第200話 ニンジャ・マスター

 星の形をした目に射竦められると、クロエ達は不意に、自分の体の内側までもが見透かされているような気がした。嘘誤魔化しの通じない、思考を読み解かれるような目だ。

 驚いた顔を隠せない二人の前で、目を元に戻しながら、カレンがえばるように言った。


「これが拙者の新たな力、『幻猫眼』げんびょうがんでござる! 闇や幻術を見抜き、洗脳すら解く強力な忍術であると巻物には書いてあったでござる!」


 幻覚を解く力は、フォンの調合した薬にもある。

 しかし、目で見つめるだけで同等の効果が得られるというのは信じられなかった。もしも本当にそんな力があるのなら、忍術というよりは高尚な魔法の域にある能力だ。


「幻を見抜く、普通、できない。カレン、凄い」

「ただの目じゃないってことだね……つまり、皆もう、修行を完遂したってとこかな?」

「おう」

「うむ!」


 クロエの方を向いたカレンとサーシャが、大袈裟なほど頷いた。


「じゃあ、フォンを呼んでくるよ。あたし達の修行は終わったって報告と、ついでに様子も見てこないといけないし」


 彼女の言う通り、フォンはここにはいなかった。

 一同に忍者としての力を教え込み、個人での修行を任せた後に、一人で森の奥へと向かっていったフォンは、以降一度も三人の前に顔を見せなかった。自分なら大丈夫だ、集中したいという彼の言葉を信じて、敢えて誰も彼を迎えに行かなかった。

 しかし、クロエ達は修業を終えた。ならば、彼の現状と修行の進行具合を確かめる必要はあるだろう。互いに修行を完遂しているなら、ここを離れるのも視野に入る。


「ここ二日ほど、瞑想すると言ったきり、湖のほとりに籠り切りだったでござるからな……クロエ、任せたでござる!」

「分かった。それじゃ、行ってくるね」


 二人に頷くと、クロエは森の奥へと駆けていった。

 基礎的な身体能力も短期間で上昇したのか、彼女の走る速さは魔物にも匹敵していた。辺りの獣が音に気付いて振り向いた頃には、もうクロエの姿が見えないほどだ。

 一跳びで大木を跳び越え、踏み込んだ地面が抉れるくらい速い。人間からはかけ離れた、忍者にも追随できると言っても過言ではない速度で、彼女は森を駆け抜ける。

 木に手をかけ、跳ね進み、クロエはフォンがどこにいるかを思い出す。


「えっと、確かフォンは森の奥の湖に……」


 鬱蒼とした森を容易く潜り抜けていると、あっさりと森は開けた。

 視界の先には、海と見紛うほどの広大な湖と、燦燦と照る太陽。そして眼前のほとりに座禅を組んで目を閉じ、思案に耽るフォンの姿があった。


「……あ、いた! おーい――」


 彼女はフォンに声をかけようとして、直ぐにそれだけの挙動を変えた。

 理由は、彼が背を向けている湖の水が物凄い勢いで弾けたこと――そして、水の中からとてつもなく巨大な「それ」が鎌首をもたげ、飛び出してきたことだ。

 クロエが吼えた先にいたのは、深緑色の肌を有した、巨大な蛇だった。


「――フォン、危ない!」


 蛇と言っても、人一人を丸呑みにできる程度の大きさではない。人どころか、先程のマッドホーン三頭を頭から呑んでもまだ余るほど頭は大きく、追随する胴体は湖の外周ほどもあるのではないかと錯覚するほどに長い。

 そんな怪物が現出し、フォンを狙っているというのに、彼は微動だにしない。


(あんな大きな蛇が棲んでるなんて! まずい、頭か目を射抜かなきゃ……!)


 やらねばやられる。そう思ったクロエが矢に手をかけようとした時、フォンが口を開いた。


「大丈夫だよ、クロエ」


 静かで、完璧な湖面よりも澄んだ声。

 なのに、彼の声を聞いた途端、今まさに襲い掛かろうとしていた大蛇の動きが止まった。

 金縛りだとか、忍術だとかではない。フォンの声を耳にしただけで、大蛇の脳裏には自分が膾の如く斬り刻まれる光景が思い浮かんだのだ。しかも、単なる空想だとか妄想では笑い飛ばせないほどの、明確な死のビジョンが。


「……うそ、威圧だけで……魔物を止めた……!?」


 微塵も動けず、がくがくと体を震わす蛇を背にしていたフォンは、ゆっくりと立ち上がった。それから、己を喰らおうとした蛇の頬を優しく撫でた。


「彼は魔物だ、それも聡い。自分より強い相手に、決して喧嘩は売らないよ。だろう?」


 フォンと目が合った大蛇は、悟った。逃げなければ、死ぬと。

 蛇が恐怖を抱くなどおかしな話だが。生命にかかわるのであれば話は別だ。大蛇はそそくさと、父に叱られた子供のように、波音一つ立てずに湖の中へと戻っていった。


(この気迫、人格が変わった時のフォンと同じ……けど、雰囲気は今までのフォンと一緒だ。修行が始まる前に言ってたように、過去を完全に取り戻した影響なのかな?)


 そういえば、自分達に限った話ではなく、フォンの服も新調されていた。祭殿に奉納されていた衣服で、ズボンやフード付きのシャツに赤い竜の刺繍が施されている。愛用の黒いバンダナが真っ赤に染まったのは、、彼なりの心象の変化だろうか。

 彼から放たれる気迫に懐かしさと新しさ、矛盾した二つを憶えながら近寄ってくるクロエに振り返り、フォンが問いかけた。


「ところでクロエ、ここまで来てどうかしたの?」


 直ぐ近くまで来てようやく、クロエは自分の役割を思い出した。


「あ、そうだった! フォン、修行が終わったから、それで呼びに来たんだ。あたし達、皆、教えてもらった魔法と忍術を使いこなせるようになったよ!」

「それは良かった。なら、カレンは瞳術と火遁、サーシャは新しい『ドラゴンメイス』、そしてクロエは『蒼龍の矢筒』の使い方を完璧にマスターしたわけだね」

「うん、何日もフォンが教えてくれたおかげでね!」


 各々の武器の使い方と忍術、魔法を教えたのは、やはりフォンだ。

 巻物の中の情報を読み解き、武器の扱いを一緒に学んだ。特に魔法に関しては、フォンも専門分野ではなかったので、一緒になって実戦を交えた修行をこなした。

 短い帰還だったのもあったが、巻物の中の全てを教えられなかったのは事実だ。


「といっても、僕が教えられる術は、巻物を併せても少しだけだったけどね。本当なら、もっと多くの忍術を教えて上げられれば良かったんだけど……」


 しかも、ここまで強くなっても彼はまだ謙虚なのだ。


「十分過ぎるほどだよ……普通なら、そのうち一つだって会得できないんだから。でしょ?」

「……それもそうか。でも、ちょうど良かった。僕も修行を終えたところだよ」

「だったら、そろそろいいタイミングかな?」


 クロエに微笑みかけられ、フォンは応えた。

 彼の瞳が、少しだけ赤く染まったのを、クロエは見逃さなかった。

 だが、もう怖れる理由も、彼を疑う必要もない。

 フォンも修行を完遂した――己の内なる全てを、真の意味で理解したのだから。


「ああ……ギルディアに帰る準備をしようか」


 里は役目を果たした。

 遺された忍者の決意もまた、固まっていた。

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