第18話 コンクール
夏休みに入り、吹奏楽部の練習もいよいよ大詰め。朝早くから日が暮れるまで、夏の暑さと戦いながら音楽室に籠る日々を送っていた俺を癒してくれたのも、やっぱり七海だった。
「あ。ヒロくんおかえり~!」
「た、ただいま……」
俺達の住む最寄り駅までいつも迎えに来てくれて、『お疲れ様!』って笑顔を向けてくれる彼女。その『おかえり』と『ただいま』ですらなんだか新婚みたいでこそばゆい。
「今日は遅かったね。やっぱり練習、大変なの?」
「うん。今日はソロパートを担当してる人だけで居残り練があったから。七海ちゃんも、あんまり遅い時間は心配だから無理に迎えに来なくても……」
そう言いかけると、七海はちょい、と口を尖らせて不機嫌そうに顔を逸らす。
「わ、私が迎えに行きたいの……学校がなくて、寂しいから……」
(うわ、可愛……)
「ねぇ、せめて帰りの時間くらいは一緒でもいいでしょ?」
「うん、もちろん。お迎え、ありがとう?」
「ふふふっ!」
ぎゅっと握られた手を、汗をかいていない方の手でそっと握り返す。
「ねぇねぇ、ヒロくん?アイス食べて帰ろうよ!部活で頭が疲れてるでしょ?そういうときは甘いものだよ!」
「別にいいけど、またアイス?今週三回目じゃない?」
「じゃあスタバでもいいよ」
「七海ちゃん、お腹空いたの?」
その問いかけに、もじもじと言葉を詰まらせる七海。
「お腹空いたっていうか……もうちょっとヒロくんといたいなぁって……」
つまりデートしたかったんですか?
(はぁ~……!かわっ!天使!!)
もはや何も聞くまい。俺は嬉しそうな七海の手を引いてスタバに足を踏み入れた。
「七海ちゃん。週末のコンクール、是非見に来て欲しいんだけど――」
「いいの!?行く行く!」
がばっ!と椅子から立ち上がっては周囲の視線に気がつき、しゅぅ……と座り直す。
「ふ……そんなにがっつかなくてもチケットなんて無いし、来るのは生徒の親とか関係者ばかりだから、そうそう席も埋まらないよ」
「あ~!笑ったなぁ!!」
「だって、七海ちゃんがあんまり勢いよく立つから……ふふっ」
「むぅ。ヒロくんいじわる……」
「ごめんて。でも、七海ちゃんが来てくれるなら安心だな」
「……安心?」
「うん。良い演奏ができる気がするから」
◇
そうして迎えたコンクール当日。朝からそわそわとして緊張の汗ばかりかいているよしりんに『いつも通りやれば大丈夫』と言い聞かせつつ、俺達吹奏楽部は本番を迎えた。練習の甲斐もあって演奏はバッチリだった。これなら金賞、全国大会進出も夢じゃないかもと思っていたのだが。席について他の学校の演奏に耳を傾けていると、背筋をぶわっと撫でられるような感覚に陥った。
(なっ――なんだ、コレ……!)
全身に鳥肌が立って、音が自然と耳の中で調和を奏でる。感動とか上手だなとか思うよりも先に、ゾクゾクとした感覚だけが全身を駆け抜けていた。ただ呆然とその音に魅入られ、隣に腰掛けるよしりんも俺同様に言葉を失っていた。
(ああ、上には上がいたのか……)
コンクールは2位だった。
全国進出までは一歩及ばす、
俺達の夏は、終わった。
全ての表彰を終え、部長がトロフィーを手に涙ながらに部員の皆に『ありがとう』と言っている。綺麗で優しい、
確かに、今思い返しても俺達は全員が全員ベストを尽くせたといえる演奏ができただろう。でも、それはあくまで俺達のベストであって、全国レベルには今一歩及ばなかったということか。悔しい。けれど後悔はなかった。それはきっと先輩も、ここにいる全員がそうだったんだろう。
「だから泣くなよ、よしりん」
「うぐっ。ひぐっ。だってぇ……!」
「演奏を終えたとき、あんなに満足そうな顔してたじゃないか?」
「それはそうですけど、でも、部長たちは最後のコンクールで……!私、先輩の力になりたくて……!」
「ずっと横で聞いていたけど、そんな俺からしても今までで一番の演奏だった。胸を張ってもいいと思うよ」
「先輩……でも!私!悔しいですっ……!」
小さい肩を震わせながらぐしぐしと涙を拭う後輩の頭をそっと撫でる。
「うん、俺も悔しい。その悔しさは、来年必ず――」
「うぐっ。わ、わかってますよぉ……!」
「だから泣くなって?」
「ずびっ。な、泣いてないもん……!」
「顔ぐしゃぐしゃだぞ?」
「……うっさいです」
そんな泣きべそなよしりんが落ち着きをみせる頃、指導者の先生からの話も終わって俺達は各自解散となった。去年と同じなら、この後は各学年の友人と打ち上げに行ったりするのが通例だ。よしりんは『あ~。よしりん、べしゃべしゃじゃん!』とか言われながら肩を叩かれ、一年生の女の子達に連れ去られていった。ひとりどうしようかと佇む俺の元に、いつも弁当を食べるメンバーのひとり、俺と七海の数少ない友人の
「フルートも解散?」
「ああ、そっちも?トランペットは人が多くて大変そうだな?」
「そーでもないって。パートリーダーの部長がほとんど話してくれたし、なんつーか、その。部長になんて声かけたらいいかわかんなくてさ……」
「皆そうだと思う」
「元気になってくれればいいんだけど……」
「部長は強い人だから、きっと大丈夫だよ。なんなら光也が元気出させてあげたら?デートにでも誘ってさ?」
「はっ!?ちょ、
「いいじゃん?夏はこれからなんだし」
そう指摘すると、真っ赤になって慌てだす光也。そう、本人に自覚があるのか無いのかは知らないが、光也は部長のことが好きだったりする。
「こ、こんなときに不謹慎だって……」
「別に今誘えとは言ってないよ」
「あ、当たり前だろっ!?あ~もう!おちょくりやがって!リア充はこれだから!!」
(え……?)
