言ってくるりと体勢をこっちに向ける。まるで四つん這いで迫る猫のような姿勢はどこかいかがわしいサービスを彷彿とさせるし、半分だけ湯に浸かってタオルをゆらめかせる胸元はもちろん、ちゃぷちゃぷとした水音すらなんだか艶めかしい!


「ヒロくん?どこから洗おうか?」


(待って、それ以上は……!)


「ま、間に合ってますからっ!!」


 くるっと背中を向けさせるだけで精一杯だった俺。だが、誰でもいい。『よくがんばった』『勲章モノだ』と褒めてくれてもいいと思わないか?

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