嚆矢の行先 Ⅱ
「で、現実逃避は終わりましたかい、大将?」
ひたすら壁に向かって頭を擦りつけながら、まるで旧世代のRPGのデバッグテストの如く歩き続ける俺に話しかけるのは一人の青年将校だった。
彼の名は鈴木クラウディオ
日系ブラジル人であり、ラテン系のノリなのかインナーも着ずに黒い迷彩の戦闘服を着ていた。
胸元から少し見える逞しい胸筋に荒々しい胸毛と強烈なムスクの香り。
その彫りが深くイケメンと思われる顔と相まってムンムンとした色気を醸し出していた。
「うるせぇ。 とりあえずお前はその溢れ出る色気を抑えろ。 ……周囲に迷惑だ」
色気を抑えろなんて部下に初めて言った言葉だった。
そう、部下。
彼は俺が新たに率いることになった参謀本部直属の第一特務大隊の隊員だった。
先程、参謀本部は俺に任務の遂行の為に新たに一個大隊、千名を与えることを決定した。
もっともそれは昨日の今日、つい数時間前に決定した事項であり、到底千人もの隊員をすぐに用意する事は出来なかった。
そこで、とりあえずは寄せ集めの兵士、一個分隊十名をこちらに送ってきたというわけだ。
その中でも最上級の階級であったクラウディオが臨時の副官を務めていた。
「あーはぁ、ん。 隊長は分かってないですねぇ。 これは私の個性、溢れ出てしまう天性の色気はどうしようもないものです」
「……はぁ、少なくともその吐息だけはやめてくれ。 気持ち悪くてたまらん」
「了解、ふんっ」
本当に分かったのだろうかこの男は。
正直、この男は軍ではなくストリップバーの方がお似合いである。
「ーーーそういえば先程、敵の指揮官、アルベール・フォン・バルバストル子爵というらしいのですが、その伝令が来て『貴君の奮闘を称賛する。 そして王家の威光を知らしめたあの戦いに感謝しよう。 願わくば再戦を願う』と要塞指揮官であった吾妻少佐に伝えて欲しいと」
「伝令か、敵の指揮官も中々乙なことをするもんだな。 しかし、称賛に感謝か……ふむ」
てっきり敵の指揮官はキネロ王国の第三王女のミレーヌだと思っていたのだが、どうやら違ったようだ。
ーーー子爵か……ふむ、もしかしたら、
「どうかされました?」
「いや、杞憂かもしれないが、敵の指揮官のアルベールなんとやらも色々と難しい立場なのかも知れないな」
「敵が……ですか?」
「あぁ、『称賛』というのは戦場での時候の挨拶みたいなもんだ。 『王家の威光を』というのは例の姫様で、『あの戦いに感謝』っていうのは彼女を逃したことじゃないかと思う。 そもそも、かの王国の姫様が前線にいて、子爵があの場にいなかったのは何となく察することができる。 まぁ、あの姫様の性格だ、無理もないだろう」
少なくともあの場に敵の指揮官がいれば一騎討ちに出てくるのは彼だろう。
高々子爵程度の貴族が王族を身代わりにするなんてあり得ない話だ。
だからきっと焦っていたことだろう。
「……私はその場には居合わせなかったので何とも言えませんが、敵の姫殿下は随分とじゃじゃ馬だったと」
「じゃじゃ馬ねぇ。 一度戦った俺からすると猪突猛進ゴリラって言った方がいいか。 まぁ、おそらく無駄な功名心や憧れなんてもんがなければ、良い指揮官になれるんだがな」
かなりノリノリで一騎討ちに参加した彼女であるものの、こちらの増援が来た際にはすんなりと『撤退』の判断が出来るのだ。
おそらく、一騎討ちに名乗り出なければならない状況だということは最低限理解はしていた筈だ。
「随分な言いようですね。 一度は口説いたというのに」
「あれは一種の気の迷いって奴だ。 若気の至りだよ」
「随分とスネに傷がありそうで」
「それは想像に任せる。 まぁ、それによって敵の指揮官に恩を売った形になるのか。 世の中何が起こるか分からないものだ。 おそらく敵の指揮官のアルベールとやらは姫様の独断専行に随分と悩まされただろうからな」
「指揮官と一騎討ちで出てきたのが件の子爵ではなく、王族。 あぁ、何となく見えてきましたね」
どうやらクラウディオも理解したようだ。
その苦笑いはどこか呆れていた。
「自分達よりも先行して前に出た姫様に傷の一つでもつけたら、指揮官である子爵なんてお取り潰し確定だろう。 だからロクに一騎討ちもせずに帰した俺に『感謝』なんだろうな。 考えすぎかも知れないが、心中お察しするよ」
「では、『心中お察しする』と返しておきますか? 敵の伝令兵は要塞正門で待機させてますので」
「いや、返す言葉はこれで十分だ。 『くそったれ! 二度と御免だ!』ってな」
「……それでよろしいので?」
「……あぁ、それと。 伝令兵を帰す際には持てるだけの医薬品と食料を持たせてやれ。 恩は売っとくに越したことはないからな」
「了解です。 医薬品は包帯と消毒液あたりでよろしいでしょうか?」
「あぁ、その二点で十分だろう。 どうせ複雑な物を渡しても使い方は分からないはずだ。 それに上に無断での技術供与だなんの睨まれたくはないからな」
まぁ、消毒液という概念はキネロ王国にあるかは分からないが、傷口にかければ化膿しなくなる、とでも言っておけば問題はないだろう。
「了解、部下に手配を命じます。 ーーーそれで、この後はどうします?」
ーーー俺がやること、それは決まっていた。
むしろ、やれることと言うべきだろう。
「新しい部下達と親交を深めたいところではあるな。 ……ピクニックなんてのはどうだ?」
「既に外は真っ暗ですよ。 しかもこの土地特有の濃霧も発生しているようでとてもピクニック日和とは言えませんね」
窓の外を覗くクラウディオ。
既に夜の帳が降り、厚い霧がこのリーズ要塞を包み込んでいた。
「新しい土地に慣れるには絶好の機会じゃないか。 分隊員を集めろ、行方不明者の捜索に向かう」
「……捜索って。 気持ちは分かりますが、既に日も落ちてます。 それに第八師団は1900(ヒトキュウマルマル)をもって本日の捜索活動を終了してますが……」
「それがどうした? 俺達は参謀本部の直属、現場の第八師団の指示に従う必要はないはずだ。 高機動車を使う、準備しろ!」
「はぁ……何を言っても聞いてくれなさそうですね。 了解、準備に取り掛かります」
「ちょうど新しい戦闘服の効果も確認できるからいいだろう?」
彼が着ている黒迷彩の戦闘服。
それは参謀本部が試験的に導入する新しい戦闘服だった。
爬虫類の鱗のような多角形模様が特徴的なクリプテック迷彩というものであり、日陰などの暗所や夜間などに本領を発揮する。
「そりゃごもっともで」
肩をすくめお手上げだといった表情のクラウディオ。
正直、彼女達が見つかる可能性は低いのは分かっている。
だがーーー
……頼む、どうか無事でいてくれ。
今度は絶対にその手を離さない。
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