第136話 ニンジャ・キルボックス④

 眼前のそれは、人間と呼んでいい生命体ではなかった。

 握りつぶされているかのように錯覚する心臓の鼓動が、信じられないほど早くなってゆくクロエは、半ば堪えきれない恐怖の涙を止めようともしなかった。

 フォンと戦い、生き延びた。刃物と杭の雨をかわした。閉じ込めて爆散させても、多少の怪我を負わせた程度だ。こんな怪物を、どう止めろというのか。

 そうやって慄く彼女達の絶望を舐めとるかのようにリヴォルは歯を軋ませて笑顔を見せる。もう誰も、彼女に逆らえないのを知っているからこそ、狩人の笑みを見せられるのだ。


「逃がさないよ、どこにも逃がさない。皆死ぬ瞬間まで、絶対に――」


 そんな彼女の言葉は、立ち尽くすクロエ達の間を縫って疾走する影によって遮られた。黒い刃物を片手に飛翔し、半ば炭と化した殺人人形の右手に握られた白銀の刃と鍔迫り合うのは、この場に於いて数少ない、諦めぬ者。

 冷徹なる勇猛に身を染め、死と怒りの覚悟を瞳に宿す者。


「あとは僕がやる――行くぞ、リヴォルッ!」


 フォンだ。顔を上げたクロエの目に映ったのは、不死身と見紛うリヴォルに対してすら欠片も諦めず、常人では視界に捉えることすら難しい剣劇を繰り出すフォンだ。


「そうこなくっちゃ、お兄ちゃん! きゃははははッ!」


 リヴォルもまた、唯一攻勢に出ようとしたフォンの態度を心から喜ぶ。なんせ彼は、殺すに値しない有象無象とは違い、レヴォルの猛攻を見切り、死の舞を踊ってくれるのだ。

 一方、今までは無傷で敵を倒してきたフォンはというと、今度ばかりはそうはいかない。レヴォルが人間では不可能な動きで斬撃を叩き込むのを、彼は衣服を裂き、時には微かに肌を掠めるすんでのところでかわし、苦無による一撃を叩き込もうとする。

 金属がぶつかる音とリヴォルの甲高い笑い声だけが響く、人の立ち入る隙間のない、正しく忍者の死闘。極限まで肉体と精神を研ぎ澄ませた激闘を、ただクロエ達は眺めているばかりだったが、心臓の奥からは後悔と痛みの感情がこみ上げてきた。

 足手まといにならないと言った。後悔しないとも、守ると言った。

 その果てが、結末がこれか。誰も守れない、いつもの通りフォンに頼るだけの生き恥。ここについてきた意味など到底ないではないかと、三人は自分自身に質問する。

 ひたすらに、自分に問いかけた末に――三人の答えは、同時に出た。


「――フォン、下がって!」


 殆ど反射的に、クロエは叫びながら矢を番え、リヴォルに向かって放った。

 驚くフォンの頬を掠めかねないほどに正確な弓の一撃は、リヴォルまで届きはしたが、彼女は何と素手で弾き飛ばしてしまった。戯れの妨害をされた彼女は物凄い形相でクロエを睨みつけたが、邪魔者は彼女以外にもいる。


「うおおらあぁぁッ!」


 クロエの後ろから猛牛に用に突進し、メイスを叩きつけるのはサーシャだ。宙を舞って回避するリヴォルだが、今度は忍び寄っていたカレンが、爪に灯った炎を投げつける。


「忍法・火遁『尖火の術』!」


 爪の先に光る炎の大きさは大したものではない。しかし、リヴォルの姿勢を崩し、防御を僅かに遅らせるのには十分だった。つまり、フォンが追撃を仕掛けるのにもだ。


「はあぁッ!」


 がら空きになった腹に蹴りを叩き込まれたリヴォルは、川まで吹っ飛んだ。

 小川に顔から突っ込み、ずぶ濡れになってしまったリヴォルと動かないレヴォルから一瞬たりとも目を逸らさないまま、フォンと仲間達は並び立つ。弓を、メイスを、火を灯した枯草を構える彼女達の介入に、最も驚いたのは敵ではなく、フォンだ。


「皆、どうして……?」


 忍者同士の死闘に割って入った理由を問われたクロエ達だが、聞くまでもないはずだ。


「ここに来る前に言ったでしょ? 家族は絶対に守るって」


 微笑むクロエの目元には、乱暴に涙を擦った跡がある。


「ごめんね、フォン。あたし、もう勝てないって思った。ここで終わりなんだって、あたし達じゃ何もできないんだって思って、動くのも諦めてた」

「……サーシャも、同じ。トレイル一族なのに、サーシャ、死を受け入れた」

「それで、それで正解なんだよ! 忍者との戦いだ、怖れるのは仕方ないんだ! 寧ろリヴォルに攻撃すれば狙われるだけだ、逃げたって誰も責めやしない!」

「いいや、いるでござる。拙者が、拙者自身を責めるのでござる」


 カレンは震える足を抑えながら、それでも一歩も退かず、無理矢理に笑っていた。


「拙者達は家族でござる、ならば一人を置いて逃げるのも、戦いを諦めるのもあり得ないでござる! 畏怖するのはもう終わり――師匠達となら、何も怖くないでござるよ!」


 屈託ないカレンの言葉で、四人の心の決意は完全なるものとなった。

 口先だけの友情ではない。いざとなれば強張るほどの仲間意識でもない。フォンが今まで知らなかった家族の存在が、今この瞬間、言葉よりも確かな感情として生まれた。

 四人は意志を強く固め、立ち上がろうとするリヴォルから目を逸らさない。手を握らずとも、血の契りを結ばずとも、四人はこれから、共に戦うのだ。


「よく、も、よくも……お兄ちゃんと、私、のッ!?」


 訂正、四人だけではない。家族とまで言わずとも、協力者はいる。

 レヴォルを操って四人に襲いかかろうとしたリヴォルだったが、人形は突如としてどこからか放たれた、連なる刃によって封じられた。鋼線で繋がれた刃の関節でぐるぐる巻きにされたレヴォルは、人形の力でも動けない。

 またも何が起きたのかと困惑するリヴォルの前で、人形は水を遮る岩場に思い切り叩きつけられ、体の節々にひびが入った。今度こそ動かなくなった人形から刃を剥がし、四人に歩み寄ってきたのは、肩を鳴らしながら刃を振るうアンジェラだ。


「ちょっと、私のことを忘れるなんて薄情じゃない?」


 余裕の表情を浮かべる彼女だが、リヴォルから受けたダメージは決して軽くはないようだ。時折腹を手で抑えながらも、それでもアンジェラはフォン達と並び立つ。


「これで終わりにするわよ。五人でこいつを倒す、とどめは私が貰うけどね」


 アンジェラの言葉に、フォンは頷く。


「ああ……行くぞ!」


 そして、まだ立ち上がる途中のリヴォル目掛けて、五人は猛攻を畳みかけた。

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