第24話 隣り合わせの布団

 温泉で色んな意味で温まった俺達はふたりして仲良く浴衣に着替える。さっきまで生着替えだけでひぃひぃ言っていたはずなのに、入浴姿の破壊力のせいで慣れたのか、平静を保って後ろを向いていられるレベルになってしまった。ほんと、慣れとは恐ろしい。まぁ、着替えている間俺の頭の中では入浴時の光景がずっとリフレインされていたんだけど。


 着替えが終わり、まだ時間に余裕のあった俺達はひとまず館内を散策することにした。海の幸と山の幸がごっちゃになって置いてあるお土産屋や、古びたクレーンゲームのあるミニゲームセンター、その脇にあった卓球台でしばし遊んだあと、食事の時間に間に合うように部屋に帰還する。こんな何でもないようなぼんやりとした時間ですら七海といると楽しいのだから、俺も大概溺愛っぷりが極まっているのかも。だが、窓の外を眺めながら『明日はどこへ行こう?』『昨日は行きがけに蕎麦を食べたから、帰りのお昼は海鮮丼がいい!』などと相談する時間が何よりも楽しい。そして――


「「おおおっ……!!」」


 目の前に用意された懐石料理のなんと鮮やかなことか。


「ヒロくん!ウニ!アワビ!」


「凄い身の厚さのアワビだな。マグロに鯛、平目、甘えびのお造りもあるし、すき焼き鍋に、茶碗蒸し。他の小鉢もどれも綺麗で……」


「「温泉、最高~!!」」


 ぱぁあっと思わず笑顔で顔を見合わせる。


「冷めないうちに食べようか!」


「うん!!」


 俺達は揃っていただきますをして、豪勢な夕飯に舌鼓を打った。もとより食べるのが好きな七海は『帰ったらダイエットするから、いいよね?』なんて言いながらご飯をおかわりし、俺も一緒になってたらふく食事を楽しんだ。食後しばらく窓際で涼んでいると、仲居さんが布団を敷きにやってきた。俺達はその間、残り僅かな夏休みのプランについてあーでもない、こーでもないと夢を膨らませるのだった。そして、『お待たせいたしました』の声を聞いて襖を開けると……


「う……」


(わぁ……)


 そこには、綺麗にぴったりとくっつけられた二枚の布団が並んでいた。


「それでは、ごゆっくりおくつろぎ下さいませ」


 ススス……と閉められた扉に、ふたりして言葉を失う。


(そ、そういえばそうだった……)


 露天風呂にばかり気を取られて忘れていたが、今日は一泊二日の旅行だった。つまり、今晩は七海とここで寝るのだ。


(待て待て……!なんなんだこの近さ!ハードル高くないか!? 枕と枕の間、人ひとり入れるか微妙なレベルだぞ!? ちょっとゴロってしたら、顔くっついちゃうじゃん!!)


 元より一睡もしない(できない)つもりで来た俺は用意周到にも時間を潰すために歴史小説なんぞを持ってきていたが、この近さではそれすらままならない恐れがある。だって、これじゃあ寝返りを打ったらすぐ傍に七海の顔があることになるし、下手をすれば足先が当たりそう。それに、絶対『すぅすぅ……』なんて可愛い寝息が聞こえてくるんだろ?耳元に、近い位置から……


(むっ、無理だって……!)


 悶々とする俺をよそに、ごろりと布団に寝転がる七海。浴衣のスリットから脚をこれでもかと覗かせながら、バタバタとうつ伏せになって枕に顔をうずめている。


「わぁ~!ふかふか!新しいシーツのいい匂い!」


 そして仰向けに反転すると、俺に向かって両腕を伸ばした。


「ヒロくんも、おいでよ?」


「う……」


 それはもちろん、『一緒にごろごろしよ?』という意味だと知っている。しかし、昼間の露天風呂やその前のやり取りのせいでどうにも誘われているようにしか思えない。両腕をぱたぱたと広げる七海は、まるで飛び込んでおいでと言わんばかりの表情だ。


(人の気も知らないで……)


