第2話 モーニングコール


 月曜の朝。自殺率ナンバーワンの最低月曜日。学校や会社へ行きたくない気持ちがMaxになるこんな朝は、誰だって鬱々として起きたくない欲と起きなきゃ欲が世界の終焉ラグナロク並みの死闘を繰り広げるだろう。かくいう俺も布団の中でもぞもぞとそんな葛藤を繰り返していた。すると――


「ヒ~ロ~くん!お~は~よ!」


(……?)


 いくらアニメが好きとはいえ目覚ましに声優ボイスなんて設定してないし、こんなハイテンションなアニメ声、姉の琴葉からはついぞ出てこない。あいつのぶりっこ演技は頑張ってもせいぜい猫なで声止まりだから。不思議に思って身体を起こすと、窓の外からアニメ声再び。


「ヒロくん!学校遅刻するよ~?」


(このモーニングコールは、まさか……)


 遮光カーテンの隙間からチラ見すると、すぐ近くのベランダからさらっとした黒髪を揺らした美少女がにこにこと手を振っていた。なんだっけアレ。ジェラートピケとかいう、アイスみたいな魚の鱗みたいな色の寝間着と思われるゆるふわ全開ショートパンツとパーカーに、薄手のキャミソール。胸元の御開帳具合が大胆アメリカンで朝から下がヤバイ。てゆーか、そこまで一瞬で目視できる部屋の距離感がヤバイ。


「ヒロく~ん?」


 俺は咄嗟にパンツ一枚姿から制服を軽く着こなして遠慮がちにカーテンを開けた。


「七海ちゃん、ちょっと、朝から近所迷惑だから……」


「あ、起きた。おはよ!」


「おはよう……」


 ほんと、人の話を聞いているのかいないのか。七海は昔から結構マイペースなところがある。


「このまま起きなかったらどうしようかと思った!」


「なんで?」


「だって、ぼっちで学校行けないじゃん!」


(……行けなくなくない?俺、先週の金曜までフツーにひとりで登校してたけど?)


 だが、そんな反論は『まさか……』という予感を前にして口から飛び出すことはなかった。そして案の定。


「学校、一緒にいこ?今から支度するから、30分後にピンポンするね!」


 俺の返事を待つことなくシャッ!と閉められるピンク色のカーテン。今から着替えるんですか?そのカーテンの向こうで。


「…………」


(って!悶々としてる場合じゃない!)


 俺は急いで身支度を整え、ドタドタと洗面台に向かう。すると、そこには眠そうな表情で歯を磨く姉の姿が。無論、上下とも下着のまま。今日は水色の気分らしい。


「わっ!びっくりした!なんだ、真尋まひろか」


「姉ちゃん!せめてTシャツくらい着ろよ!」


「だって、めんどい……あつい……」


「冷房つければ?」


「まだ五月だよ?それより、そんなに焦ってどうし――」


 俺の手にしたワックスを見て、『ははぁ?』とにやつく姉、琴葉ことは


「青春だね?もう♡急にそんな髪型なんて気にし始めちゃって♡お姉ちゃんがスタイリングしたげよっか?」


「別にいいです!てゆーか、髪型くらい前から気にしてました!そうでもなければワックスなんて持ってないだろ!?」


「とか言って、ソレ高一の春に買ったやつでしょ?最近使ってなかったじゃん?もう諦めたのかと思ってた」


「余計なお世話が過ぎる!!」


「まぁまぁ。お世話したげるからこれくらいのご愛敬許しなさいな?」


 わきわきと楽しそうに俺の髪の毛を弄ろうとする姉。


「だったらトースト焼いてきて!」


「はいは~い♪」


 そんな姉の用意したテキトーに食パン焼いてジャム塗っただけの朝食を平らげた頃、再び我が家をピンポンが襲う。


 ピンポーン。ピンポ・ピンポーン。


『ヒ~ロ~くん!がっこ行こ!』


 小さい頃と変わらない、『あ~そ~ぼ!』が『がっこ行こ!』になっただけの挨拶。


「やばっ。もう来た!鞄!」


「あ。七海ちゃん?やっぱ一緒に行くんだ?」


「そうだけど……なんか悪い?」


「いいえ?別に?」


 にやにや。


「何その顔」


「なんでも~?ほら、早く鞄取って来なよ。今日はお姉ちゃんが出てあげるからさ」


 姉はそう言ってリビングのソファに投げ捨ててあったワンピースをサッと被ってモニターに向かう。そして、いかにも『よそ行き』な凛とした声で出た。


「は~い?」


『あっ。あの!おはようございます!隣に住んでる七海です!』


 てっきり俺が出るとばかり思っていた七海はどうやら姉の声なのか母さんの声なのか判別できずに困っているようだ。そんなあたふたとする七海を楽しそうに眺める姉、琴葉。


「あら~♡七海ちゃん、ずいぶん大きくなったわねぇ?」


『ご、ご無沙汰してます!』


 そのわきわきとした手の動き。いったい七海の何処を見てモノを言っている?セクハラおやじかよ?このままだと七海が知らぬ間に幼馴染の姉に視姦されかねん。俺は急いで部屋に鞄を取りに戻り、ふたりの間に割って入った。


