第19話 夏休み


 高二の夏休み。そして彼女ができて初めての夏休み。誰がどう考えたって浮足立ってしまうのは仕方がないだろう。ただ、今のところは普段とさして変わらない夏休みとなっていた。一緒に宿題をやるという目的で毎日のように七海の部屋に入り浸る。ついこないだまで部屋にあがるだけで精一杯だった俺からすればもの凄いことなのだが、慣れと言うのは恐ろしい。だが、代わり映えがしないようなそんな日々にも、『夏休みの魔力』を感じることが少しだけあった。


「あ~!今日の分のノルマ終わった~!」


「おっ。今日は速いな。どれどれ……わ。七海ちゃん、結構いいペースで進めてるじゃん?」


「でしょ~?苦手な国語もちゃんとやってるよ。ほら!」


「ほんとだ。この調子なら、八月の後半は気兼ねなく遊び回れるかもな」


「やったぁ!」


 にこにこと両手を合わせる七海に、丁寧に回答が記されたノートを返す。すると、七海はつつい、と傍に寄ってきて俺の首に両腕を回した。


「ねぇ、ヒロくん?ご褒美……欲しいな?」


 そう。これがいつもと違う点。『夏休みの魔力』に当てられたせいなのかはわからないが、ここのところ七海は宿題が終わると、『ご褒美が欲しい』と言ってキスをせがんでくるようになっていた。幼稚園の頃だって毎日のように七海の家に遊びに行ってはいたが、同じように毎日遊びに行っていても、大きくなるとこういう変化もあるわけで――


「ねぇーえ?ヒロくん?」


 すりすりと肌を密着させる七海に、俺は拒否権を持たない。


「わ、わかったよ……」


 ――ちゅ。


 要望通りにキスすると、七海は満足そうにぎゅうっと俺のことを抱き締めた。


「えへへ!頑張るとご褒美があるのって、いいね!」


(俺のキスをご褒美だなんて言ってくれるなんて……)


 ふたりだけの空間に、少し生温い扇風機。抱き締められる感触に、嬉しそうな笑顔、そしてキスの味……


(甘い……甘すぎるぞ、夏休み。しかも、やっぱり七海ちゃんは積極的だし……)


 こんな毎日ならもう二度と宿題が終わらなければいいのに、なんて考えるくらいには、俺は幸せ絶頂期だった。下半身をセーブするのにめちゃめちゃ集中力を使うというデメリット以外は。


「そ、そうだ」


 俺はそんなデメリットと戦いつつ、右半身にへばりつく七海をちょっと引き剥がして話を持ち掛ける。


「宿題が終わったら行きたいところ、考えてくれた?」


「ん~。それがね、いくつか候補があって、まだ悩んでて……ヒロくんの方は?」


「俺は――」


 率直に申し上げるならプールに行きたい。というか七海の水着が見たい。でも浴衣で花火もイイから夏祭りも捨てがたいし、こうして家でただイチャつくのが一番幸せなような気もしている。だが、そのどれもこれもがなんとなく下心に満ちているように思ってしまうのは俺が男子高校生だからだろうか。


(リア充って奴らは一体どうやってそういうデートに誘ってる? 下心上等な玉砕アタックなのか? バレてなんぼ? それとも、涼しい顔して息を吸って吐くように誘えばナチュラルな流れが作れるの?)


 残念ながらそれらのテクニックがまるでわからない俺は結局、七海が『プール行きたい!』と言い出すのを期待して、『宿題が終わったら行きたいとこリスト』の案をお互いに持ち寄ることにしたのだ。


「俺も、まだ決まってなくて……」


 困った末にそれだけこぼすと、七海は俺の指先をちょいちょいと両手で持って上下に揺らした。


「だったらさぁ!私が行きたいところ、全部行ってもいい!?」


「いいけど……」


(どこだろう?)


「まずはね、夏祭りに行きたい!ジャパニーズ盆踊りを見てみたいの!」


(……グッジョブ!)


「いいね。屋台のご飯も趣きがあるし、ふたりで行けば安全だろうし。浴衣も涼しいし……」


 それとなく示唆してみると――


「浴衣!着てみたい!」


(……エクセレント!)


