Point of No Return Ⅰ


「あら、やっと目を覚ましましたの? まったく、お寝坊ですこと」


 そう言って俺の頬をまるで母の如く慈愛に満ちた表情で撫でるのは見知った顔、クストディア・マリアーノ少尉だった。


 ーーーあぁ、これは。

 彼女のひんやりした掌はどこか気持ちよかった。

 しかし、ヘリポートの防衛を任せていたはずの彼女が何故俺に覆いかぶさっているのだろうか。

 寝起きでまだ冴えきらない頭を必死に回すも答えは出なかった。

 近くから聞こえてくるのは鳴り止まぬ発砲音に怒号や悲鳴。

 ーーー少なくともここは戦場である事に間違いはなさそうだった。


「あ、っとマリアーノ? なぜ君がここに?」


「愛しい殿方の近くでを迎えたいと思うのは淑女として当然ですわ」


 どこか要領を得ない彼女の言葉。

 そして気になる単語もあった。


「……最後?」


「ごふっ! っ……」


 彼女の口元から溢れ出るのは血だった。

 よく見れば彼女の顔も青白い。

 それにーーー


「っ! マリアーノ!? ……お前」


 彼女の顔が近すぎて分からなかったが、彼女のその細い首には一本の矢が貫通していた。

 そして覆いかぶさる彼女を支えようと彼女の腹部に手を伸ばすとそこにもまた矢が刺さっていた。

 背中から腹部へ貫通する矢が数本。

 誰が見ても一目で分かる重症だった。


「今は……クストディアとお呼びください。 最後くらいよろしいでしょう?」


「いや、それより衛生兵をーーー」


「クストディア」


「う……分かったよ、クストディア」


 彼女の瞳は真剣そのものだった。

 そしてーーー


「よろしい。 ……では」


「っ! な……」


 彼女はいきなり俺の唇にキスをした。

 驚きはあった。

 だがそれ以上に俺の抱いていた憶測が確証へと変わる。

 ーーーそう、感じ取ってしまったのだ。

 彼女の唇を通して、もう彼女が長くはないということを。


「……ふう、ずっとこうしていたいのですが、私にも責務というものがありますから」


「責務?」


「ええ、統合軍少尉としての。 吾妻、現状をお話ししますわ」


「……あぁ、頼む」


 彼女は残り少ない時間を自分の為だけではなく、皆の為に使おうとしている。

 ーーー元貴族の令嬢なだけあって、なんとも気高いことか。


「まずここは最終防衛地点であるヘリポート内に作られた即席の塹壕ですわ。 っ! ……はぁ。 敵は既に要塞内に侵入。 私達の今いる場所を中心に包囲してます……わ」


 見るからに苦しそうなクストディア。

 だが、それを止めるのは野暮というものだ。

 彼女の覚悟を無碍にすることは出来ない。


「戦線は……はぁ。 あちら見えますでしょ? ……ここから約二十メートル先に私達を囲むように広がって……ますわ。 防壁の爆発に巻き込まれたあなたに代わって、現在指揮を取っているのは……っ! 西部中尉……」


「……了解だ。 ……既に要塞内に敵の侵入を許してしまったか。 爆発の原因と砲兵隊は?」


 俺の記憶はちょうど正門近くの防壁で指揮を取ろうとしたところで途切れていた。

 何かに吹き飛ばされた感覚はあるが、それが何かは分からなかった。

 ーーーそうか、あれは爆発か。


 だが、彼女の言う爆発であれば、敵はキネロ王国ではなく、身内である可能性が高い。

 キネロ王国はまだ黒色火薬すらも発明されていないはずだった。


「……あら、覚えてませんのね。 無理もないですわ。 ……生きているのが不思議なくらいですもの。 どうやら…….この要塞内に裏切り者がいたらしく、があなたのいた防壁を含む砲兵隊陣地、武器庫、車両倉庫を尽く爆発させたようですわ。 っ! ……詳しいことは私もわかりませんが、少なくともあの爆発の……近くにいて助かったのは……あなたぐらい……ですわ」


「それはまさに僥倖だ。 ……どうやら俺には勝利の女神がついているらしい」


 そう言って俺は彼女の艶やかな金髪を撫でた。

 ーーーもう限界だった。


 聞きたいことは山ほどあるが、最低限の情報は手に入った。

 もう、彼女を休ませてあげてもいいだろう。

 体は震え、既に視力も失っているようだった。

 おそらく、気力だけが今の彼女を支えていた。


「ふふっ……これでは……淑女……というよりも、戦乙女ヴァルキュリーですわね」


「あぁ、君には淑女よりもお似合いだ」


「あらあら……そう、ふふっ……。 で……は最後……に。 愛していますわ……私の『英雄』……」


「あぁ、俺もだ。 よくやった。 ……静かに眠れ」


 そう言いながら、俺から彼女にキスをする。


 ーーー既に彼女の反応はなかった。

 俺は知っていた。

 彼女が俺を慕っていることを。

 それも友情とか尊敬とかではなく、恋愛感情である事を理解していた。


 くだらない立場やプライドなどがしがらみとなり、彼女の気持ちに応えることは出来なかった。

 もちろん、俺も彼女を慕っていた。

 高圧的な元貴族の令嬢であっても、面倒見がよく優しい性格でいつも助けられていた。

 しかも容姿端麗でスタイルも良く、俺にはもったいないぐらいだった。


 一人の男は同時に二人以上の女を愛してはいけないなんてどうでもいい現代的な社会通念なんて捨ててしまえば良かった。

 ーーーすまない、クストディア。

 馬鹿な俺を許してくれ。


 だから、だからこそ、俺はやらねばならない。

 彼女が言う『英雄』になるために。


 俺は亡骸となった彼女を抱えて立ち上がった。

 『英雄』、それは重い言葉だった。

 皆の『英雄』になれるかは分からない。

 だが少なくとも俺は彼女の『英雄』にはならなくてはならない。

 だからこそーーー


「こちら吾妻大尉、今から戦線に復帰する!」



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