第238話 ウィッチ・エンド

 このまま無視していても、彼女は叫び続ける。杖を振るうし、必要であればフォン達に攻撃を続ける。結果を予期すらできない相手に、クロエは半ばうんざりしていた。


「どうする、フォン? 頭を撃ち抜いて終わらせようか?」

「……いや、放っていこう。構っている余裕はないから」


 無視を決め込もうとしたフォンだが、やはりマリィは杖を地面に叩きつける。


「行かせないとも言ったはずよ! 止まりなさい、止まれと言っているでしょう!?」


 その手に持った杖は飾りだというのか。本気で止めたいのなら魔法を使えばいいのに、それすらすっかり忘れているらしい様子は、呆れを通り越して怒りすら齎す。

 どうやら、本当に死なないと、自分の愚かさを理解できないらしい。


「あいつ、命だけは助かるってのに……」


 クロエがとうとう弓矢を構えて頭を射抜こうとした時、彼女の前に躍り出る姿があった。


「俺がマリィを止める。お前らはハンゾーのところに行け」


 剣を掴む手に力を込め、涙を拭ったクラークだ。

 まさか彼がマリィを止めるとは思っていなかったのか、フォンもクロエも驚いた。


「クラーク……!」

「勘違いすんなよ。あいつがああなったのは、俺にも責任がある。お前からあいつを奪ったのが始まりだってんなら、その俺がケジメをつけないといけねえだろ」


 彼の瞳に決意の光を見たフォンは、少しだけ迷って、小さく頷いた。


「……任せるよ、クラーク。僕達は上に――」


 クラークがマリィを引き留めているか、倒してくれるうちに、フォンとクロエは屋根に向かう。ここからハンゾーの待つところまではもうすぐで、ほぼ予定通りにことは運んでいる。

 あとは、力の限り広間を走り抜け、階段を上るだけだ。

 フォンは迷いなくマリィの横を駆け抜けて、まっすぐ走るつもりだった。


「――必要ないぞ、フォン。儂が来てやったからのう」


 だが、その必要はなかった。

 マリィの後ろにいつからか現れていた黒い何者の声で、ぴたりと彼は足を止めた。

 ここにいるはずのない男の影に隠れていたかのように、ぞろぞろと漆黒の纏を羽織った者達も姿を見せる。併せて十はくだらない彼らを率いる者の顔を、フォンは知っていた。


「――ハンゾー……!」


 ハンゾーだ。

 尖った鼻と暗い色の短髪、継ぎはぎ模様の傷痕、螺旋模様の鋭い瞳。黒いコートを脱ぎ捨て、唐草模様の着物を纏う彼の顔を、見間違うはずがない。

 とても信じられないことだが――屋根の上で待っているはずのハンゾーが、わざわざこの広間に、部下を連れてやってきたのだ。


「俺を洗脳してくれやがった野郎が、自らお出ましってわけか!」


 怒りにも似た感情を剣に込めるクラークとは裏腹に、クロエは困惑している。


「でも、あいつは屋根に居たんでしょ!? 自分だけじゃなくて、忍者兵団まで引き連れて、なんで下に降りてきたの!?」

「待っているのも少々飽いたものでな。どちらにせよ、お主らの滅びの運命は変わらんのじゃ。上にいようが、ここで戯れてやろうが同じであろう?」


 一行との戦いを遊び程度に捉えているハンゾーは、けらけらと笑った。

 どうして老人と聞いていた男がこれほど若い容姿なのか、どうやって音もなく広間に仲間を引き連れてきたのか、疑問は多かった。だが、今の彼女にとって最も大事なのは、命がけでここまで向かってきた自分達を、幼子程度にしか思っていない点だ。


