Point of No Return Ⅱ


「大尉……」


 それは負傷兵達の山から聞こえてきた声だった。

 俺はを抱えたまま声の方に振り向くと、そこには左腕を無くしたジルドが横たわっていた。


「……ジルド。 ……大丈夫か?」


 彼は随分と血液を失ったらしい。

 まるでゾンビのような青い顔をしていた。


「……辛うじて。 ……彼女は?」


「……先程亡くなった」


「そんな……マリアーノ」


 声を震わすジルド。

 彼と彼女は同じ中隊に配属された将校であるだけでなく、士官学校の同期であった。


 そしてーーー

 いや、やめておこう。

 これはの問題だ。

 俺が何か口出すのは無粋だろう。


「……彼女を頼む。 俺は戦線に加わる」


 そう言って俺は彼女をジルドに引き渡す。

 この場では彼が最も適任だった。

 彼も彼女に別れの挨拶の一つや二つくらいはあるだろう。


「うっ……了解です。 大尉……お願いが」


「なんだ?」


「……セラフィナ少尉を……いえ、『母』をよろしくお願いします……」


 溢れ出る涙を堪えながらジルドはその震える口を動かした。

 彼、ジルド・マドリガルはセラフィナの息子であった。

 親子で前線勤務、それも同じ部隊というのは長命種であるエルフならではだった。

 もっともそれは俺と息子を心配するセラフィナが色々と根回ししたお陰であり、今となっては後悔せざるを得ない行動だった。


「もちろんだ。 ……今、全てを終わらせてくる」


「……御武運を」


 その言葉はどこか弱々しかった。

 むせび泣くジルドを後にし、俺は戦場に向かう。

 人が死ぬのは戦場の常だ。

 それは分かっている。

 全ての部下の命を守りたい、そんな考えとうの昔に捨て去っていた。

 だからそれが合理的だと判断できれば部下に死も命じる。 


 ーーーそんな自分がとてつもなく嫌いだった。




「穿て、穿て、穿て。 我が孤高の氷雪よ。 古の約束された大地へ咎人を誘わん」


 まるで清流の如く淀みなく流れるような詠唱。

 魔王軍時代、『氷雪姫』という二つ名を与えられていただけはある。

 魔術師であるセラフィナの攻撃は苛烈だった。

 大地が凍りつき、地中から飛び出てきた氷柱が敵の兵士達を容赦なく貫く。

 一瞬にして築かれる死体の山。

 しかし敵も攻撃の手を緩めなかった。

 兵士達は味方の屍を乗り越えてただひたすら真っ直ぐ、こちらの陣地を目指して駆けてきた。


「撃てぇ! 絶対に突破させるな! 援軍はすぐに来る! それまで持ち堪えろぉ!」


 チェスの怒号が響く。

 こちらのキルゾーンに入ってきた敵兵が一人また一人と倒れていく。

 しかし、引き金を引くのは機械ではなく人だ。

 ミスが起きないはずもない。

 ましてや目の前だけで万の敵を相手にしているのだ。

 そのプレッシャーたるや想像を絶する。


「うわっ! 来るな! 来るなぁ!」


 敵に接近を許してしまった兵士が悲鳴を上げる。

 小銃から拳銃に持ち替え、敵を撃つもあまりにも動揺し過ぎたせいで殆どの弾は逸れていく。

 敵の剣が彼の首元に届くその刹那。


 ーーー俺はこの戦いで初めて引き金を引いた。


 雪崩れ込んでくる敵を一人、また一人と機械的な動作で排除する。

 冷静に処理すれば、無理なく対応できる人数だった。


「……大丈夫か?」


「隊長ぉ!」


 俺に泣きつくのは見知った兵士。

 直属の第三十二独立歩兵中隊の隊員だった。


「落ち着け。 落ち着いて狙えばあの人数くらい問題はないはずだ」


「す、すいません……」


 正直、今の今まで寝ていた俺が何を言うんだという感じである。

 おそらく、目の前の隊員は要塞に着いてから長いこと戦いに駆り出されているはずだった。

 だからミスするのも無理はない。


 ーーーだが、戦場にしていいミスなんて無い。

