第202話 ニンジャ・ファイナル

「……フォン、遂にマスター・ニンジャの座に上り詰めたんだね」


 ――訂正しよう。

 遥か遠くの岩場の影から、一人の少女も見つめていた。

 見えずとも、彼女は視線の先から、彼等の全てを把握しているようだった。何が起きたのか、どんな修行を続けたのか、何の為に里を破壊したのかも知っているのだろう。


「しかし、師匠の導きでここに来たとは。滑稽よな、滑稽」


 少女はもう、可憐なワンピースなど纏ってはいなかった。

 黒い布を羽織って、分厚い黒の衣服を着用している。少しぶかぶかなのは、まるで他の誰かが着ることを前提としているかのようだ。

 大きな岩に腰かけた彼女は、フォンの成長を喜んでいたようだったが、直ぐに彼が自身を満足させるのには至っていないと悟ったようで、柔和な顔を顰めた。


「最初に遭った時から、術にかけられているとも知らずに。自分達の意志でここまで来て、忍者の新たなる力を手に入れたと思い込んでいるとは……」


 彼女の言い分が正しければ、フォンは師匠の導きでも、自らの感情でもなく、彼女に操られて『修練の地』へと辿り着いたことになる。全てを影から操っているかのような恐ろしい発言を平然と口にしながら、彼女は顎に指をあてがい、フォンのいる遠くを睨む。

 仲間の誰もが確信した、成長した姿。だが、少女には物足りないようだ。


「……足りぬな、力が、冷酷さが。まだ『忍者兵団』を率いらせるには……リヴォル」


 彼女が指を軽く鳴らすと、岩場の影から別の少女が姿を現した。


「――ここに」


 右手と右目を欠いた白髪の少女は、かつてフォンを襲ったリヴォルだ。

 隣には当然、彼女の双子にして人形のレヴォルもいる。カタカタと鳴る人形を携えた彼女は、まるで黒衣の少女が自分の主であるかのように跪き、恭しい態度を取った。


「お主が回収した奴らの従属はどうだ?」

「滞りなく。貴方の力もそうですが、彼に対する強い憎しみがあります。洗脳などせずとも、相応に力を貸してくれることでしょう」

「ふん、奴らに術をかけたのは強くする為ではない。臆病風に吹かれた時に逃がさんようにする、ただそれだけよ」


 羽織った漆黒の布を翻し、少女はだぼだぼの服を引きずったまま、リヴォルの背後に目をやった。冷たい目が捉えたのは、ただの木々や風景ではなかった。

 人形使いの後ろ、開けた場所には、無数の人が立ち並んでいた。

 黒のマントを羽織ったそれらは、一様に同じ格好をしていたが、中身はまるで違う。人間の男女もいれば、獣のような顔をした者もいるし、長い耳を携えた者もいる。背丈の低いずんぐりむっくりもいるし、背の高い怪物じみた者もいる。

 共通しているのは、どれも自我が消えたかのように、目が虚ろだということだ。

 己の意志などすっかり喪失したかのように直立不動を崩さない、百は下らない人形のような連中を見て、彼女は蔑むように言った。


「こやつらも変わらん。忍者の術は与えたが、思考を抜き取るのが目的よ」


 すっくと立ったリヴォルも、少女の後ろに付き、彼女の言葉に同意する。


「亜人と人間、素質ある者の混合軍……新たな『忍者兵団』ですね」

「ここにいる者はごく一部よ。誰もが世間より非難され、蔑まれた者達よ。故に心に傷がある、穴がある。故に簡単に心を開き、支配を望む。亜人などは特に、人の世で惨い仕打ちを受け続け、世間の表側に立てなかった者ばかり……従わせるのは、容易いものよ」


