嚆矢の行先 Ⅲ


「ーーーそれで部隊の再編は?」


「未だ二割程度、と言いましょうか……依然として厳しい状況です」


 ここはフーレン川下流の街ナベローの貴族屋敷に設けられたキネロ王国軍本陣。

 漁業が盛んなキネロ王国東部の街は今やうめき声を上げる王国兵で溢れ返っていた。

 兵の看護の為に徴用した街の者や未だ健全な兵達からは既に厭世観が漂っており、誰しもが青白い顔をしているそこは、まるで『亡者の街』と言われて不思議はなかった。

 そこの最高責任者である私はちょうど家臣のウスターシュからした軍の再編状況を確認していた。


「ふむ、貴族や古参の兵を失いすぎたな。 ……やはりこれでは当分の間は何も出来ないだろう。 姫様もその点ご了承下さい」


 私の隣、長机の上座に座るのはキネロ王国の第三王女ミレーヌ・フォン・キネロ・シュペルヴィエルだった。

 先の戦いで独断専行し、敵の一騎討ちに名乗りを上げた挙句、敵の指揮官に絆されかけたである。


 ーーー国王には参ったものだ。

 随分とこの姫様を甘やかしたようでまったくもって異性に免疫がない。

 まぁ、王族という建前上、積極的にアプローチされるような事はないためしょうがないとも言えなくはないが……。


「うむ、それは分かっている。 仕方あるまい……」


 それは自分の独断専行の行いに非を感じているからなのか、まるで彼女は借りてきた猫の様に大人しかった。


 ーーーこれはこれで良い薬になったということか。

 冷静になれば彼女は軍事において非凡な才能を発揮する。

 少なくとも今回の退の判断は悪いものではなかった。


「し、失礼します! はぁ、はぁ……伝令っ! 敵指揮官から言伝を預かってまいりました。 ……それと餞別を……」


 大きな鞄をいくつも抱えて飛び込んでくる兵士。

 見覚えのある顔だった。

 今後の事を考えて私が敵軍の将に送った言伝を任せた者だ。


 ーーー返答か、期待はしていなかったが悪くはない反応だ。


「で、どういう内容だっ!」


 席から飛び立ち息を切らす伝令兵の胸ぐらに掴みかかるミレーヌ。


 どうやら敵の指揮官のアズマ・シンタロウとやらは随分といい男らしい。

 箱入り娘とはいえ、一国の姫を僅かばかりの会話でのだ。

 返答に多少の期待をしても許されるだろう。


「姫様落ち着いてください。 別にこれは親しい者との文通ではないのですぞ。 いわば戦場の儀礼。 敵との最低限の交流です。 期待されない方が良いかと」


 諫めるウスターシュ。

 確かにこれは儀礼的なもの。

 少なくともミレーヌの期待する言葉は入っていないことは明らかだった。


「……誠に申し上げにくいのですが……敵の指揮官であるアズマ卿の言葉をそのままお伝えします! 『くそったれ! 二度と御免だ!』と」


 どこか申し訳なさそうに、そして半ばヤケクソに叫ぶ伝令兵。


「なんだ……と……」


 青ざめて言葉を失うミレーヌ。

 体に震えまできてしまっているのを見ると流石に可愛そうになる。


 彼、アズマとのやり取りは彼女からそれとなく聞いているが、これはどうしたものか。

 もう色々と手遅れなような気がするも、


「はっはっ! 中々どうして、向こうの指揮官も活きのいい奴じゃないか! 姫様、これは私の発言に対する返答ですぞ、決して姫様の事を言っているわけではないかと」


 おそらく私の言伝の内容を知らないであろう彼女の誤解を解く。

 きっと自身とのやり取りと勘違いして衝撃を受けたのだろう。


 ーーー恋は盲目、いや猛毒か。


「私には! ……私に宛てたものは何か無かったのかっ!」


 胸ぐらを掴んだ伝令兵を力任せに揺さぶるミレーヌ。

 発言しようにもミレーヌの力が強すぎて、兵士は息も絶え絶えだった。

 ここまで来ると伝令兵が可哀想になってくる。

 そろそろ、解放してやれないものか。


「っ……はぁ、はぁ。 ……いえ、言伝は……以上です。 はぁ……あとこちらの餞別を……待たされるだけ待たされまして」


「そんな……」


 再び真っ青になるミレーヌ。

 ふむ、これは手に負えんな。


 最悪、アズマとやらに引き取ってもらうか。

 だが…………存外悪い手ではなさそうだ。

 これからのことを考えるとむしろそちらの方が色々と都合が良い。


「ふむ、これは食料ですか。 ……それにこの容器は? 中に水のような物が入ってますな」


 放心状態のミレーヌをそのままに、ウスターシュは伝令兵の鞄の中に入っていた物を調べる。


「それは『消毒液』だそうです」


「『消毒液』だと?」


 聞き慣れない言葉だった。

 敵の持ち物は我々からすると未知の物が多過ぎる。

 これもその一つだろう。


 それだけ敵の文明が進んでいるのは明らかで認めざるを得なかった。

 だからこそ興味があった。

 それを理解できなければ、彼らと対等いや、仲間入りさえも許されない気がするのだ。


「はい、傷口にかければ化膿するのが抑えられると。 一応、軟膏の方ももらってーーー」


 手に取りよくその容器を見てみると、その見た目や感触から到底我々には生産できない物であることが分かる。


「私の! 私に宛てた物はないのかっ!」


 伝令兵の置いた鞄に頭から突っ込むミレーヌ。

 ーーーこれは、これは。


「……どうやら姫様は随分と拗らせておいでですな」


「あぁ、恋は盲目だと言うがな、随分と王宮は箱入りで育てたようだ」


 ーーーその時だった。

 開いていた扉から、一目で上流貴族と分かるような趣味の悪い豪奢な服を着た一人の男が姿を現す。

 どうやら我々の会話は聞かれていたようだった。

 ーーーまったくもって趣味が悪い。


「負けたというのに随分と賑やかなことですな。 敵の施しを受けるなどこの王国の恥知らずとも思える行為、バルバストル子爵はご自身のお立場を分かっていないご様子ですな」

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