29 裏切り



「どういうこと? 冗談よね……?」


 顔を引きつらせて、アイーダが震える声を出す。その問いに、俺はとっさに応えることができなかった。


「偽物の魔法って……? 私を騙して殺そうとするって、……なに?」


 アイーダはその視線を俺からジョシュアに移す。


「……」


 だがジョシュアもまた何も言わず、あるいは何も言えず、目をそらした。


「どうして、二人とも、何も言ってくれないの……?」


 力が抜けたように、アイーダはその場にへたり込む。


「アイーダ……!」


 ジョシュアが駆け寄り、その体を支えようと手を伸ばす、が。


「触らないで!」


「っ!」


 拒絶の言葉とともに、その手を払いのけた。


「二人とも、私を騙していたんでしょう……? 返して、返してよ! 私のお兄様とお母様を返してッ!」


 頭を抱えながら絶叫するアイーダ。その心が限界を迎えているのは、誰の目にも明らかだった。アイーダ自身、きっと自分が何を言っているのかわかっていない。


 だがそんな言葉でも、いや、そんな言葉だからこそ、それはどこまでも本音に近いように思えた。悲痛な面持ちでその言葉を受け止める共犯者の姿が目に映る。


「ああ、そうだ。俺は、お前を殺すつもりだった。お前だけじゃない。お前の母、クイナ・キャバディーニもだ」


 追い打ちをかけるように、平坦な口調で俺は真実をアイーダに告げた。


「……っ」


 信じられないものを見たかのように、アイーダは俺を凝視した。


 アイーダは、どんな言葉を求めているのだろう。否定? 肯定? あるいは言い訳、それとも謝罪だろうか。


 そんな、欲しがっているものを与えてやるほど、俺は優しくない。


「家族を失い、魔族に狙われ、悲劇のヒロイン気取りか? 自分だけが辛い思いをしているとでも思っているのか?」


「な、なにを……」


「お前の悲劇なんて、ありふれた不幸の一つでしかない。生きていれば当然に経験することだ。それを、……自分が特別な存在だとでも思っているのか?」


 アイーダの瞳に、涙が浮かぶのが見えた。おびえた瞳で俺を見るその姿が、過去の、夕暮れの広場にたたずむ少女と重なった。


「自分のことしか考えずに感情をまき散らす。まるで子供だ。まったく、いいご身分だよ、完全適正者のアイーダ。……その自分中心の思考が、俺は昔から――」


「ジーン」


 見かねたジョシュアが止めようと口をはさむ。このままではアイーダも俺も、傷つくだけだから。けれど、そんな優しさを無視して俺は、




「――大っ嫌いだったよ」




 拒絶の言葉を吐いた。


「――っ」


 目に涙をためたアイーダが、何も言わずに走り出す。乱暴に閉められるドアの音に、外に出ていったのだと把握する。そのあとを追うように、ジョシュアがドアノブに手をかけた。


「追うのか?」


「……追うべきではないのはわかっている。君があんな言い方をした理由も、なんとなくは察しているよ。でもね、ジーン」


 怒りを抑え込む様に、その声はわずかに震えていた。


「あれは言い過ぎだよ」


 今度は静かに扉が閉まり、俺は一人取り残された。……取り残されただなんて、おかしな言い方だ。自分で追い出したようなものなのに。


 一度だけ、深くため息をつく。


「言い過ぎるくらいが、丁度いいんだ」







 さびれ、朽ち果てた街の中を、一人歩く。


 誰もいない廃墟をたった一人で歩いていると、まるでこの世界に自分しかいないような気がしてきた。


「……っはは」


 思わず、乾いた笑いが漏れてしまった。おかしいことなんて何もないのに。楽しいことなんて、何もないのに。


「ははっ……はは……」


 感情と反対の笑い声が出るたびに、どこかについた傷が、ひび割れが広がっていくようで……。


 これが一人ということか、と。母も、兄も、親友も失ったという事実が、枯れ果てた心に罅を深く深く刻んでゆく。


 どこか、遠い場所に行きたかった。誰も自分のことを知らない、そんな場所に。そうすれば、自分が一人であることを意識せずに済むから。現実から、逃げられる気がしたから。けれど、疲れ切った足は言うことを聞かず、私は道端にへたり込む。


 足を止めると、否応なしにジーンの言葉が思い出される。それと同時に、いなくなった母や、兄の顔も。ようやく乾いた瞳が、再びあふれた涙にぬれる。


「なんで……? どうしてよ……。お兄様……ジーン……」


 裏切られたとわかっても、その二人に縋ってしまう自分が、どうしようもなく惨めで、情けなくて、何より腹立たしかった。


 ざっ、と。すぐ後ろで足音がする。


「……アイーダ」


 躊躇いがちにかけられた声。すぐにでも泣きつきたい衝動を堪え、私はあくまでも冷静を装って、見栄を張って後ろの人物に尋ねた。


「今更、何をしに来たのですか」


 振り向くと、そこには本物の兄であるジョシュアが、何とも言えない顔で立っていた。


 ああそうだ。今更だ。事情も何も話さずに姿を消し、こちらに連絡を取ることもせず、王が用意した偽物に隠れ続けた。本物なら、奪われた場所を取り戻すくらいすればいいものを。


