第201話 ニンジャ・フィル

 それから暫くして、一同は里の中心部まで戻ってきていた。

 山ほどの荷物と、ここで得たものを鞄や背嚢に詰め、既にここを立ち去るだけならばいつでもできるようにしていた。ただ、修行を終えた面々の顔は、少し神妙だった。


「……本当にいいのでござるか、師匠?」

「遺しておくことに、意味があるのかもしれないよ。迷っているなら……」


 クロエ達が見つめる先に立つのは、太い縄を右手に握り締めたフォン。

 彼の目に映るのは、忍者の里の建物と、山ほどの巻物、そして忍具。いずれも『修練の地』に納めてあった秘伝の道具で、とてつもない価値を持つ代物ばかり。きちんと読み込み、学べば、次世代の忍者を創り出せるだろう。

 ただ、並べられたのはそれだけではない。黒色の砂らしい何かが辺り一面に敷き詰められ、里の全体を囲っている。それ以外にも、所々掘り返したような痕があり、どことなく里全体の地盤が緩んでいるようにも見える。

 少し心配そうなクロエやカレンに対し、フォンは振り返り、はにかんだ。


「いいや、もう決めたんだ。忍者の里も、忍者の歴史も、世界には不要だ」


 そうして、右手に構えた縄を引っ張った。


「忍法・土遁――『土均しつちならしの術』」


 すると、遠く離れた縄の先端が擦れ、火花を散らし、轟音とともに爆発を起こした。

 しかも、ただの爆発ではない。里を大きく揺らすほどに炸裂したそれは地面を崩すと、たちまち里と忍具を呑み込んでしまった。

 ぐらぐらと音を立て、土と泥、砂が何もかもを埋め尽くしてゆく。

 フォンが紐を引っ張って数秒もしないうちに、忍者の里があった場所はこんもりとした土が残るだけの、何でもない山の一部と化してしまった。何かを掘り起こそうとしても、きっと家屋の瓦礫や石、岩に埋もれ、何も見つけ出せないだろう。

 何より、土砂崩れを起こす為の火薬は巻物にも準備されていた。粉微塵となった残骸は、もう誰にも読まれないし、永遠に自然の一部となったのだ。

 果たして、これがフォンの目的だ。クロエ達も知っているからこそ、手を止めずに呟いた。


「爆発で土砂崩れを起こして、里の施設を全部埋めるなんて……思い切ったね」

「これで、誰も忍者、探せない。忍者、お前以外、もういない」

「リヴォルが生きているなら、例外だけどね。だけど、僕が忍術を誰かに教えることはもうないし、忍術が広まる先にあるのは戦いと動乱の時代だ」


 フォンはマスター・ニンジャの遺物が、世に平和を齎すとは思っていなかった。

 いかにあらゆる物事が使いようによって変わるとはいえ、そもそも存在しなければ平定を揺らす事態にも至らない。ならば、自分達を最後にして、完全に忍者の里を喪わせてしまうというのが、フォンが出した結論だった。