 ぶっちゃけ今すぐにでもその大きくてふわふわな胸に飛び込みたい。ぴったりと寄り添って抱きしめたいし、いい匂いのする首筋に顔をうずめたい……


「ヒロくん……?」


 きょとんとした大きな瞳が、こちらを見つめている。


「七海ちゃん……俺はこっちの、窓際のソファで寝るよ」


「な、なんで?」


「だって、こんなの……」


 我慢できるわけないだろうが。


 いくら七海もその気だとしても、将来的なことを考えると一線は超えるべきではない。それは昼間にも話したし、七海だって理解しているはずなのに。


「どうしてそんな……無防備なんだ?」


「ヒ、ヒロくん?」


「七海ちゃん。俺、昼も言ったよね?いくらなんでも、我慢できなくなるよって」


「うん……」


「いくら我慢しなくていいって言われても……ダメなものはダメだよ……」


 それしか言えない俺に、七海はむくりと起き上がると音もなく寄ってきて手を握る。そして、その手を自分の胸に当てさせた。


「ちょ……!」


 むにむにとした胸の感触と七海の熱が、浴衣越しでも伝わってくる。ふと顔をあげると、どこか切なそうな七海と目が合った。


「私だって……我慢してたのに……」


「……!?」


「ほんとはずっと、ヒロくんにこうして欲しかった。でもヒロくん、なんだかそういうの避けてるみたいなんだもん。ひょっとしたらイヤなのかな?って思ってたんだよ? だから、今日はヒロくんの気持ちが聞けて嬉しかった。ヒロくんが、私の為を思って我慢してくれてるだけなんだってわかって安心したの。本当はこういうことしたいって思ってくれてるんだって、安心した。嬉しかった……」


「な――」


「一線を超えちゃいけないのはわかってる。でも、ちょっとくらいいいでしょ?少し、触るくらいなら……」


 そう言って、七海はぐいぐいと俺の手を胸に押し付ける。


「ねぇ、ヒロくん?」


 もの欲しそうな上目遣い。ほんのり赤く上気した頬に、心細そうな声音。


「……触ってよ?」


「……!」


「お願い。ぎゅってして? 好きな人に触ってもらえないのは、さみしいよ……」


(こんなん……!我慢しろって言う方が無理だろ!!)


 俺は七海を抱きしめて、そのまま布団に雪崩れ込んだ。ぎゅうっと、潰れちゃうんじゃないかというくらいに抱き締めて、呼吸がようやく落ち着いた頃に口を開く。


「七海ちゃん……さみしいなんて、そんなこと言うのは、反則……」


「でも……さみしいのは本当だよ?それに、ちゃんと言わないと、ヒロくんはこうしてぎゅってしてくれないでしょう?」


「そんなことないよ。抱きしめるだけなら、今までだってあった」


 その程度なら、まだ我慢できたのに。


「でもぉ……」


 胸元でもごもごする七海は少し頬を寄せると、恥ずかしそうに呟いた。


「私は、もっとして欲しかったから……」


「……!」


「お、女の子からこんなこと言うのははしたないのかなって、今までは遠慮してたの。でも、ヒロくんてばいつまで経っても触ってくれないんだもん。ハグキス以上はしてくれないんだもん……だから……しょ、しょうがないよねぇ!?」


「!?」


 ぎゃ、逆ギレ……!?


「ううっ。私だって、私だって……!!」


「な、七海ちゃん……?」


「ヒロくんと……シたい、のに……」


「!?!?」


 も、もうちょっとオブラートに包もうよ!? いや、ここまで来て今更だけどさぁ!? それにしても七海ちゃん、やっぱりエロ……せ、積極的すぎる……鼻血出そう……


「ヒロくんが最後までシてくれないなら、それでもいいよ? でも、せめて……もっと触ってよ? 触って、欲しいよぉ……」


 恥ずかしさやら何やらで涙目になり、半ばやけくそになったせいで荒くなった呼吸が図らずも煽情的で――


「ねぇ、ヒロくん……?」


(くそっ!ここまで据え膳くらってマトモでいられる男がいるなら見て見たいわボケ!!)


 もう、俺は破戒僧でいいよ。


「俺が一線超えちゃいそうになったら止めるって、約束してくれる?」


「うん……」


「……ちゃんとイヤならイヤって言ってよ?」


「うん……」


 こくこくと頷く七海に、今日は全てを任せることにしよう。だって、俺もう今日は限界だ。半ばあきらめモードになりつつ浴衣の胸元に手を滑り込ませると、『やっ♡』という甘くて可愛らしい声が。


「……今のは?」


「んっ……♡ イヤじゃ、ない……『やっ♡』だよ……」


「…………」


(ああもう! そんな違い、童貞の俺にわかるわけないだろう!?!?)


 でも可愛いから許す!


 とりあえずその日はなんとか一線を越えることなく、七海に促されるまま満足するまでイチャついた。結局俺は煩悩に流されて悟りは開けなかったけど、帰りの道中ニコニコと手を握る七海が嬉しそうだったのと、距離が一層縮まった感がひしひしと伝わってきたので結果オーライだと思う。

 そんなこんなで仲良く帰宅した俺達はお礼を兼ねて温泉まんじゅうを姉に手渡した。にやりと目を細める姉の『どうだった?』の一言に――


「サイコーでした……」


 以外、返す言葉は無かった。

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