 やっぱり七海ちゃんは素晴らしい。期待を裏切らないというか、好奇心旺盛でこっちまで楽しくなるというか。それでいて人見知りだからぼっちじゃ行動できないし、こう、そこはかとなく庇護欲をくすぐる意味でも百点満点な彼女だ。ほんと、ひいき目無しに。いや、完全にひいきしてるけど。別にいいだろ?彼氏の俺がひいきしないで誰がひいきするんだよ?ああ、はい、どうせ浮かれてますよ。これが浮かれないでいられますかよ!?


「それでそれで?他に行きたいところは?」


 グッと身を乗り出して顔を覗き込む。


「あとね、プールにも行きたいし、遊園地にも行きたいんだけど……」


「ああ!いいね、いいね!」


(キタキタキタ……!)


「でもね……」


(……あれ?)


 テンションがうなぎ上りな俺に反して、七海はどこかもじもじと大人しくしている。何を言い出すのかと思えば――


「でも……ヒロくんとおウチでこうしているのも楽しいなって思って。決められないの……」


 まるで外出する親を引き留める幼子のようにちょいちょいと服の裾を引く姿。『もうちょっとイチャイチャしてよ?』みたいな甘える視線。でも言い出せない恥じらいと、察して欲しい乙女心……!


(はぁあああ……!かっわいい……!)


 俺は思わず七海を抱き締めた。


「もうずっとおウチに――」


 何もかもどうでもよくなってそう言いかけた矢先、ポケットのスマホがブルブル揺れる。着信だ。


(……ったく、誰だよ?こんなときに……)


 そうは思いつつ最近は七海と常に一緒にいるので、俺にとっては大体『こんなとき』だ。イラっとしながら電話に出ると、出た瞬間にブツッと切れて入れ違うようにLINEが届く。


 ――『うら若き青少年に、とっておきの贈り物だ!』


(姉ちゃん……)


 贈り物は嬉しいが、このタイミング。なんとかならなかったのか?俺が家にいるときでいいじゃん?なんでわざわざ電話してまで……そう思いつつ文面をスクロールする。どうやらボーナスが出た父さんから臨時でお小遣いをせびり取っ――貰ったらしい。


(相変わらずそういうのばっかり巧いな、我が姉は)


 半ば呆れつつ眺めていると、見逃せない文字が。


 ――『真尋の分もお小遣いまとめて貰っておいたから、プレゼントしちゃう!』


「『プレゼント』って……それ、父さんからだろ?」


 あとでお礼言わなきゃ。


「なになに?琴葉お姉ちゃんから?」


「ああ、うん。父さんからお小遣い貰ったらしくて」


 ひょっこりと覗き込む七海に文面を見せると――


「……温泉旅行?」


(……え?)


 きょとんとした声に、思わず文面を二度見する。そこには、『カップルで行きたい!個室露店風呂付き絶景温泉!』のURLと、『ご予約が完了いたしました』の文字が。


「わぁ……温泉行くの?いいねぇ!」


 まるで俺と姉で行くのかと勘違いしているのか、『お土産は温泉まんじゅうがいいな!』なんてこっちを見る七海。だが、姉が言いたいのはそういうことではない。


(コレに誘えっていうのか……?『カップルで行きたい!個室露店風呂付き絶景温泉』に!?)


 個室の……露天風呂に!?


 だが。ご丁寧に予約まで済ませているところを見るに、姉は本気を出したようだ。しかもこんなリッチなプラン、おそらくは父さんに貰った小遣いの二人分を費やしているんだろう。自分の分を捨ててまで、弟に彼女と温泉旅行に行かせたい姉……


(あああ……!姉ちゃんはこれだから!!)


 優しいんだか、無茶ぶりが過ぎるんだか。

 ……両方だよ!!


 加えてこのタイミング。俺が七海といるときを狙いすました一撃。『どうせ隣にいるんだから、流れで誘え』って? 気が利くな!!


 俺はここで退いたら男が廃るとばかりにスマホの画面を七海に見せた。


「七海ちゃん、これ……」


「??」


「温泉……一緒に行こう?」

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