第9話 アイスクリーム ~七海視点~
ヒロくんは、優しい。
初めて会ったのがいつだったのか、いつから遊んでいたのかなんてもう覚えてないけれど、それくらい私とヒロくんが一緒にいるのは当たり前だった。私が転ぶとすぐに駆け寄って来てハンカチを渡してくれて、『七海ちゃん、大丈夫?』って。その声を聞くだけで心がふわっと安心するんだから、やっぱりヒロくんは凄い。
お父さんの海外転勤が終わったと聞いて、私にはふたつの選択肢が与えられた。ひとつは、このままアメリカの高校で過ごして大学に進学すること。ふたつめは、お父さんと一緒に日本へ帰ること。もし一つ目の方を選んでいたらお母さんは私が高校を卒業するまでは一緒にアメリカに残ってくれると言っていた。大学では独り暮らしをしなさいねって。けど、私が選んだのは日本へ帰ることだった。だって、日本には――
駅近くのアイスクリーム屋さんで三段重ねのアイスを片手に、ヒロくんが心配そうな顔つきで問いかけてくる。
「それで、今日の演奏どうだったかの感想……聞いてもいい?」
ヒロくんの演奏は、初めて耳に入ってきたときからすぐにわかった。だって他の音とは全然違うから。なんていうか、澄んでいてどこまでも伸びていく感じがするのに、それでいて芯が通っているっていうか。いつも傍にいる安心感みたいなのがある音。それはまるでヒロくん自身を表したみたいな音で。でも……
(正直にそう話すのはなんだか恥ずかしいな……)
私はたどたどしい言葉で感想を伝える。
「ヒロくんの演奏は、他の誰の演奏よりもキレイで、伸びやかで……なんていうか、聞いていてすっごく安心感があった!」
「そ、そう?」
「うん!ソロのところとか、すっごく難しい譜面なんだろうなっていうのは素人の私でもわかったんだけど、でも、聞いてるときはただただ気持ち良くて、ずっと聞いていたいなぁって。そう思ったよ」
素直にそれだけ答えると、ヒロくんはホッとしたような表情を浮かべる。それと同時に、なんだかとっても嬉しそう。ヒロくんが足の爪先をぴこぴこ上下に動かすのは、昔と変わらない嬉しいときの癖だった。
(変わらないなぁ……)
何年経っても、ヒロくんはヒロくんだった。10年ぶりに再会したとき、私はそれが嬉しくて。こうして一緒に学校へ行ったり、アイスを食べたり……
(アイスか。懐かしいなぁ)
幼稚園の頃。夏休みは毎日のように一緒にアイスを買いに行った。でも、あの頃三段重ねのやつが食べられるのは月に一度のサービスの日だけ。私とヒロくんはそれをとても楽しみにしていて、お母さん達の手を引いて一緒にアイス屋さんへ行ったの。
『わぁ!こんなにたくさん!どれにしようかな?』
『ふふ、迷っちゃうね』
『ねぇねぇ、ヒロくんはどれにする?わたしはね、いちごと、チョコと、あのオレンジのやつと……』
『七海ちゃん、みっつまでだよ?』
『でもでも~!』
『ぼくもチョコがいいな。あとは……』
一緒に選ぶ時間ですらも楽しくて。店員さんに渡されたアイスに一緒になって目を輝かせたっけ。でも、私はあのとき嬉しさのあまりアイスをつつきすぎちゃって、一番上のチョコレートをぽろりと落としてしまったの。
『ああぁ……!』
自分の愚かさに泣きべそを掻きそうになっていると、ヒロくんは自分のアイスを差し出してこう言った。
『ぼくのやつ、あげる』
『そ!そんなことできないよ!だってそれはヒロくんのやつだもん!』
『だって、七海ちゃん泣きそうなんだもん』
『そんなことないよぉ!』
ぐしぐしと袖で顔を擦る私の前に、ヒロくんは困った顔をしてスプーンをそっとのばした。
『じゃあ、はんぶんこしよ?』
『え……?いいの……?』
『だって、いっしょに食べるのがおいしいんだから』
『……!』
(ふふ、懐かしい……)
久しぶりに食べる鮮やかなアイスにそんなことを思い出していると、不意に目の前にスプーンが差し出された。私が迷った末に結局違うやつを選んだ、チョコクッキーのアイス。
「あ……」
不思議に思ってヒロくんの方を見ると、ヒロくんはおだやかな口調で言う。
「七海、これ食べたかったんじゃないの?」
「え、いいの……?」
首を傾げると、ヒロくんはあの頃と変わらない笑顔を浮かべる。
「だって、一緒に食べた方が美味しいじゃん?」
(……!)
「ふふ、そうだね!」
私は喜んでそのスプーンにパクついた。
「ん……!美味しい!!美味しいね!」
「そっか。ならよかった」
(やっぱり、何年経ってもヒロくんはヒロくんだなぁ……!)
あのフルートの音色のように、ずっと傍にいてくれたらいいのに。
私は思い切って口を開く。
「ねぇねぇ、ヒロくん?」
「なに?」
「もうすぐ期末テストっていうのがあるんだよね?」
「ああ、七海は日本の期末テストは初めてか。期末テストは普段授業でやるみたいな小テストとは違くって、自分の実力全てを測るテストになってて。要は大きいテストなわけだけど……」
「それって、ちゃんと勉強しないとダメなやつだよね?私、まだ古文と漢文がよくわからなくて、それで……」
勇気づけるように少し呼吸を置いたあと、続ける。
「ヒロくんさえよければ、今度勉強教えてくれないかなぁ?私、代わりに英語教えるから!」
「え、でも……いいの?」
「うん!テストまでまだ時間があるし、次の月・火・水はお父さんとお母さん、出張なんだって。だから……私と一緒に勉強合宿、してくれないかな?」
「……!」
そう尋ねると、ヒロくんは口元に手を当てて少し顔を逸らす。
(あれ……?イヤだったかな?お隣さんなのに合宿とか、意味ないよって……?)
私としては、意味があるんだけどな……
しばしの沈黙のあと、ヒロくんはそっと口を開く。
「いいよ。やろうか、勉強合宿。ウチの週末の予定も聞いてみる」
「ほ、ほんと……!?」
「うん。俺も英語のリスニングとか苦手だし、七海に教われるなら心強い」
(やった……!)
「じゃあじゃあ!お部屋、綺麗に片付けるね!」
「別に気にしなくてもいいよ。部屋の片づけならむしろ俺の方が……いや、なんでもない」
「??」
(ヒロくんちょっと焦ってる?見られちゃまずいものでもあるのかな?中学校のアルバムとか?見てみたいなぁ……)
「それじゃあ、何時に来るかとかはまた相談して決めよう」
「うん!楽しみにしてるね!」
こうして、私はヒロくんと勉強合宿をすることになった。日本に帰ってきてから友達の家に遊びに行くのは初めてで、私がヒロくんとは別の意味でちょっとどきどきしていることは、今はまだ内緒――
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