 したらそこでゲームオーバー。

 残機はなく、ただただ深い闇が待っているのみ。

 現実は残酷だった。


「大尉……良かった。 体調はもう大丈夫なんで?」


 駆け寄ってくるセラフィナ。

 どうやら敵は一旦距離を取って立て直してくるようだった。

 いくら三十万以上の敵がいるといえど、要塞内に入れるのはせいぜい五、六万がいいところだ。

 そしてこのヘリポート周辺の広場に侵入できるのはそこから更に人数が絞られ、一、二万程度だろう。

 要塞という追い詰められた環境が皮肉にも我々を救っていた。

 野戦なら敵の数の暴力の前にものの数分で全滅していたことだろう。


「おそらく、問題はない。 ……軽い脳震盪だろ。 すまないな、色々と迷惑をかけた」


「いえ、復帰していただけてこちらも助かります。 現在、敵は魔法とこちらの銃撃で随分と混乱しているようです。 多少は時間が稼げたかと。 状況の詳細は?」


「マリアーノ少尉から聞いている」


「…………少尉は?」


「残念だが……」


「……そうですか」


 クストディア・マリアーノ少尉の着任時、当時は士官学校を出たてで准尉であったが、この中隊での彼女の教育係は目の前のセラフィナだった。

 息子のジルドが士官学校の同期という事もあり、家族ぐるみの付き合いをしていたと聞いている。

 それにジルドのこともある。

 おそらく、セラフィナは精神的にかなりギリギリのところに立たされているはずだ。

 だが、俺にはかけてやる言葉はなかった。

 出来ることはーーー


「全員この機に負傷者を後送しろ! 弾薬の補充も忘れるな!」


 部隊の指揮という名目で話を逸らすことだった。

 戦場で死者に思いを馳せるのは非常に不味い。

 兵士達は皆、平時の価値観を捨て去って、ある意味現実逃避をしながら戦っているのだ。

 だから、残酷な現実に直面してしまうとその途端戦えなくなってしまう。

 それは俺も例外では無かった。


「セラフィナ、西部中尉はどこに?」


 クストディアからは現在俺に代わって指揮を取っているのは西部ニシベ耕三コウゾウ中尉、通称『とっつぁん』であると聞いている。

 だが、周囲を見渡しても彼の姿は見えなかった。


「西部中尉でしたら……先程負傷されて後送されてます。 お会いになりませんでしたか?」


「いや……。 容体は?」


「衛生兵ではないので何とも。 ……ただ傷は決して浅くないかと」


「とっつぁんめ。 ……無理しやがって」


 どうせ彼の事だ。

 『若い人には無理させられないねぇ。 おじさん、頑張っちゃおうかな』なんて言って無理に前に出たに違いない。

 まるで遊び人のような口調で飄々とした男であるが、若者を死なせないという信念を持っていることは古参の兵であれば誰しも知っていた。

 だが、彼にも守るべき、養うべき一人娘がいるのだ。

 ーーー決して死なせてなるものか。


「失礼します。 大尉、もう弾薬の残りが少なく……戦えて数分程度が限界でしょう」


 報告するのはチェス軍曹。

 おそらくここに来るまでに何度か近接戦闘をしたのだろう。

 体の至る所に切り傷があり、戦闘服も敵の返り血で汚れていた。

 戦闘の激しさは彼を見れば一目瞭然だろう。


「セラフィナ! 味方の増援までの時間は?」


「少々お待ちを! 空爆部隊ですと……残り……過ぎてます。 既に二分ほど到着予定時間を過ぎてます」


「っ! ……まぁ、そんな都合よく行かないのはわかっていたが……」


 ーーーその時だった。

 耳をつんざくようなエンジン音。

 響き渡る爆音。

 立っているのもままならないほどの地震が戦場を包み込む。

 そして容赦なく吹き付ける衝撃波は人だけでなく、戦闘で激しく損傷した建物達をも軋ませた。

 ーーー空爆だった。

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