28 信頼
かつて住んでいたスラム街はすでになく、商業区の歓楽街からかなり外れたところに、俺の家はあった。ジョシュア――本物の――と住んでいるので俺たちの家、になるのだが、そんなことを気にすれば、家ではなく隠れ家や基地、という呼び方がふさわしくなるだろう。
あの魔族から逃げ帰り、丸一日が過ぎた。今はジョシュアと二人、魔族の登場という異常事態に頭を抱えている。
……あの爆発に乗じて逃げた時、唐突に魔力が無くなっていくのを感じた。ジョエルは爆発で俺を見失い、アイーダは母のことで思考がいっぱいになり、俺への認識を切らしたのだろう。
だが、あの魔族が禁呪程度で俺とアイーダを見失うとは考えにくい。視界という意味であれば、あの粉塵の中で飛びだした俺たちを視認するのは不可能に近い。だがそれなら、爆発した瞬間に俺の魔法は使えなくなっているはずだ。だが実際には、謁見の間を飛び出してからも、少しの間俺は風魔法を使えていた。
魔族には魔力を感知する能力があるのかもしれない。そう考えれば、視界がふさがれた中で俺たちを認識できたことも納得ができる。ならば風魔法が使えなくなったのは、感知できる範囲外に出たからか? いや、楽観視はできない。魔力感知ができるのなら俺の魔法が偽物だと分かってもおかしくはない。そもそも俺に魔法が使えないことを一番よく知っているのは奴のはずだ。
「やはり、アイーダに戦ってもらうしかないんじゃないか?」
ジョシュアが寝室につながるドアを見ながら言う。アイーダは疲れか、それとも家族を失ったショックからか、ここに到着してすぐに気を失い、今もベッドで横になっている。
「確かに魔法を使ったアイーダの戦闘力は高い。だが、相手は魔族。俺たちが使う魔法の生みの親だ。そううまくはいかないだろう。それに――」
言葉を区切り、俺もアイーダが眠る寝室のほうを見る。
「それに、アイーダの戦闘技術は学院時代から進歩が見えない。きっと大切な鍵として扱われて、実戦経験を積めていないのだろう」
自分の甘さをひけらかすようなことはしない。ただでさえ、アイーダを連れて帰った時にジョシュアにはひどくからかわれたのだ。もっとも、アイーダが生きていると知った時、ジョシュアも安心しきった表情を俺に見られたのでおあいこだが。
「……しかし、本当にいいのか? お前のこと、アイーダには説明しなくて」
「ああ。少なくともこの件が落ち着くまでは」
ジョシュアには一通りのことを説明してある。アイーダのこと、クイナのこと、魔族と魔法のこと、そして偽物のジョシュアのことも。
「五年も信じていた兄を亡くしたばかりで、いきなり本物の兄ですって言われても混乱するだけだろう。話すべきは今じゃないよ」
まあ、そこは兄妹の問題だろう。俺は「そうか」とだけ言っておいた。
「それよりも、魔族だ。どれだけ強くても、復讐をやめるつもりはないんだろ?」
ジョシュアの問いかけに、俺は即座に頷く。
「当然だ」
どれだけ強くても、絶望寸前の種族。たとえ魔法が使えなくても、不意を突けさえすれば殺す手段はあるはずだ。正々堂々なんて生ぬるいことは言わない。俺がすべきは一撃で確実に殺す暗殺だ。
「しかしこうして話して、考えていても、なかなか信じられんよ。王が魔族で、魔法を授かる儀式は魔神復活のためのシステム。そして、人間は借り物の魔力を増幅するだけの家畜みたいなものだった、なんて……」
「俺だって、信じたくはない。二年前は人生の意味を失い、そして今回は復讐の意味を奪われた。破壊も、復讐も、そのために費やした時間も、何もかもが無意味だと。いや、それどころか……」
それどころか、敵の手助けをしていただなんて、無意味を通り越して絶望する。
「でも、それでも止まらない」
ジョシュアが試すようにこちらを見る。
「ああ。今回は失敗だったが、得るものもあった。復讐する相手が、明確になったのだから」
「偽物の魔法で本物の魔族に復讐する、か。まるで物語のヒーローだ」
茶化すようにジョシュアが言う。状況が絶望的だということはジョシュアも理解しているのだろう。暗く、ふさぎ込んで考えていても状況は好転しない。だからこそ自分はサポートや、状況を盛り上げる影の役に徹する。
スラムの情報屋時代から何も変わらない、この男の特性だった。
ならば、俺もそれに乗らなくてはならない。少しでも状況を好転させるために。
「はっ、俺がヒーロー? 笑わせるなよジョシュア。どこのヒーローが幼馴染を騙して、利用して、殺そうとするんだよ」
だがまあ、無理に明るく振舞おうとしてもそう上手くはいかない。なにせ俺が語れることに、明るくなる要素なんて全くないのだから。
「……そうだよ、お前の母親だって、本当は俺が……」
「……ジーン」
「なに……それ……?」
だが陰鬱とした雰囲気は、予想外の声によって壊された。
「っ!」
「――あ」
ジョシュアと二人、慌てて寝室のほうを向く。と、その扉は音もなく開いており、壁によりかかるように立つ少女が、その瞳を化け物でも見るかのように見開いていた。
◇
目が覚める。目覚めは良いほうなのだが、どうしてか焦点が合うのに少し時間がかかった。もしかして、けっこう長い時間眠っていたのだろうか。どうして……?
