第22話 個室露天風呂付き温泉

 露天風呂くらい一緒に入れば?って……簡単に言ってくれるけどさぁ?


「イヤ、ダメだって。姉ちゃんこそ男心が全く理解できてな――」


 言いかける俺を、姉は颯爽とシカトする。


「ふたりきりの空間で人目を気にせずイチャつきパシャつくって、イイよ~!」


(それはわかるけどさ)


「視覚的に気になっちゃうならさ、タオル巻いたまま入ればいいし?」


(イヤイヤイヤイヤ。無理があんだろ?)


「タオル一枚で何をどう隠すの……」


 どうせぴったり肌に張り付いて、湯船に浸かればひらひら浮かんできちゃうんだろう?


「…………」


(ほら!もう!想像しただけで無理じゃん!?なんか汗かいてきたし!)


 そんな俺に、姉は平然と言い放った。


「それに、七海ちゃんだって絶対『ヒロくん、一緒に入ろ?』って言うと思うなぁ~?」


「ぐっ……!」


 確かに七海なら平気で言いそうだ。しかも、下手をしたらタオルに泡を含ませて『見て見て!クラゲ~!』とかやりかねん。だがもし七海にあの無邪気なおねだり目線でそう言われたら、俺は断れる自信が全くない。というか、欲望に勝てるビジョンが見えない。いくら風呂でクラゲ作るような女子でも、ハイパー可愛い美少女幼馴染なことに変わりはないんだから。


「くそっ。幼稚園のプールの時間じゃないんだぞ……!?」


 そんな捨て台詞しか吐けない俺の肩を、姉はチェシャ猫みたいなイイ笑顔で叩いた。


「考えてみな?全身にタオル巻いてれば、露出面積自体は水着より少ないよ?」


「…………」


 たしかに。


「プール行けたんだから平気でしょ!」


(そ、そうか……?そうなのか?なんか姉ちゃんに騙されている気がするが……)


「まぁ、透けちゃったらそのときはそのときで。そういう柄のタオルだと思いなよ?」


「透けっ……!?くっ!せっかく納得しかけたのに、余計な事言いやがって!!」


「あはは、ごめんて!まぁ、心頭滅却すれば火もまた涼しって言うし?だぁ~いじょぶだって、奥手を極めし者である真尋の精神力なら!旅行、楽しんでおいでね?」


 さっきとは一変してにこっ!としたイイ笑顔に、嘘はないように思える。一応相談に乗ってくれたわけだし礼を言って部屋から出ようとすると、同じようなイイ笑顔で姉は言った。


「お土産が温泉饅頭じゃなくて赤ちゃんになっちゃったときは、一緒に育ててアゲル♡」


「 ふ ざ け ん な !」


(洒落になんないから!ほんと!!)


 相変わらず敵か味方かわからないような姉に一矢報いるようにそれだけ言って、俺は部屋を出た。


(決めた。俺は僧になる。あらゆる煩悩を捨て去って、悟りの境地に至ってやる……!)


 さぁ、いよいよ楽しみにしていた温泉旅行……もとい、悟りを開く修行旅行の始まりだ。


      ◇


 旅行当日。


「ヒ~ロ~くん!一緒行こ!」


 あいもかわらず学校に行くノリで玄関先に迎えに来た七海と共に、俺は大きめのカバンを手に電車に乗り込んだ。夏休みのお盆時期な週末ということもあり、首都圏は想定外に空いているようだ。そんな車内で足をぷらぷらさせながら、ショートパンツにサマーブラウス姿の七海がこちらを見る。


「えへへ。温泉、楽しみだね!」


「うん。途中で乗り換えれば箱根までは一本で行けるし、案外近くていいよな」


「箱根かぁ……小さい頃、ヒロくんのお父さんに車で連れて行ってもらわなかったっけ?」


「ああ。ふた家族合同で行った小旅行のことか。確かに、そんなこともあったかも。幼稚園入る前だっけ?入った後だっけ?」


「私、小さすぎてよく覚えてないや~!」


「俺も」


 なんか、七海ちゃんの背中に虫がくっついてしまって、『ヒロくん!取って!これ取って~!』って大騒ぎされた記憶しか印象に残ってない。


(ああ、あの頃は良かったなぁ……なんの考えなしに同じお風呂に入って、一緒にアヒルさんでわちゃわちゃしてたっけ?)


 遠くを眺めて僅かな思い出に浸る俺の手を、七海は他の乗客にバレない程度にそっと握る。遠慮がちに、指先を絡めるようにして。


「……思い出、また作ろうね?今度は忘れないようなやつ……」


 その顔が少し赤いように思うのは、俺の気のせいなんだろうか? 首を傾げるようにして覗き込まれると、艶やかな黒髪がさらりと零れる。ここ最近は結んでいることが多かったから、なんだか新鮮だ。換気の為に少し開いた窓の隙間から入ってくる風に煽られてふわっと香るシャンプーの匂い。その大きな瞳には、これから始まる楽しい旅行のわくわくと、少しの期待が込められているような……


(い、いかんいかん! 危うく自己に都合のいい解釈で七海ちゃんが『その気』なんじゃないかと勘違いするところだった……!)


