忍び寄る悪夢 Ⅷ


「……これはこれは」


 扉の向こうはまさに地獄絵図だった。

 一般的に基地の司令室であれば、部隊の将校達が作戦要綱を話し合ったり、事務作業をしているのだが、目の前の光景は真っ赤であった。


 ーーーそう、真っ赤だ。


 片付けられていない将校達の死体が転がり、デスクの上や壁などに飛び散った血液や肉片がそのままにされている。

 死体特有の独特の臭いが充満するその場は事の重大性を知らしめるには充分であった。


 絶句するセラフィナ。

 案内してくれたベラスコ曹長以下二名の部下が申し訳なさそうな表情を浮かべている。

 だが、別に彼らが悪いわけではない、時代が悪いのだ。

 それに彼女も俺もこういうのが初めてというわけでもない。


「ーーーベラスコ曹長、案内ご苦労。 私の中隊のチェス軍曹が要塞内の部隊を立て直している。 彼らに合流してくれ」


「はっ!」


 ベラスコとその部下を司令室から帰すと男の低い声が部屋の奥から響いてきた。


「ーーー大尉、遅いぞ」


 奥から出てきたのは、とても新任将校とは思えない貫禄を持った三十代前後の男。

 金髪で目つきは悪く、ほどよい筋肉がついて引き締まったその体はいわゆるモデル体型であった。


 戦争もののハリウッド映画に出てきそうなイケメン将校とでも言おうか。

 身長は俺と同じくらいの百八十センチメートルであるが、やはり不摂生な生活をする俺と比べるとどこか自分が不憫に思えてならない。

 しかも、階級は俺と同じ大尉。

 何故ここに准尉ではなく、大尉がいるのだろうか。


「……これでも予定到着時刻より三分は早いんだ。 問題はないだろう」


「ふん、まぁいい。 今は緊急事態だ、よく来た大尉。 グレイアム・リンメル大尉だ。 元在日米軍、第二十九歩兵大隊大隊本部付き軍医だ」


 元在日米軍という特徴的な枕詞を使うのは独立都市『東京』に併合された彼らなりのささやかな抵抗なのだろう。

 それに元在日米軍組特有の高圧的な態度はどうにかならんものか。

 まったく、彼奴らときたらーーー

 閑話休題。


吾妻アズマ新太郎シンタロウ大尉だ。 何故軍医のあなたがここに? 指揮を取ってるサヴィーノ准尉は?」


「ーーーあぁ、私が来たのは今さっきだ。 守護札タリスマン使用以降、医務室に運ばれて来る者が落ち着いてな。 司令室に様子を見に来たんだが……。 ……はぁ、おい! サヴィーノ! 出てこい!」


 部屋の隅に向かって怒鳴るリンメル。

 どうやら彼には心当たりがあるようだ。


「ひっ! はいっ! あだっ!」


 慌てて司令室のデスクの下から這い出してくるのは軍服姿の一人の女。

 どこか気弱そうな雰囲気漂う彼女は今にも泣きそうだった。

 指揮官と言うには……その、なんと言うべきか。


 ーーーまさか彼女がサヴィーノ准尉だというのか。




「彼女が?」


「……そうだ」


「えっと……、あ、あのっ! ま、マグダ・サヴィーノ准尉です。 第二十九歩兵大隊第一中隊第三小隊隊長……です。 ……現在、大隊の指揮を取ってます」


「慣れない中良くやった……というべきか。 第三十二独立歩兵中隊隊長の吾妻アズマ大尉だ」


 守護札タリスマンの使用の判断は褒められるが、何故、司令室の隅っこのデスクの下に隠れていたのか。

 色々と問いただしたい気もするが、今はそれよりもやることがある。


「ひいぃぃ、お、お待ちしておりましたぁぁ! 一人でどうしようかと思ったんですぅ! 吾妻大尉、早速ですが第二十九歩兵大隊の指揮権を移譲しますぅぅ!」


 泣きながら俺の両手を掴みブンブンと振り回すサヴィーノ。

 余程助けが欲しかったのだろうか、それにしても何というか……統合軍は彼女を将校にしてよかったのだろうか。


 会ってまだ一分も経ってはいないが、正直、彼女のようなタイプが部隊の指揮を取れるとは思えない。

 隣のセラフィナもリンメルも呆れている。

 護衛のポメスと篠田なんか鼻をほじっている始末である。


「おっ、おお……了解した。 ……君には色々と聞きたいことが多いが、今はやめておこう。 准尉、状況はどうなっている?」


「はい、ええっと、先ず基地司令官のラミロ少佐は自殺、それに次席指揮官のルフィノ大尉は自殺しようとしたところを取り押さえられて医務室に運ばれたのですが……」


「ーーー彼は先程死んだ。 いわゆる憤死というやつだ。 手足を拘束し、舌を噛みきれないように対策もしたんだがな、もちろん降圧剤も試したがダメだった」


 疲れ切った表情のリンメル。

 おそらく医務室での色々な格闘があったのだろう。

 軍医は直接前線に出なくても違う戦いの前線には常に立っているのだ。

 彼らの苦労は計り知れないだろう。


「その他の将校もご覧の様子です。 皆、引き金を頭に……小隊指揮官も各小隊から上がってきた情報によると皆さん自殺されたと……」


 要するにリンメルなどの軍医を除けば、サヴィーノがリーズ要塞にいる唯一の将校であったという事だ。

 通常、統合軍では軍医は指揮を取らない。

 彼らには部隊の指揮よりも重要な仕事があるからだ。

 もちろん軍医であっても指揮を取ることが出来ないわけでは無いが、それを求めるのは酷というものだ。


「それで大隊の指揮官になった君が守護札タリスマンの使用許可を出したのか?」


「……はい。 常日頃から直属の上官であった飯村大尉から、何か不自然な事があったらすぐに守護札タリスマンを起動するようにと言われてましたから」


 どうやら彼女の上官は優秀な将校だったようだ。

 今はその飯村大尉に感謝しかない。

 そして惜しい人材を失ったものである。


「飯村大尉はいい指揮官だった。 准尉、その判断は褒められるべきものだ」


「いえ、その……ありがとうございます」


「ーーーでは話を本題に戻そう。 この要塞全体の損害は分かるか?」


「正確なものは何も分かっていません。 どこの部隊も混乱してまして、小隊レベルの指揮系統が特に酷いです。 中には下士官が全滅しているところもあるようで……こちらにも送る人材がいませんので対応出来なくて……」


 状況は予想よりも遥かに酷いようだ。

 原因は何にせよ、敵の『呪術』攻撃は成功したとみていいだろう。


「無理もないな。 現在こちらの中隊の下士官が要塞内の各部隊を立て直している。 ベラスコ曹長も向かわせたからじきに正確な情報が上がってくることだろう。 ……だが、この状況から考えるにあまり良い期待は出来ないだろう」


 少なくとも、捕虜の調査に向かわせられる魔術師資格保持者が生き残っていることを願うばかりだ。

 対魔術師戦は味方に魔術師がいるかいないかで大幅に隊員達の生存率が変わるのだ。

 ーーーとっつぁん、頼んだ。

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