俺と七海が付き合っていることは、誰にも言っていないのに。むしろ秘密にしてたのに。七海ちゃんがビッチと思われたらイヤだからって。
「誰がいつリア充になったって?」
誤魔化すようにジト目を向けるが、光也は長~いため息を吐く。
「あのさぁ。アレで隠してるつもりかよ?」
その視線の先には、柱の影からひょこひょことミーティングの様子を伺う七海の姿が。
「
「ちょ!俺と七海ちゃんは付き合ってないって!」
「へ~。『七海ちゃん』」
「うぐ……!」
「ふたりのときはそう呼ぶんだ?」
「だから、違ッ……!」
「なんで隠すんだよ?つーか、バレバレ。距離は近いし、真尋のあんな楽しそうな顔ついぞ見たことないし。祐二も遼平もとっくに気が付いてるぞ?あと、一部の女子も」
「うそ」
「ほーんとだって。知られたくないなら俺達から言いふらすなんてことしないけどさ、無駄だと思うぞ?学年の打ち上げなら俺の方でテキトーに誤魔化しておくから、行ってこいよ?」
「え。いいのか?」
「モチのロン。その代わり、今度オススメのデートスポット教えてくんない?」
「なんだそれ……まぁいいや。ありがとな、光也!」
からかうような光也の気遣いに感謝しながら七海の元に向かうと、そわそわとした上目遣いが待っていた。
「もう、いいの?」
「うん。今終わったとこ」
「あの、その……私はすごく良かったと思うんだけどな……」
きっと銀賞、二位だったことを七海なりに励ましてくれているのだろう。その思いやりがなんだかあったかい。
「ヒロくんのソロのところなんて、私感動して、ぶわって鳥肌立っちゃって。他の学校もみんな上手だったけど、私にとってはヒロくんのが一番……」
「七海ちゃん……」
「あ、ごめんね!素人なのに色々言っちゃって……」
わたわたとする七海だったが、俺にとってはその言葉こそ最高の労いだった。
――『私にとってはヒロくんのが一番……』
それに、七海の耳は何も間違っていない。だって、俺が一番聴いて欲しい人は、その音で心地よくなって欲しい人は、いつだって七海なんだから。
「やっぱり、七海ちゃんが来てくれてよかったよ」
「ふぇ?」
「おかげで、人生で一番いい演奏ができたから」
去年の俺では決して出来なかっただろう演奏。だけど、七海が傍にいてくれるなら、来年はきっともっと良い音が奏でられる。
「ありがとう、七海ちゃん」
俺は夏らしい水色のワンピースから伸びる、細くて白い華奢な手をそっと握った。
――俺の夏は終わった。けど、『俺達』の夏はこれからだ。
「ねぇ、次はどこにデートに行きたい?」
「え?」
「俺は、七海ちゃんと色んなところに行きたい。一緒にいると楽しいっていうのは勿論なんだけど、思い出が多ければ多いほど、音楽っていうのは深みを増していくらしいんだ」
「そうなの?」
「うん。色んなことを見て、聞いて。体験したことを音に乗せる。俺は、それができる奏者になりたい。だから……ダメかな?」
そう尋ねると、七海はこれ以上ないほどにっこりと微笑んだ。
「素敵だね!うん……ヒロくんならきっとできるよ!絶対できる!」
「ありがとう」
七海がそう言ってくれるなら、俺はたしかにできるんだろう。
(ああ、どこに行こうかな……七海ちゃんといれば、どこでも楽しいだろうけど)
七月終わりの夏。今までで一番楽しみな夏休みが、こうして幕を開けたのだった。
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