「何よ、あたし達を子ども扱いして!」

「いいさ、クロエ。わざわざ出向いてきてくれたんだ、好機には違いない……それよりも、あいつと目を合わせちゃだめだ。洗脳されるからね」


 目を細めて矢に手を伸ばすクロエを、フォンは止めなかった。彼もまた、鉄扇を開くと、ハンゾーを倒す機会を逃すまいと気迫を漲らせている。

 いずれにせよ、フォン達の目的は変わらない。ハンゾーを倒す結果を変えるつもりはない。

 ただ、それは誰よりもハンゾーに近いところに居る彼女にとっても、同じだった。


「――は、ハンゾー様! クラークは裏切りました、貴方の洗脳を解いたのです!」


 唯一忍者兵団を裏切らなかったマリィは、敵意を一転させて、ハンゾーに媚びへつらって縋り付いた。当然の如く、クラークを売り飛ばした彼女だが、凶行はまだ続く。


「ですが、私はまだあなたの忠実なるしもべです! どうぞ、奴らに死の罰を!」


 マリィは、自分こそは誰よりも忠誠を誓った偉大なる部下だとでも言いたげに、ハンゾーの傍に立つ。兵団に仕える忍者や首領の冷めた目に気づいてすらいないらしい彼女がどうなるか、フォンは既に察していた。

 だから、どれほど邪悪な相手であろうが、彼は警告せずにはいられなかった。


「よせ、マリィ! 奴に近づくんじゃない!」


 だが、もうマリィがフォンの、クロエの、クラークの説得を聞き入れるはずがない。

 目をぎらつかせて、勝利を確信した魔法使いは杖を振りかざして喚くばかり。


「さあ、裏切り者と最も邪魔な者を始末してください、ハンゾー様! 忍者の栄光と王国の支配の為に、あの三人を殺してください!」

「そうじゃのう。では、お主の望み通り――」


 そんな彼女に、ハンゾーは頬が裂けるほど微笑みかけた。

 マリィはようやく、自分の望みが叶うのだと思った。理想が叶うのだと思った。

 果たして、ハンゾーは自分が言った台詞と一言一句違わない事象を実行した。


「邪魔者を、取り除くとするか」


 ――隣に立つマリィの首を掴み、体を持ち上げたのだ。

 驚愕で目を見開いたマリィの顔は、痛みと困惑がぐちゃぐちゃに混じっていた。


「ぐがはッ!? な、なに、を……!」


 忍者の腕力で喉を潰されたらしく、マリィの声は老婆の如く嗄れてしまった。

 それでもどうして、なんでと問う彼女に、ハンゾーは心底滑稽だとでも言いたげに、健康そのものの喉を鳴らして嗤った。


「何を、じゃと? おかしなことを言う女じゃのう。儂は儂にとって、『最も邪魔な者を排除』しているだけ――それが、お主自身だったというだけよ」

「ぶぐ、う、ぐ……!?」

「忍者の力を与える価値も、並の魔法使い程度の力もなく、勇者の手綱すら握れない。強い者に媚びるしか能のない屑を、間抜け、不要と呼ばずして何と呼ぶか、のう?」


 ハンゾーの右腕が、マリィが噴き出した血で汚れる。杖が手を離れ、床に落ちる。

 誰も止めない、止められない。蛇の忍者は、それほどまでに圧倒的な覇気を放っている。

 やがてハンゾーは、これ以上話すのも無駄だと言わんばかりに、軽く手を凪いだ。


「使われる価値もない廃棄物の末路など一つよ――死ぬが良い」


 そして、マリィをステンドグラスめがけて投げつけた。

 巨石を投げつけたかの如き勢いで激突した彼女の体は骨が砕け、奇怪な方向へと曲がりながら、割れたステンドグラスの向こう側へと舞った。

 つまり、窓の外。宮殿の三階の、足元には何もない宙空に。

 修行も訓練もしていない者が、そんな場所に投げ出されればどうなるか。


「あぎゃあああぁぁ――……」


 彼女の断末魔が、その答えだった。

 落ちていく声と共に、何かが潰れるような音がして、直ぐに何も聞こえなくなった。

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