 俺は密かに発生した動悸をおさめつつ、最初の目的地であるロープウェイに向かった。山頂に着くや否や、七海は真っ先に展望台に駆け寄る。


「わぁ~!凄い景色!!山もあって、海もあって、すっごい贅沢だね!アメリカだとこれは無理だなぁ~!」


「あはは。そりゃあアメリカは広いからね。でも、日本じゃ見られない景色が向こうにもあるだろう?」


「うん!大きな滝とか、山脈とか、海岸とか!」


「随分ざっくりした説明だな……でも、七海ちゃんは自然が好きなの?」


「うん!カフェとかスイーツとか巡るのも好きだけど、自然の空気を胸いっぱいに吸い込むのも、また違っていいよね!」


「そうだね」


 屈託のない無垢な笑顔に、心が隅々まで洗われそう。


「ねぇねぇ、ヒロくん!あっち!温泉卵だって!」


「ふふ、七海ちゃんは本当に食いしん坊だな」


「でもでも~!せっかく旅行に来たんだから、名物は須らく網羅しなきゃ!あ、『須らく』っていうのは『当然』とか『当たり前のように』って意味で……!」


 ドヤ!と胸を張る姿も愛らしい。ブラウスのボタンがパツパツで弾けそうなのが少し気になるが。


「それ、こないだ俺が教えたやつだよね?『須らく○○べし』。漢文だ」


「えへへ。せっかく覚えたから使ってみたくて。ヒロくんのおかげで、次のテストは良い点とれるかも!」


「だといいね」


 ああ、どこまでも素直で可愛い俺の幼馴染。どうか、そのままで――

 と。思っていた俺の方が、子どもだったのかもしれない。


      ◇


「わぁ、広い!」


「そして絶景だ!」


 部屋の横一面がガラス張りになった露天風呂付きの客室。流石と言うべきか、姉のチョイスは完璧だった。森と海の両方が楽しめるこの旅館は、『外から見られない』という観点から、露天風呂付き客室は森側に限定されている。しかし、その部屋に隣接した露天風呂は最低限の囲いはあるものの解放感に溢れており、空気は美味しく、隣にある緑豊かな森を眺めながら入浴できるような間取りになっていた。


「すごい!すごいよヒロくん!外にお風呂が付いてる!」


「そりゃあ、露天風呂付き客室だから。いつでも貸切、かけ流し。泊まっている間は朝でも夜でも自由な時間に入れて、誰に見られる心配もないよ。これで夕食は部屋で懐石が楽しめるんだから、ほんと贅沢なプランだよな」


「琴葉お姉ちゃんとヒロくんパパさんに感謝だね!」


「うん。お土産に温泉まんじゅうでも買っていこう」


 一瞬脳裏をよぎった『お土産が赤ちゃんになっちゃったときは、一緒に育ててアゲル♡』という姉の妄言を掻き消すように俺は荷物を隅に置き、テーブルに設置されていた茶器でお茶なぞを淹れ始める。だって、こうでもしてないとなんだかそわそわしてしまって、七海とふたりきりだっていうことをつい意識してしまうから……


「七海ちゃん、ほうじ茶と緑茶どっちがい――!?!?」


 視線を向けると、おもむろに服を脱ぎ、浴衣に着替えていた七海と目が合う。


「ちょ! 七海ちゃん!?!?」


「え? だって、館内着は浴衣って聞いたから。早速……」


「そうですけども!? どうして俺の目の前で着替えるかなぁ!?」


「んっしょ……あれ? Sじゃサイズ小さかったかな? ちょっと前が閉まらない……でも、Mだと丈が長いし……」


 俺の話を聞いているのかいないのか。浴衣に夢中な七海はロリ巨乳の弊害に悩まされながら着替えに苦戦している。


「待って待って!とりあえずここで着替えないでってば!」


 もう浴衣の胸元からチラッチラ覗くおっぱいが危なっかしくて見てられない! いや、ほんとは見ちゃいけないんだけど! ついどうしても見ちゃうだろ!? しかも、足元になんかレースの紐転がってるの見えてるし! それブラジャー!? ってことは今ノーブラで浴衣着て……ああもう!


「七海ちゃん聞いてる!?」


 焦るあまりについ声を大きくすると、七海は胸元を隠すように浴衣をクロスさせたまま不満げに頬を膨らませた。


「だってぇ……同じ部屋なのに。他にどこで着替えればいいの?」


「そ、それは……洗面所に退避とか、言ってくれれば俺は部屋から出てるとか、色々あるじゃん……?」


「それって、面倒じゃない?」


「面倒かもしれないけど、一応俺も男なわけだし……さすがに目の前で着替えられると困るっていうか……」


 ごにょごにょと言葉を濁していると、七海はポロっと愚痴を零すように呟いた。


「別に、気にしなくていいのに……」


「いや、気になっちゃうから……」


「ヒロくんの……ばか」


 そう言うと、七海は帯を締めていないままの浴衣を引きずりながらこっちに向かってくる。胸元とお腹あたりの布地は抑えられているがそれでも太腿は浴衣から大きく露出した状態のままで目の前に来ると、その手を離して俺に抱き着いた。


「見られちゃイヤだと思ってたら、旅行なんて来ないよ……」


「……!」


「ねぇ、ヒロくん?」


 その眼差しは、俺の知っている無邪気なだけの七海ちゃんでは無くて――


「お風呂、一緒に入ろうよ?」


 どうしてこうも、女子は平然と男子に『一緒にお風呂入ろう』なんて言えるのか。


「七海ちゃん……それ、意味わかってる?」


「わかってるよ。ヒロくんがいつも我慢してるのもわかってる。でも、せっかくふたりきりで露天風呂なんだもん、一緒に入りたい……」


「それは、俺にまた我慢しろって?」


 俺だって一緒に温泉を楽しみたいけど、今回ばかりはさすがにツラい。どうにかして諭そうと言葉を探していると、七海は――


「我慢……しなくていいから」


「は――?」


「ヒロくんなら、いいよ……」


 そう、小さく呟いた。

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