第3話 呼び方
俺達の家から学校への道順は、駅まで15分、電車で20分、学校まで歩いて10分の一時間弱コース。ひとりで毎日通うのは結構面倒くさいけど、今日は七海が一緒だから内心それどころではない。だって、高校生が男女そろって仲良く歩くこの様子はどう見ても……
「あら~!
そう声をかけてきたのはいつもこの辺を配達で回っているヤクルトおばちゃんの
「あ、おはようございます五十野さん。いつもお疲れ様です」
そそくさと『彼女発言』をスルーしようとする俺に、おばちゃんは無慈悲にも追い打ちをかける。
「これまた可愛い彼女さんだねぇ!ウチの息子なんていつまで経ってもそんな子のひとりもできないで家でゲームばっかりよ!仲良く一緒に登校だなんて、青春しちゃって!あたしも昔は旦那の自転車の後ろに乗って……うふふ!微笑ましいこと!」
(あああ、おばちゃん……!頼むからそれ以上喋らないでくれ!息子さんの沽券的な意味でも!)
はわはわと冷や汗が止まらない俺をよそに、きょとんと覗き込む七海。
「ヒロくん、お知り合い?」
「ああ、この方は五十野さんって言って――」
「こんにちは、五十野です。通りの向こうに住んでいて、この辺を担当してるヤクルトおばちゃんです!真尋ちゃんが身長高いのはおばちゃんのヤクルトのおかげなのよ?ふふふ!」
「こ、こんにちは!私、昨日ヒロくんの家の隣に引っ越してきた
「あら、ご近所さんだったのね!イイわねぇ~!ヤクルト、いる?」
そう言って七海はあれよという間に試供品とチラシを渡され、『わぁ……!ジャパニーズヘルシースムージー!』とか言いながら興味深そうにしげしげとそれらを眺めている。おばちゃんは去り際に俺の肩にぽん、と手を置くと、俺にしか聞こえない声で呟いた。
「七海ちゃんには、もうヤクルト要らないかもだけどねぇ?」
その視線は無論、七海のふんわりとした胸部に注がれている。
「電車に乗る時はちゃあんと守ってあげなきゃダメよ?ぽやぽやしててあんなに可愛い子、痴漢が放っておくわけないんだから」
「それは……!」
「おばちゃん、忠告したからね?」
にっと笑っておばちゃんは去っていった。俺は七海を連れて歩くということの難しさを未だ理解しきれていなかったようだ。そう。俺の幼馴染はハイパー可愛くて尚且つ友達がいない。つまり、俺が守ってあげないといつだって危ない目に遭うかもしれない存在だということだ!
「は、早く学校に行こう!」
(どこか安全なところに……!)
俺はカショカショとうまくヤクルトの蓋が開けられないままの七海に急かすように告げる。本当なら手を取って走り出したいところだけどそんな勇気はない。もじもじとそわつくだけの俺に、七海も同様にそわそわと視線を向けた。そして、ぽつりと――
「……『彼女さん?』だって……」
「……!」
「えへへ。私達、そう見えるのかな?」
「そ、それは――」
そういうのに疎そうな七海からの予想外の指摘。そして、思った以上に嬉しそうなのがこれまた予想外!俺はしどろもどろになりつつも何とか口を開く。
「呼び方が、『ヒロくん』だからじゃない……?」
「あ――」
「その……学校ではさ、『ヒロくん』はちょっと……」
「ご、ごめんね!そうだよね!もう大人だもんね!」
「俺も芹澤さんって呼ぶようにするから、せめて苗字で――」
「え~?それはちょっと他人みたいでイヤじゃない?名前呼びにしようよ!『真尋』!」
「ちょ……」
(それだと余計に彼氏みたいじゃん!でも、アメリカだとこれくらいフランクなのが当たり前なのか?)
悶々と悩む俺を不満げだと受け取ったのか、七海はもう一度言い返す。
「じゃあ……『真尋くん』で。ヒロくんは『七海』って呼んでいいからね?『ちゃん』を付けると子どもっぽいからイヤなんでしょう?」
「別に嫌ってわけじゃないけど……」
「でも、恥ずかしそうにしてるじゃん?」
「う……」
(そ、それは、七海ちゃんの距離感があまりにも近いから……)
さっきから確認するみたいにぐいぐい詰めてくるパーソナルスペースの近さが慣れない!ひょっとして耳が悪いの?それともこれがアメリカンソーシャルディスタンス?あれって2m以上無いと意味ないんだろう?七海は自分の胸があとどれくらいで正面の人に当たっちゃうのかちゃんと理解しているんだろうか。俺の目算ではあと一歩でついちゃうよ!ふわってするのかな?ぷにってするのかな?いずれにせよ気持ちよさそ――
――ハッ!俺は何を考えて!?