「今!今出るから!」


 ブツっとモニターを切ると、俺は呆れたように姉を見た。


「サイテー……ってか、普通にやればできるんじゃん、外対応。この引き籠りめ」


「失礼な。単位取れるくらいには大学行ってますぅ!引き籠ってたってちゃんと発育できるんだから別にイイでしょお?」


 そう言ってにやにやと自分の片乳をこれ見よがしに揉みしだく。母さんがパートの日はたまに洗濯するから知ってるが、これでも姉はEカップ。性格はずぼらでその他諸々どうしようもないくせに、容姿だけは恵まれてるのがなんだかズルイ。


「やめろって……垂れるぞ?」


「あ~。真尋ちゃん照れてるwでもイイねぇ!幼馴染がこんなに可愛いロリ巨乳だなんて!」


「ろ、ロリっ……!?」


「だぁってそうじゃない?お目目がくりくりしてて顔から上は清楚系黒髪美少女のくせに、首から下はけっこーよ?私よりあるんじゃない?」


「え……?」


(それってまさか、えふ……)


「Fはあるねぇ!太股もいい感じにムチムチなのにくびれはしっかりある……海外の食文化ってすご~い!いい意味で!」


 ちょっと思ってたのに言いづらいことをサラッと言いやがってこいつは!!


「ちょっと!弟の幼馴染で下世話な想像しないでもらえます!?」


「とか言って。真尋こそ昨晩は下世話な想像でお楽しみだったんじゃないの~?」


「してないから!!!!サイテー!ほんっとサイテー!!」


「あはははは!行ってらっしゃ~い!」


 楽しげな姉に舌打ちしつつ玄関を出ると、元気のいい『おはよー!』が俺を待っていた。


「えへへ。学校の制服、どうかな?」


 ひらっとスカートを翻して上機嫌な七海。だが、姉の一言のせいでついつい視線が首から下に行ってしまう。悔しいけど、お前の言う通りだったよ琴葉!!なんてけしからんロリ巨乳なんだ!


「日本の制服ってアメリカのと違って可愛いよねぇ?」


「う、うん……」


(本当にそうですね!!)


 やばい、可愛い。可愛すぎてもはや直視できない!

 面と向かって見たら、絶対によによしてしまう!

 だが悲しいかな、いくらセーブしようと思えど視線は抗いようなく七海に向かってしまうわけで。


「ヒロくん、どうかしたの?」


 機嫌良さそうに毛先をくるくると弄る七海。

 そこで、ふとあることに気が付いた。


「七海ちゃん、それ――」


 ちょこんとついた、白い花の髪飾り。

 忘れるわけがない。それは、俺が幼ない頃、一生懸命ない知恵絞って考え抜いた、七海への誕生日のプレゼントだった。


「うそ、それ……まだ持っててくれたの?」


 その問いに、七海はさも可笑しいといわんばかりにふふ、と微笑む。


「当たり前でしょう?私の宝物だもん。アメリカにいた頃も、ずーっとつけてたよ?」


(……!)


 うそ。嬉しい。

 俺が七海に貰ったグラスを使い続けていたように、七海も俺のプレゼントを使ってくれていたなんて。ずっと、大切に――


「ねぇ、似合う?」


「えっ?」


 それこそ、当たり前でしょう? って話だ。

 幼稚園児のときには『うん!すっごく可愛い!』まで言えてた気がするのに。大きくなった俺は気恥ずかしくて、その一言が出てこない。


「うん……」


 結局、もごもご悩んだ末にそうとしか言えなかったけど。七海は思いがけずにぱーっと笑った。


「私ね!友達と制服で登校するの、夢だったの!」


(はぁぁ……!なんて可愛い夢なんだ!!お前はバカか?それとも天使か!?)


「楽しみだね!学校!」


「ソウダネ……」


 心の中が忙しすぎて、月曜なのにもう金曜な気分だよ。嬉しいような、死の匂いが俺を待っているような。


「ふんふん♪ふ~ん♪」


 ぷらぷらと揺れる七海の手。握りたいような、握ったら潰れちゃいそうで怖いような、そんな華奢な手。そんな白くて愛らしい手が、ひらひらと俺を招いた。


「早く早く~!置いてっちゃうよ~?」


「とか言って。本当は道順知らないんだろ?だからぼっちじゃ登校できない」


「あ、バレた~?」


 てへぺろ、と出す舌が可愛すぎて、今日も心労が止まらない。

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