 或いは、先代フォンの結論でもあったのだろう。


「僕は勘違いをしていた……師匠の言葉は正しかった、忍者は滅ぶべきだった」


 先代が望んでいたのは、忍者の繁栄でも、忍者として生きる道でもなく、ただ自分が信じた――未来を託した者の生きる道だったのだろう。

 フォンも、フォンの話を聞いたクロエ達の結論も、また同じだった。


「だね。フォンの師匠は、きっと忍者じゃなくて、フォンに生きてほしかったんだよ」


 彼は小さく頷き、笑った。


「……帰ろう、ギルディアに。また、冒険者として働く為にね」


 そうして、忍者の里だった場所に背を向け、歩き出した。

 帰り道は、不思議なくらい誰もが緊張を解いたようだった。忍者の里という未知の世界に対する恐れや、過去を明らかにしないフォンへの不信がなくなったのも理由の一つだ。

 だから、魔物が潜んでいる可能性すらある森の中を、けらけら笑いながら歩く余裕すらあった。普段ならカレンの油断を嗜めるフォンも、今日だけは特に口出しをしなかった。


「ギルディアの飯が懐かしいでござるな! サーシャ、帰ったらまずは魚料理でござる!」

「やだ。サーシャ、肉、食べる」

「肉ならずっと食べてたでござるよ! 魚の方が懐かしいでござる!」

「サーシャ、肉、一番!」


 サーシャとカレンのにらみ合いを制するのは、こんな時にはクロエの役割になる。


「やめなって、両方食べればいいじゃない。ね、フォン?」


 いつも通り務めを果たす彼女だが、ふと、歩きながら何かを想うフォンを見た。


「……フォン?」

 後ろから声をかけられても一瞥すらしないまま、彼は口を開いた。


「……ずっと気になってたんだ。僕がどうしてここに来たのか、来ようと思ったのか。記憶のことがあるとしても、里に執着したのは、どうしてだろうかって……」


 彼にとっての最大の謎、それは忍者の里に来た事実そのものだった。

 過去に過ごした場所であるならば謎が解けると思うのは当然として、ここまで執着した理由は何だったのだろうか。ひいては、自分が何故すらすらとトラブルを解決し、最終的に忍者として新たな力を手に入れられたのはどうしてか。

 乗り越えられた理由も含め、誰かに全てが上手くいくよう仕組まれていたようにすら、彼には感じられていた。そうなると、何もかもを疑ってしまうのがフォンの癖だ。

 そんな彼に対する答えは、クロエが持っていた。


「――きっと、師匠が呼んでくれたんじゃないのかな」

「……!」


 何となく言っただけの仮説ではあるが、彼女の言い分は、フォンの目を開かせた。


「フォンを強くする為に、ここに連れてきてくれたんだよ。死んでからも、どこかできっとフォンのことを見守ってくれてるんだって、あたしはそう思うな」


 彼女の発言の全ては、裏付けがない。確証もない。

 なのに、フォンは微塵も疑いはしなかった。


「……だといいね」


 立ち止まらないままに軽く振り返り、微笑んだ彼の中から、謎は消えていた。

 一切合切は、きっと運命によって仕組まれていたのだ。彼を愛する感情が、死して尚も残り続ける願いの力が、フォンを正しく生きさせる宿命の形を取って現れたのだ。

 騒々しい仲間も、今ここに居る記憶の灯も、こうなるべく道筋を立てられていたのだ。

 ――愛する者への、最期のプレゼントとして。


(師匠、貴方は僕の……いいや、俺の中で生き続けていたんだ)


 ただ、フォンは分かっていた。最期など存在しえないと。


(気づけなくてごめん、そして……ありがとう)


 心の中で自分が愛し、信じ続ける限り、生き続けるのだと。

 もう、迷いはない。蟠りも残っていない。

 フォンは振り返り、頬を抓り合う喧嘩に発展しそうなカレンとサーシャ、二人を呆れた調子で諫めるクロエに微笑みかけて、ある提案をした。


「皆、帰ったら一等の酒場でフルコースだ。魚も肉も、好きなだけ食べよう!」


 彼の方からあまり言わない、豪勢な料理を囲んだ会食を。

 簡単な提案だったが、たちまち三人に笑顔が戻ってきた。


「やったー、でござる!」

「お前、話が分かる! サーシャ、お前、好き!」

「まったく、調子いいんだから……あたしも、戻ったら倒れるまでお酒を飲もっと!」


 さっきまでの喧嘩はどこへやら、すっかり仲間達はにっこり笑顔。


「ああ、そうしよう!」


 三人につられて一層笑うフォンと仲間は、陽気な気分で森を歩いていった。

 そんな姿を、空を飛ぶ烏と、木々の隙間の獣達と青い空が見ていた。

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