 ……結局、偽物が死んで初めて姿を見せて、しかも私と母を殺す計画を立てていた。私の、もうたった一人の家族だというのに……。


「さすがに、放っておけなくてね」


「――っ」


 その日和見な言葉に、私は思わず怒りの感情をぶつけてしまう。


「なんですかそれは……! 今までずっと、放っておいたくせに! 確かに、王は信用できなかった。姿をくらましたあなたの判断は正しかった。でも! あなたは私と母を見殺しにしたんです。自分の偽物を止めることもせず、国に真っ向から対立することもしなかった! ……そんなあなたを、私が『兄』として認めるとお思いですか!?」


 一気にまくし立てて、少しだけ息が切れる。


 むしろ、偽物のほうがよほど兄らしかった。だれよりも優しく、私を見ていてくれた。もちろんわかっている。それは王――あの魔族からの命令で自分を見張っていたのだと。でも、そう思わずにはいられない。そう言わずにはいられない! 何もしてくれない本物よりも、寄り添ってくれた偽物のほうが、私にとっては兄だった。


 何も言わない兄と私の間に、荒い呼吸だけが虚しく響いていた。


「……兄として認められたいなんて、思っていないよ。アイーダ、君と母上を殺す計画だったことも、……事実だ」


「っ!」


 扉越しに聞いて、ジーンから直接言葉を叩きつけられて。でも、本物の兄の口からその事実を聞くことは、それとは比べ物にならないほどにショックだった。


「……なら、本当に何をしに来たんですか。……何ですか、放っておけないって。今度こそ、私を殺すのですか……?」


 恐る恐るそう尋ねると、兄は「違うよ」と言って首を横に振った。なら、もういよいよわからない。なぜ私が生きているのか。なぜ謁見の間で、ジーンが私を助けたのか。なぜ私を追い出すような真似をしたのか。なぜ兄は私を追いかけてきたのか。


「放っておけないっていうのは、アイーダのことだけじゃない。俺は、ジーンのことも放ってはおけないんだ」


 なぜここでジーンの名が出てくるのか、理解できなかった。


「ジーンの、今の彼の何が放っておけないんです。私と母を殺す計画だって、立てたのはジーンなのでしょう!? 私は、信じていたのに……。彼と再会できて、ほんとうに、嬉しかったのに……。なのに彼は私を騙し、裏切った! それも最悪の形で!」


 所詮彼は私のことを道具としか思っていなかったのだ。自分を裏切り、捨てた国に、王に復讐をするため、王にとって重要なカギであった私を殺そうとした。逃げていた私を救ったのも、計算の上だったのだろう。


 運命の再会は仕組まれたものだった。何もかもが計算のうちだった。きっと、王が魔族でなければ私は殺されていたのだろう。結局、私は誰にとっても道具であったというわけだ。


「もう、戻れないのですね」


 再会に高鳴った胸を抑える。喜びに濡れた目を閉じる。この鼓動を、今すぐにでも止めてしまいたいほどの絶望が、悲しみとなって溢れ、瞳を濡らした。


「ああ。もう、あの頃には戻れない。あの、四人で遊んだ頃には」


 ――兄の言い方に少し、疑問を覚えた。あの頃には戻れない。それはジーンが、兄が変わってしまったからだと、私はそういう意味でつぶやいた、はずだ。ただ、私はここまで兄と話をしていて思ったのだ。兄は、考え方こそ変わったが、その本質は変わっていないと。それは、私とジーンを放っておけないと言ったことからも伺えた。


「ジーンの魔法は、普通じゃない。相手に、自分は魔法を使える、と思い込ませることによってはじめて使えるようになる。敵を騙し、その思い込みに付け込む、言わば偽物の魔法だ。ジーンは自分の父を憎み、国を、王を憎み、そして、自分からすべてを奪った魔法を憎んだ。そんなジーンが、偽物とはいえ魔法を使う自分自身を許せると思うかい?」


「っ!? そんな、それじゃあ……っ」


 兄の言う「戻れない」というのは……。


「全てが終わり、アイーダも、母上も殺した後。俺はジーンに殺され、ジーンは自害する。もともと、あいつの生きる理由は復讐だ。そのあとの人生に価値なんてない。すべての仇をとった後、自らその命を絶つ。最初からそのつもりだったんだ」


 でなければ、実の母と妹を殺す計画なんて、立てられるわけがないだろう? そう言って兄は悲しげに笑った。


「……そう、戻ることなんてできないのさ。どれだけ今を憎んでも、悲しんでも、失ったものは戻ってこない。俺がジーンの計画に賛成したのは、あいつだけに寂しい思いをさせたくなかったからかもしれないな。まあ、巻き込まれたお前と母上には申し訳ないけど」


「え……?」


 少し、待ってほしい。その言い方ではまるで、ジーンは……。


 私の言いたいことを悟ったのだろう。兄は笑顔を消し、沈痛な面持ちで答えた。



「ああ。メイアは死んだよ。殺された。俺が……殺したようなものだ」



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