第8話 部活と後輩と片想い
放課後になり、俺は帰り支度をしている七海に声をかける。
「あのさ、実は俺今日は部活があって、一緒に帰れないんだけど……」
だが、ここで『ひとりで大丈夫?』なんて聞いたら『うん!平気だよ!』なんて元気な答えが返ってきてしまうんだろう。俺を心配させまいとして。そう思うと、最後まで言い出せない自分がいる。
それになにより、心の底では部活なんてサボって七海と帰りたい。帰り道が心配というのもあるし、何より俺自身が七海と一緒に下校するのを楽しみにしていたからだ。もう恥も外聞もなく完全に認めるよ。俺は七海ちゃんが好き。一緒にいる時間が一番楽しい。だから、できることなら部活が終わるまで待ってて欲しいな、なんて。女々しくも期待を込めた視線を送ってみたりしていると――
「ヒロく……真尋くん部活!?見たい見たい!私、真尋くんの演奏聞きたい!」
「え?」
「吹奏楽部、なんだよね?部活の見学とかって、させてもらえたりしない……かな?」
「どうだろう?新入生歓迎のシーズンは終わっちゃってるから、部長に聞いてみないとなんとも……けど七海、楽器の演奏なんてできたっけ?」
そう尋ねると、しばしの沈黙がカチコチと流れ――
「――あ。」
きょとんな表情で口を開ける七海。
「な、なんもできない……リコーダーとピアニカしかできない……」
(ああ、幼稚園の頃ぷかぷか吹いてたアレか)
口が小っちゃいせいなのか肺活量が足らないのかは知らないが、たまに『ふかっ』みたいな空振り音が出て、可愛いけれどお世辞にも上手とは……
「さすがに部活入る気ないのに見学とか、迷惑だよね。どうしよう……」
チラチラと行き来する視線が、『でもヒロくんの部活見てみたいなぁ……』的な心境を訴えている。そんなに俺の演奏聞きたいの?あぁ~、もうどうしようもなく可愛い。
「わかった。じゃあ、屋上の鍵を開けるからそこで待っててよ。フルートは人数少ないから、いつもパート練習のとき音楽室に面したベランダでやるんだ。今日は七海の方に向かって吹いてみる」
「いいの!?」
「うまく聞こえるかわからないけど、それなら少しは気分が味わえるんじゃない?」
そう答えると、七海はこれ以上ない!ってくらいにとびきりの笑顔で『わぁ!楽しみにしてるね!』と両手を合わせるのだった。
◇
吹奏楽部の主な活動は夏のコンクールと秋の文化祭、演奏会に向けたものが主となる。もし運動部が大会で進出とかすればその応援に行くのも活動のうちに入るわけだけど、夏前のこの時期はもっぱら七月のコンクールに向けてのものだった。去年は銀賞。二位で惜しくも全国行きを逃しているので、『今年こそは』という二、三年生たちの意気込みも大きなものだ。音楽室に足を踏み入れると、入るや否や小柄な女子生徒がぴょこんと俺の前にあらわれた。
「せんぱ~いっ!おそ~い!!」
手には銀色の横笛と楽譜を持ち、ふんわりとしたベージュのミディアムボブを揺らして頬をぷくっと膨らませる。短い丈のスカートから覗く脚をじたばたとさせて、まるで駄々っ子か。
「別に、遅刻してないじゃん」
「でもギリギリですっ!もう他のパートは練習始めてますよ!ウチは先輩が来ないと練習できないんですからぁ!」
「なにせふたりだしな」
ウチの吹奏楽部に所属するフルート奏者は俺とこの『よしりん』のふたりだ。元からフルートは奏者の数が多くなく、去年は三年の先輩と俺のふたりだったのだが、先輩は卒業してしまったので今年からは後輩のよしりんと俺。よって必然的にパートリーダーは俺になるのだが……
「よしりんだって経験者で上手いんだから、ひとりでも大丈夫だって。もし俺が遅れたら勝手に始めてていいよ」
「なにソレ嫌味ですか!?コンクールのソロパート、担当は先輩じゃないですかぁ!」
「それは、上級生だから情状酌量的な?」
「ソレが許されるのは三年生だけですっ!先輩のが上手いくせに!もう~っ!いいから始めましょ!」
ぐいぐいとシャツを引っ張るよしりんに促され、俺達はベランダに椅子を持って出た。屋上に向かって目を凝らすと、ピンクのハンカチをパタパタさせてこちらに手を振る七海の姿がちらりと見える。
(応援団かっての……)