「――っ!」
そう考えた時、暴力のように記憶が襲い掛かってきた。
国王、魔族、英雄、魔神、鍵、生贄。
全て、現実のこととは思えない記憶。けれど、自分自身が、この記憶が間違いなく現実のものであると認めている。
「お母様……、お兄様……」
そうか、この記憶が本物なら私は、私は失ったのだ。大切な家族を、二人とも。
「……ジーン」
けれど、出会いもあった。再会を求めてやまなかった彼との。ということは、ここは彼の家だろうか。改めて部屋を見渡す。質素な木造の家だ。私が今寝ているベッドのほかに、もう一つ、反対の壁際にベッドがある。
……少し気になるけれど、今はジーンに会って話を聞かないといけない。私の記憶が、本当にあった出来事なのか。
「……うっ」
立ち上がろうとベッドから降り、すぐにしゃがみこんだ。そういえば、私はどれだけ寝ていたのだろう。ひどく体が重い。床に手をつきながら、這うようにドアへ向かう。すると、扉の向こうから話し声が聞こえた。
『――なかなか信じられんよ。王が魔族で、魔法を授かる儀式は魔神復活のためのシステム。そして、人間は借り物の魔力を増幅するだけの家畜みたいなものだった、なんて……』
――まさか、お兄様!?
その声は、間違えようもなく兄のものだった。でも、兄は死んだはずだ。いや、でも死んだのは魔族が作り出した偽物だから……。じゃあ今話しているのが本物の……?
一縷の希望を抱いて、私は声に耳を澄ませながらドアに進む。
『俺だって、信じたくはない。二年前は人生の意味を失い、そして今回は復讐の意味を奪われた』
この声は、ジーンだ。やはり彼と出会えたのも夢ではなかった。思い通りに動かない体がもどかしい。早くその扉を開きたいのに。
『でも、それでも止まらないんだろう?』
『ああ。今回は失敗だったが、得るものもあった。復讐する相手が、明確になったのだから』
ようやくドアノブに手をかけた時、聞こえた復讐という単語に手が止まった。
そうか、やはり彼は、復讐のために私を助けてくれたのか。
魔法を使えなかった彼が、あの後どういう人生を送ったのかはわからない。ただ、母親はショックで自殺、父親は今まで以上に権力に取りつかれ、家族は引き裂かれた。彼本人も、それまで培ってきたもの全てを失った。それは復讐に走る動機として、十分すぎるように思えた。
そういえば、メイアちゃんは――?
そこまで考えて、ここにいるべきもう一人の存在を思い出す。彼の妹、メイア。マクレイン伯爵は家族を全員失ったと言っていたから、てっきりメイアちゃんは彼についていったのだと思っていた。
こうして考えていてもわかることではない。私はドアノブを握る手に力を入れた。その時、
『偽物の魔法で本物の魔族に復讐する、か。まるで物語のヒーローだ』
――にせ、もの?
今のは兄の声だ。兄は魔法を使える。なら、偽物の魔法とはいったい何のことを……。いや、考えるまでもない。そもそもおかしいのだ、努力で魔法が使えるようになるなんて。魔法の真実を知った今でも、その事実は変わらない。
なら彼は、ジーンは、どうやってあんな力を? どうして、私に真実を教えてくれなかったの?
ドアノブを握ったまま、扉の向こうに耳を澄ます。聞いてはいけない話なのかもしれない。でも、聞かずにいることなどできなかった。
そして、次に聞こえた言葉は、私が全く、想像もしていないものだった。
『はっ、俺がヒーロー? 笑わせるなよジョシュア。どこのヒーローが幼馴染を騙して、利用して、殺そうとするんだよ』
その言葉は、声は、間違いなくジーンのものだった。
――音もなく、扉が開く。
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