「わ、わかった!俺は『七海』で、七海ちゃんは『真尋くん』にすること!これで決まり!」
「うん!」
にぱっと頷く七海。なんだかんだで学校での『幼馴染ディスタンス』を取り決めた俺達は、思いのほかヤクルトおばちゃんに時間を取られてしまったことに気づいて駆け出した。
「次の電車に乗れば学校には間に合う!走る時は気を付けて!」
(なんか、見てるだけで『痛くないのかな?』って心配になるくらい胸が揺れそうだから!)
そんな俺の指摘を理解しているのかいないのか、七海は『うん……?うん!』と適当に頷いて俺の後に続くのだった。
◇
電車にぎりぎり駆け込みにならずに間に合った俺達は、ひとり分だけ空いているスペースを見つけてその前に移動した。
「七海、座りなよ」
「あ。ヒロくんが『よそ行き言葉』だ」
それは、さっき決めた『幼馴染ディスタンス』な呼び方を俺が早速実践していることを意味するんだろう。だが、七海はどこか不満げにそう口にする。俺はというと、少しでも痴漢に遭う危険を減らすためにとっとと七海に座って欲しいことで頭がいっぱいだった。
「いいから、早く座って」
「いいよ、私疲れてないし。ヒロくん座って?」
その気遣いは嬉しいが……
(こんなときに譲り合ってどうするんだよ!もう!)
「俺はいいから七海が座りなって。ほら、次の駅ついたらまた人が乗って来ちゃうから」
「え~?でも……」
もじもじと上目遣いで俺に席を譲ろうとするその姿勢が健気可愛い。だが、俺にも譲れないものがある。やりすぎかとは思ったが、俺は少し語気を強めた。
「いいから!日本には、空いてる席には女の子が率先して座らないといけない決まりがあるの!」
「え~?そんなの聞いたこと――」
「七海がアメリカ行ってる間に暗黙の了解でそうなったの!」
「でも……」
「早く!そうしないと俺が世間様から白い目で見られるから!」
そう言って半ば強引に七海を座らせることに成功した俺は、ほっとため息をついて気が付いた。その世間様の目が、『あらあら、仲のいいカップルねぇ?』『いまどき珍しい紳士さんだこと』みたいな視線でこちらを見ていることに。幸い七海は鞄から取り出した時間割に夢中でそのことには気が付いていないようだ。
(う……周囲の視線が痛い気がする……!)
それは俺の自意識過剰だったかもしれない。けど、そう思ってしまうくらいには俺の頭の中は朝から七海のことでいっぱいだった。そんな俺に、七海はわくわくとした表情で時間割から顔を覗かせる。
「ねぇねぇ、ヒロくん?」
「な、なに……?」
逐一可愛いやつだと思いながら視線を向けると、七海はイタズラっぽい表情で『ある相談』をしてきた。
「私ね、学校で友達100人作るのが目標なの」
「へぇ……それはまた……」
「ねぇ、どうしたらイイかなぁ?」
そんなこと、部活とクラス合わせても友人が両手におさまるレベルの俺に聞かれても困る。だが、七海が望むなら――
「……わかった。学校に着くまでまだ時間がある。一緒に考えよう」
「いいの!?」
「けど、やるからには本気を出すぞ。手始めにクラスの奴から、部活、委員会、行事、教師。なんでも使ってとにかく友達を増やそう。俺もできる限り頭絞って協力するからさ」
「わぁい!成績優秀なヒロくんにかかれば友達作りも朝飯前ってわけだね!」
「いや、そんなことは無いと思うけど……」
むしろ、友達を作ることに関してそこまで気合を入れたことがないからやってみないとわからない。ただ、俺はそれなりに頭は良い方で、人脈があるわけではないがどういうときにどんな人物が一番適正かという役割理論のようなものについては概ね理解しているつもりだった。
『友達100人できるかな計画』の草案に胸を膨らませて無邪気にはしゃぐ七海。俺にとっての報酬はその笑顔だけで十分だった。ただ、それ以外にも俺がこの計画に手を貸すメリットがある。
(傍に居て七海の友人関係を把握しておけば、万一の際はイジメの兆候に早く気づくことができるし、困ったことがあれば解決策だってすぐに浮かぶ。それに、七海のことだから言い寄ってくる男なんて山ほどいるんだろうし……)
そう。俺の目的は七海を変な男に渡さないようにすること。10年ぶりに再会したばかりとはいえ、こんな懐っこくて可愛い姿を見せられたら、嫌でもおいそれと手放したくなくなるってもんだ。七海が俺をどう思っているのかはわからない。ただの頼れる幼馴染なのか、唯一の友人なのか、それとも――
(あああ……!これ以上を考えるのはよそう!とにかく今は七海のぼっち生活を回避させないと!)
各々の想いを胸に抱えつつ、俺達は初めての学校に足を向けるのだった。
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