でも、人に見られているという緊張感のせいかなんとなく気合は入る。それに、俺だってできることなら一番いい音色を七海に聞かせてあげたい。
「じゃあ、少し慣らしたら早速課題曲からいこうか」
「は~い!」
そうしてしばらく空に音色を響かせること数十分。軽く合わせが終わって個々に気になるところを指摘しあおうかと思った矢先に、よしりんが口を開いた。
「……先輩、なんかイイことありました?」
「え?」
「なんか、今日はやたら上手いっていうか、音の伸びがいいっていうか、演奏が伸び伸びしてるっていうか……音デカくないですか?」
ぎくっ。
(そりゃそうだ。屋上まで響かせようとして気合入れてるんだから)
首を傾げながらジト目を向けるよしりん。『今日は調子がいいだけじゃない?』と笑って誤魔化すも、乙女のセンサーは欺けなかったらしい。
「……女ですか?」
「えっっっっ」
じーっ。
「そ、そんなんじゃないよ……?」
「あーっ!その顔、絶対女だ!先輩彼女できたの!?どーして!?先輩は奥手の権化なんじゃなかったんですかぁ!?」
「だからそんなんじゃないって!なんだよ奥手の権化って!!」
「だぁって!私みたいな『美少女☆フルート少女』と毎週毎週ふたりきりで練習してるのに!これっぽっちも恋に落ちないなんておかしいですよっ!」
「そう言うお前の脳みその方がおかしいよ!?」
「なんでぇ!?だって男女でパート練っていったらテッパンでしょぉ!?」
「少女漫画の読みすぎだ!」
「おかしい!おかしい!ぜーったいおかしい!わぁ~ん!先輩は私の先輩なのに~!」
(くっ……!どっかで聞いたような台詞だな!?姉ちゃんといい、どいつもこいつも……!)
よしりんは、中学の頃は全国常連の学校にいたらしく演奏自体は文句がないほどに上手い。だが、その思考回路はピンク色っていうかお花畑っていうか……割と『困ったちゃん』だった。ジタバタと足を踏み鳴らすよしりんに、呆れ散らかしてもはやため息しか出ない。
「誰が『私の先輩』だよ?そういう、人をモノ扱いするところがまずダメだね。そんなんだから美少女のくせに非モテなんだぞ?」
「ぐうっ……!先輩こそ、頭良くてそれだけフルート上手いのにどうして彼女できないんですか?」
「くっ……!俺が聞きたいよ……」
むしろ、今後の参考のために教えてくれ。俺のどこが良くてどこがダメなのか。
「じゃあ聞くけど、よしりん的にはさ、どういう人が『イイな』って思う?」
「えっ?私ですか?」
「うん」
問いかけると、急にもじもじとし出すよしりん。
「わ、私はぁ……やっぱり優しい人がいいなぁ、なんて……?」
相変わらず、ちらちらとした上目遣いがいちいちあざとい奴だ。なんかいかにもわざとらし……小悪魔っぽいっていうか作為的に感じてしまうのは俺だけ?それともよしりんがぶりっ子的な才能溢れる女子ってことなのか?いや、やっぱ少女漫画の読みすぎだよ。俺的にはもっと自然体にしてた方が可愛いと思うのに。
「よしりんも、もっと普通にしてたら可愛いのに」
思わずぼそっと呟くと、よしりんは肩をびくっ!とさせて急に大人しくなってしまった。そして――
「先輩こそ……先輩こそ、どういう女の子が『イイ』と思うんですか?」
「俺?」
「はい……」
「そうだなぁ……」
視線を虚空に向けて考える。視界の端に映る屋上。そして、まだそこに居るであろう七海。
「目がうるっと大きくて純真無垢。幼げなんだけど胸は大き――スタイルは良くて、いつもにこにこしてる女子かな?無邪気に話しかけてくるのが可愛くて思わず守ってあげたくなる感じ」
そう言うと、よしりんはガバッ!と椅子から立ち上がった。
「なんですかその具体的にも程がある回答は!!推しを語るオタク特有の早口ですか!?やっぱ女じゃないですかぁ!?!?写真!写真ないんですか!?彼女さんの写真!」
「えっ、いや、だから彼女なんていないって――」
「嘘、嘘!今先輩その人のこと思い出しながら答えてましたよね!?ぜーったいそうでしょう!?じゃなきゃそんな答え出てこないもん!」
「うっ……?」
言われてみれば、そんな気がする。てゆーか、俺いまそんなに早口だった?図星を突かれてしどろもどろになっていると、よしりんはため息をついて椅子に腰をおろした。
「ほんと~に、彼女じゃないんですね?」
「だからいないって」
