忍び寄る悪夢 Ⅰ
『夜明けの乙女作戦』の約二ヶ月前
ーーーきっとそれは夢に違いない。
そう何度思ったことだろうか。
しかし、いくら月日が過ぎても目の前の現実は変わらなかった。
けたたましく鳴り響くヘリのローター音。
座席に立て掛けられた小銃などの装備品が振動でカタカタと音を立てる。
硬い座席のシートに耳障りな騒音、決して快適とは言えない軍用機の中でも、目の前のいかつい顔の軍人達は各々好き勝手にくつろいでいた。
ここは独立都市『東京』及び魔王国の連合軍である統合軍の輸送ヘリの中。
俺、
眼下には四方を土の防壁で囲われたリーズ前線基地、通称リーズ要塞が広がっていた。
それは武力を示威する目的で、独立都市『東京』と敵対するキネロ王国の領土内に作られたものである。
「もうすぐ、リーズ要塞に着きます!」
目の前でパイロットとやりとりをしていた副官の声がヘッドセット越しに響く。
八年前までは、しがないただの大学生だった俺は気付けば統合軍に放り込まれていた。
階級は大尉。そこそこ責任のある立場である。
自堕落な性格を自負しており、仕事よりも趣味を優先するタイプの俺でも二百名の部下を持つ指揮官だった。
率いるのは第三十二独立歩兵中隊。
目の前で好き勝手している軍人達であった。
その中でもとりわけ目立つのは、
「はっ! ほっ!」
「ふんっ! ふんっ!」
一メートル弱しか離れていない対面の座席で器用にもバトミントンを行う二人の隊員。
ーーー何をやっているのだこの二人は。
そもそもこんな狭い機内でやっていて楽しいのだろうか。
「……はぁ、とりあえずバトミントンは要塞に着いてからでもおそくないだろう、ポメス伍長に篠田上等兵」
流石の俺も二人の部下を注意する。
機内の安全確保上やむを得ない。
きっと俺が注意しなくても、部下に厳しい副官やパイロットに見つかれば、どやされることは間違いなかった。
まぁ、事前に自由にしていいと言った手前、色々と言いづらい部分はある。
基本的に俺の部隊のスタンスは必要なとき必要な力さえ出してくれれば、後は犯罪を起こさない限り自由にしていい。
統合軍の中でも一二を争う軍規の緩さであることを自負している。
もちろん、他の部隊の隊長たちから苦言を呈されることも多いが、結局のところ頭を下げるのは俺なのだから問題はない。
直接手を下すことの少ない指揮官である俺が部下にしてやれることはそれぐらいしかなかった。
ただ、今回の場合は他の隊員と比べてもーーー
……比べても?
あぁ、何なのだこの
他の部下たちは逆立ちで読書をするなり、好きに寝っ転がったり、筋トレしたりロクに弾けないバイオリンを弾いている。
逆立ち? バイオリン?
