第4話 ニンジャ・ミッション


 クロエがペンから目を離したのは、ほんの一瞬だった。フォンが体を動かした挙動なんてなかったのに、彼はいつの間にかペンを握り、クロエに渡す仕草まで見せていた。

 時間で言うなら、瞬き一回分。その間に、そんな動きをしてのけたのか。


「落としたよ、クロエ」


 きっと偶然、フォンのもとに落ちたのだ。クロエはそう思い、ペンを受け取った。


「あ、うん、ありがと……今、拾ったの?」


「落ちそうになったから。それがどうかしたの?」


「別に、なんでも。そういえばさ、今日からいきなり依頼を受けても大丈夫?」


「うん、大歓迎だよ! クロエの役に立ってみせるから!」


「ふふっ、期待してるよ」


 話はとんとん拍子で進み、クロエはさらりと書類に必要事項を記入して、二人で席を立った。そして、それをカウンターの向こうに立つ受付嬢に手渡した。


「お、良かったじゃないですか、フォンさん! パーティに参加できたみたいですね!」


 一人ではないフォンを見て、受付嬢もどこか安心したようだ。


「おかげさまで! それでクロエ、受ける依頼って決まってるのかな?」


「まあね。受付さん、この『タスクウルフの牙の納品依頼』を、受注でお願い」


「かしこまりです!」


 カウンターの後ろには、書類が山ほど貼り付けられた巨大なボードがある。そのうちの一枚をクロエが指差すと、受付嬢は紙を引っぺがし、少し離れたところで処理を始めた。

 顎に指をあてがうフォンは、これから狩る魔物について考えていた。


「タスクウルフ……山林地帯の奥にしか生息しない、黒くて凶暴な狼だね。群れで生活するから、下手な数のパーティじゃあ返り討ちに遭うことが多いって聞くけど」


「一対多数の戦いなら、あたしが慣れてるよ。キミは荷物持ちをしてくれればいいから」


 フォンが知る限り、タスクウルフは狩るのが難しい魔物だ。だが、クロエがこう言っている以上、彼女に背負われた巨大な茶色の弓と弓筒は、伊達ではないのだろう。


「分かった。でも、やってほしいことがあるなら何でも言って! 僕は出来る限りのことをして、クロエに報いるからさ!」


 クロエは笑顔で頷きながら、小動物のような仕草を見せるフォンを、面白おかしく思った。何でも言ってくれという彼に、戦闘面で期待などしていない。程よい報酬で、馬車馬の如く働いてくれれば良いのだから。


(忍者って言うけど、これじゃ召使いだよね。まあ、使いやすくていいけどさ)


 都合の良い召使いが手に入った喜びを内心に隠しているクロエに、受付嬢が近づいてきた。その手には、巨大な赤い判が押された、依頼用の書類。


「はい、受注は完了しました! 納品までの期限は三日間となっていますので、期限を超えてしまわないように注意してくださいね!」


 クロエは書類を受付嬢から受け取ると、フォンに言った。


「はーい。それじゃ、近くの万屋で準備に取りかかろっか、フォン」


「よーし、やるぞーっ!」


 誰かの為に尽くすのだ。死して尚、忠君の精神を忘れることなかれ。

 師匠の言葉を、フォンは思い出していた。


 ◇◇◇◇◇◇


 フォンとクロエが案内所を出て暫くしてから、別のパーティが依頼を受けていた。

 受付嬢から書類を受け取ったのは、クラーク達勇者パーティだ。フォンをクビにして、パトリスというナイトを招き入れた彼らの、新たな門出となるのだ。


「お待たせしました、それでは『ツインヘッドブル一頭の討伐依頼』、受注完了です。期限は四日ですが、いつもの調子なら一日で帰ってこられるかもですね!」


 初戦を勇名で飾るのに選ばれたクエストは、ツインヘッドブルの討伐。荒れ地に住む、二つの頭を持つ巨大な人食い猪。強力な敵だが、勇者にとっては敵ではない。これまでがそうだったのだから、仲間達も当然そう思っている。


「勿論だ。ナイトを加えた新生パーティに、敵なんかいねえさ」


「クラーク様、期待してもらえるのは嬉しいのですが、私はあまり実戦経験がなく……」


「その時は、あたし達がフォローするさ。待ちに待ったナイトだ、あの荷物持ちよりは守る価値があるってもんだ!」


「私もー! 魔物なんてばしばしやっつけちゃうぞーっ!」


 荷物持ちよりもずっと有能な仲間を加え、誰もがやる気を見せる中、クラークは自分の傍にいるマリィが、暗い顔をしているのに気付いた。


「よし、それじゃあ早速行こうか……どうした、マリィ?」


「う、ううん、何でも……」


 心配させまいとするマリィの肩を、クラークは優しく抱いて、囁いた。


「……フォンのことなら、遅かれ早かれこうなる運命だった。マリィがフォンを突き放したと思うのなら逆だ、フォンが君を縛ってんだ。気に病む必要はないぜ」


「……ありがとう、クラーク……!」


 フォンを忘れ、クラークに愛されることを選んだマリィ。ハーレムのようなパーティでこれからも無双していくと信じて疑わないクラークと、彼を信奉する仲間達。

 彼らは気づいていない。


 フォンが――忍者がいないのが、どれほどの悪夢を自分達に齎すのかを。

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