「……じゃあ先輩の片想いだ」
「……!」
――『片想い』。そう言われると、なんだか胸の奥が苦しくなる。切ない、寂しい。だって、こんなに好きなのに。
「そう、なのかな……?」
思わず言葉をこぼすと、よしりんは俺の肩にぽん、と手を置いて耳元で囁いた。
「いいから、洗いざらい吐いてくださいよ。人に話せば、幾分気が楽になりますよ?ほらほら、よしりんが全部聞いてあげますから。ね……先輩♡」
「…………」
「その人の、名前は?どこで初めて会ったんですか?」
「それは――」
言いかけていると、音楽室の中から『パート練終了~!集まって~!』という部長の声がして、俺は我に返った。ハッと顔をあげると同時に、舌打ちするよしりん。
(危なっ。小悪魔に騙されて
俺は平静を装いつつ、それらしく先輩風を吹かせる。
「うん。パート練習、お疲れ様でした。音楽室に戻ろうか?」
「チッ……次はこうはいきませんからね、先輩?」
「よしりん、素が出てる。今舌打ちしただろ?」
「え~?そんなことないですよぉ~?」
ぶりっと表情を一変させて、よしりんはフルートを手に音楽室へと引っ込んだ。そして目を細めて欲深そうな表情でぼそりと呟く。
「いつか、先輩の音色も先輩も、全部私のモノにしてみせますからね……」
(あーあ。勿体ないなぁ……)
よしりんは、作り笑顔なんてしないで、そういう顔をしてた方が自然で可愛いと思うのに。
◇
部活を終えた俺は、よしりんが同学年の友達と話し込んでいる隙にそそくさと帰りの支度を整えた。七海が待つ屋上へとそわそわと足を向けていると、ちょうど階段の上から降りてきたのは――
「あ!ヒロく……真尋くんお疲れ様!」
「お待たせ。まだ慣れないの?その呼び方」
「だって、ずっと『ヒロくん』て呼んでたんだから、しょうがないよ?」
(それもそっか……)
正直『ヒロくん』と呼ばれること自体はなんとなく特別感があって個人的には好きだ。幼馴染にしかない、特別な呼び名。だからだろうか、俺もふたりきりのときや咄嗟に口を突いて言葉が出るときは未だに年甲斐もなく『七海ちゃん』と呼んでしまったりするわけで。
「まぁいいけどさ。なんかお腹空いたな……せっかくだし、今日はどこか寄り道していかないか?何食べたい?」
「うーん……」
その問いに、しばし考える素振りをする七海。だが、俺は内心ちょっぴりドキドキしていた。だって、こんなのどう考えても放課後デートだろ?
それにしても、我ながらよくもまぁここまで自然と誘えたものだ。なにせこの流れは、先日から本気を出した姉に伝授された『つい行ってしまうデートへの誘い方その①』なのだから。どこかへデートへ行く際、『何を食べたいか?』まで一気に聞かれると、デート云々の前に食べ物のことを考えるのに頭がいっぱいになるとかならないとか。しかし、『行くか行かないか』という思考をすっ飛ばして『どこに行こうかな?』と頭を悩ませる七海を見る限り、効果はてきめんなようだ。
(さすが姉ちゃん……伊達にデートに誘われ慣れてないな)
家ではあんなにずぼらだが、姉は顔が良い上に本気を出せば外面も良い。それ故に、こういうところは頼りになると思う。そわそわしつつも平静を装い返答を待っていると、七海はにこっと『アイス食べたい!三段のやつ!』と答えるのだった。
(放課後に、アイスでデートか……悪くない)
俺は内心でガッツポーズ。
「ああ、そういえば。演奏、ちゃんと聞こえた?」
「うん!他の子も部活してたから色んな音が聞こえてきたけど、ヒロくんのは『あ。これ!』ってすぐにわかったよ!」
「どうだった?」
どきどきしながら尋ねると、七海はイタズラっぽい表情で人差し指を口元にあてる。
「あのね、一言じゃあ表せないからあとでゆっくり話すね!」
「なにソレ。気になるじゃん……」
「でもでも!すっごくよかった!それだけは絶対だよ!」
楽しそうなその表情が、演奏は確かに良かったのだと教えてくれた。そのことがどうしようもなく嬉しくなる。
(ああ、七海ちゃんが幼馴染でよかったな……)
たとえ片想いでも構わない。今はこのひとときが、幸せ以外のなにものでもないから。
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