もう何処から突っ込みを入れていいのか分からない。
「ーーーしかし大尉、二十五年物のスコッチを賭けている譲れない男の戦いなのです!」
「そうですよぉ! この前ボーナスの殆どを使って買ったんですからぁ!」
「……よし続けろ」
ひたすらにラリーを続ける二人はどことなく真剣だった。
無理もない、二十五年物のスコッチは規則よりも彼らの命よりも重い。
元の世界から切り離された『東京』ではスコットランドで製造されるスコッチ・ウイスキーは既に新規では手に入らず、希少価値がつき、日本円で安くても三十万は下らなかった。
おそらく、将校ではない彼らのボーナスを考えるとほぼ全額注ぎ込んだに違いなかった。
だがーーー
しょうもないことで賭けてんなぁ。
「ちょっと! 何言ってんですか大尉! ほら二人とも席に着きなさい! 他の人も! って逆立ちぃ!? 何やってんの!」
やはりそこに気づくか。
流石は自慢の副官である。
「あぁ、もう! これから機体が降下するんですよ! 振動で怪我したらどうするんですか! これは命令です、全員大人しく席に着きなさい!」
俺の副官である彼女、セラフィナ・マドリガル少尉は未だ少女と言っても通じるような若さを保ち、モデルと言っても過言ではない美貌とスタイルを兼ね備えたまさに俺たち日本人が考える典型的なエルフだった。
一つ残念なのは髪色が金髪ではなく少し明るい茶髪だということか。
個人的には金髪エルフが一番萌えるのだ。
だが、貧乳であるというのは個人的にはポイントが高い。
その小ぶりなーーー
今はやめておこう。
俺はTPOを弁える将校として定評があるのだった。
「しかし……」
「しかしもなにもないです。 これは上官の命令です!」
また彼女は俺の部隊で二番目に規律にうるさい隊員だった。
彼らが打ち合っていたシャトルを掴み取りその場に投げ捨てる。
上官命令で魂を賭けた、はたから見ると馬鹿らしくもある二人の隊員の行為を止めさせた。
ーーーそういえば、よく聞かれることがある、規律に緩い俺と規律に厳しい副官では気が合わないのではないかと。
まぁ、はたから見たら真逆の存在だ。
そう思うのは無理もない。
だが、俺と彼女は意図的にこの役割を担っている。
実際に確認したことはないが、両者共に部隊にとって飴と鞭が有効であり、必要であることを認識しているはずだ。
まぁ、俺と彼女の信頼関係あってのものだろう。
後は彼女が俺に身を委ねさえすればーーー
「まったく、大尉もチェス軍曹がいないからって部下を甘やかさないでください!」
「……あぁ、了解」
彼女に欲情したのがバレたのだろうか。
いわゆるジト目で強くものを言うセラフィナはまさにご褒美であった。
ーーーあー、げふん。
チェス軍曹とはいぶし銀の入ったコボルトの下士官であり、第三十二独立歩兵中隊きっての鬼軍曹なのだ。
彼が通った後には、直立不動で何があっても表情一つ変えない完璧な兵士が並ぶとのもっぱらの噂だ。
今頃彼は別のヘリで今回新たに配属された新兵たちをしごいていることだろう。
ーーーあぁ、何となく兵士達の叫び声が聞こえるような気がする。
自分が将校で良かったと思う今日この頃である。
「あぁ、もう全く……私がいないと。 大尉、シートベルトが緩んでます」
「おっ、すまないな。 助かる」
ぶつぶつと文句を言いながらも緩んでいた座席のシートベルトを締め直してくれるセラフィナ。
ふわりと香る女性特有のラクトンが俺の心臓の鼓動を早める。
こういう気が利くとこは流石副官だ。
まったくもって早くベッドインしたい今日この頃である。
ーーーよし、今夜空いているか聞いてみるか。
でも嫌われたらどうしようなんて考えてしまう俺だから、未だ童貞という名の孤高の戦士であった。
一応、俺の名誉の為に言っておくが、シートベルトについては俺がだらしない訳ではないし、決して訓練を怠ってきた訳ではない。
このヘリのシートベルトの建て付けが悪いのだ。
ーーー後で整備部に文句を言ってやろう。
「まったくもう! 指揮官なんだからちゃんとしてください!」
「……善処します」
いわれのない非難。
悪いのは整備部である。
ーーーその時だった。
「……え? っはい!? ……ええ、了解ですが……。 大尉はもう間も無く到着なさいます。 ……ええ、は? もう一度ーーーちょ!?」
困り顔だったセラフィナの顔が一瞬にして神妙な面持ちに変わる。
ヘッドセット越しに聞こえる声からしておそらくリーズ要塞からの通信だろう。
彼女には外部とのやり取りの一切を任せているのだが、察するにどうやらあまり良い話ではないようだった。
ーーーなんだか嫌な予感がする。
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