寄り添う女神と狼

みなづきあまね

寄り添う女神と狼

梅雨の季節がひたひたと忍び寄る。しかし今日は朝から快晴だった。そんな素敵な日なのに俺は寝坊して、バタバタと慌てて会社へ到着した。ネクタイを手早く締めると、落ち着かない気持ちで朝ご飯をデスクで頬張った。


仕事は予想より早く終わり、時計を眺めながら大きく伸びをした。そろそろ帰ろう・・・上司に挨拶をしてからと思いながら、身の回りのものを片付けた。リュックに一通りものを詰めて上司のもとへ行った。


今週は色々と新しく進んだこともあり、挨拶がてら今後の方針や進捗状況について尋ねられた。なかなか帰してくれないな、と思っていると視界の端に彼女の姿が映った。同じ上司に用事があるようで、タイミングをはかっているのが分かるが、なかなか俺が会話を終われないのを察したようで、近くに座っている同僚と立ち話を始めた。


会話が始まってから5分くらい経った。彼女は一度俺の横をすり抜けると、オフィスの外に出ていった。お手洗いにでも行くのだろう。数分後に帰ってきてもまだ俺が話しているのを見て、一度席に戻ったようだ。おそらく俺のように鞄に荷物でも詰めて、時間を無駄にしないようにしているのかもしれない。


ようやく話に区切りがついた時、彼女の視線に気づいた上司の1人が、「なあに?」と彼女に微笑んだ。彼女は待ってましたとばかりにずいっと上司たちの前に立つと同時に、俺の方を向いて笑った。


「なかなか彼の話が終わらないなあと思いつつ、もう定時に間もなくなっちゃいますね。今日は業務がすべて終わって時間休を申請したので、お先に失礼します。もうこんな時間だけど。」


彼女は時計に目をやると、せっかく休みを取ったのに、あと10分くらいで定時になってしまうと上司と笑って、失礼しますというとデスクへ戻って行った。彼女が俺に投げかけた笑みは少しいたずらっぽくて、「いつまで喋ってるのよ!」とたしなめられた気がした。


彼女は俺など気にしないかのように潔く部屋を出た。一方で俺は急いでリュックを掴み、周りに声を掛けられたがそれもそこそこに答えて、彼女を追いかけた。何回かこのような戦略をしているから、気づいている人は俺の気持ちに気づいているかもしれないがそんなのどうでもいい。最近一緒に帰っていなかったから、今日は逃せない。


「失礼します。」


俺はドアを抜け、廊下に出てしばらくは静かに歩いた。しかし、角を曲がると小走りで階段を駆け下りた。彼女の後姿が見え、彼女は靴を履いていた。俺は思わず小声で「よし」と言ってしまった。彼女に聞こえてなければいいが・・・。


「お疲れ様です。もう、ずっと喋ってるから、休みの意味がなくなっちゃいます。」


「そうかなとはわかってたんですよ。視界の端に入ってたから、気づいてはいたんですけど。」


俺はむすっとした彼女に苦笑しながら答えた。彼女は俺が上司と話しながら存在を認識されていたことは意外だったようで、きょとんとした表情を見せた。まあ、上司が時間を引き延ばしてくれたこともあり、彼女がいいタイミングで話に入ってきたこともあり、うまい具合に一緒に帰れるのだから、俺は嬉しいのだが。


俺たちは大した中身のない話をしながら、駅へと向かった。どうしても二人きりになると、会話が弾まない。自分の話ばかりしてしまうし、そうなると彼女の反応も芳しくはない。逆に彼女が色々と彼女自身のことを話してくれるが、それにも気の利いた返事をすることがあまりできず、会話が切れてしまう。いい加減、愛想をつかされてもおかしくないと思う・・・。


電車に乗り、彼女はふと質問してきた。


「あの、最近すごく忙しそうですけど、大丈夫ですか?」


「いや、本当忙しくて。自分の仕事というよりも、頼まれてやってることが多くて、正直それくらい自分でやってくれよと思うこともありますけどね。」


「昨日もすごくバタバタしていたから、大変そうだなあって。」


そんな会話で俺は思い出したようにスマホをポケットから取り出した。


「今これを作っているんです。」


俺は今週中に作成しなくてはならない資料を彼女に見せることにした。外部に出すこともありかなりきちんとした作りにしているが、まだ途中のものだ。


「へー、見せて!」


俺の右隣に座っている彼女は、俺が左手で持っているスマホを覗き込んだ。肩と肩の間にあった隙間が埋まり、体を屈めた彼女の左肩と髪が俺の右胸あたりにあたった。さらさらした黒髪が目の前にある。そんな俺の視線に彼女は気づいていないかもしれない。ゆえに、じっと画面を見て、時折笑ったり、感嘆したり、俺に質問をしている。


途中、俺に近い方の髪を耳にかけた。そのことによって、彼女の横顔がよく見え、そしてVネックのシャツの胸元に目がいった。見ようとしていたわけではないが、ゼロ距離の今、俺の目線の下に彼女の体があるため、自然と視線が向いてしまった。俺は気まずい気持ちと欲望がせめぎ合いつつも、彼女と同じ画面をじっとみようと努力していた。そんな俺の気持ちはつゆ知らず、彼女はまだ楽しんでいた。


ちょうど見終わるころ、彼女が降りる駅に電車が到着した。


「頼れる人には仕事がいっぱい来るってことにしておきましょう。」


「いや、キャパオーバー・・・」


「まあ、そうですよね。あまり無理はしないでくださいね。お疲れ様です。」


そう事もなげに言うと、彼女はスカートをひるがえし、ホームへ消えていった。結局、今日も会話はあまり弾まなかったし、彼女に目を見られればすぐ逸らしてしまった。横並びになっていても、彼女の方を向けず、資料を見せていればその近さにドギマギし、余裕はなくなるわ、別れ際に挨拶されても愛想よく返事さえできなかったと思う。


「あー、どうすればいいんだ。」


俺はそう心の中で呟きながら、窓の外に流れる都心の景色をじっとみつめた。

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