 どうやら、ここには人間ではない者も混じっているらしい。ならば成程、角がついていようとも、異様なほど髭が生えていようとも納得できる。


「まだ増やすのですか?」

「無論。獣人、エルフ、ドワーフ、ホビット……兵は幾らおっても困らん、隷属しているのなら猶更のう。探索を命令していた、ミノタウロスの部族は見つけたか?」

「はっ、ここから南東、二日ほど進んだ先に隠れ家があります」

「ならば、早々に従わせるとしよう。行け、貴様ら。奴らを捕らえるのだ」


 少女の命令で、黒衣の集団は一斉に動き出した。その機敏さ、速さは忍者にも負けず劣らずと言っても過言ではない。知らない人に説明すれば、彼らが忍者だと言ってもきっと信じられるだろう。

 こんな動きを取る者達が、百人ほど居て、まだ一部。騎士や兵士すら見劣りする俊敏さを有する彼らが氷山の一角だとすれば、彼らは一体、どれほど危険な集団だろうか。

 あっという間に姿を消した軍団を見送るように眺めながら、リヴォルが口を開く。


「……それから、王都ネリオスへの進撃を?」


 頷いた少女は、フードを被った。


「うむ、胡坐をかいた間抜け共に思い知らせてやるのだ。我々の力と脅威を、存在を……じゃが、王国と王都の滅びなど脚掛けにすぎんということを忘れるな」


 その声は、最早あどけない子供ではなかった。

 いや、声だけではない。漆黒の纏いの中で、めきめきと奇怪な音を立てて、少女の体は変貌しているようだった。骨が、皮膚が、筋肉が再構築されてゆくのだ。

 背丈はリヴォルよりも大きくなり、だぼだぼの衣服がちょうど良いサイズとなる。ゆらりと何度か揺れた後、今は彼と言うべき者は、静かにフードを脱いだ。


「時代が変わるぞ。王の時代でも、神の時代でもない――」


 暗い色の短髪。尖った鼻。大きな瞳。二十代前後に見える、総じて整った顔立ち。顔中に広がる無数の傷痕――継ぎ接ぎのような痕跡を除けば、整った顔立ち。

 鍛えられた体を、尖った歯を鳴らしながら、彼は嗤った。


「――忍者の時代が来るのだ。この儂、ハンゾーが世を統べる時代がな」


 新たな邪悪の到来を示すかのように、北の空は曇りがかっていた。


 ◇◇◇◇◇◇


「……?」


 ふと、フォンは明るい表情をほんの少しだけ陰らせて、明後日のほうを向いた。

 何もない、木々だけが広がる世界の奥から、闇が大口を開けているような気がしたのだ。


「どうしたの、フォン?」


 足を止めた彼につんのめったクロエが問うと、彼は首を横に振った。


「ううん、何でもない。行こうか」


 高揚感からか、三人は言及しなかった。再び笑いながら歩きだす彼につられて、カレンは飛び跳ねながら、サーシャは腹の音を鳴らしながら、山を下ってゆく。

 クロエもまた、彼女達と同じように微笑み、フォンの肩を叩いて先導する。

しかし、木々のざわめき、せせらぎが、彼に警告していた。


(――師匠の導きでないとしたならば?)


 力を手に入れたのが、何者かの――悪しきものの思案によるならば。

 フォンを強くするのも、自分を高い位に仕立て上げる者の狙いであるならば。自分が強くなければ困る者の、恐るべき計画の一端に過ぎないとするならば。


(生きている誰かが僕達を連れてきたなら……僕達が、いや、僕が強くなるのも宿命ではなく、仕組まれていたのなら……誰が?)


 いいや、誰かが、などと不明瞭な感覚ではない。

 蛇が這うような視線。背骨諸共引きずり出すかの如き憎念。

 誰かは、知っている。


(……『あいつ』だ。なぜだ、どうしてだ、奴は――)


 だとすれば、どうするのか。


(――いいや、必要ない。悩む必要なんてない。次に見えたなら、その時が終わりだ)


 決まっている。

 今度こそ、黄泉の国へと引きずり戻すのだ。

 何を考えていようと、企んでいようと、今度こそ伝説の忍は後悔する。


(止めてやる。僕の、俺の力で)


 二つの意思が宿った瞳は、遥か空を見上げた。

 晴れた青雲が示す未来が正しさの暗示だと、彼は信じた。

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