飲酒

春風月葉

飲酒

 呑み込めない感情が溢れる。何度も何度も口に含んでは吐き出した。疲れた身体が睡魔を訴えてくる。いやな気分だ。

 頭が痛い。駅のホームで目が覚めた。昨日の記憶は曖昧だ。何か大切なものを失くしたことだけ覚えている。スーツはシワだらけで髪はボサボサ、目の下は真っ赤に腫れていて、それはもうひどい状態だった。通行人は私を避けて歩いていく。昨晩のヤケ酒のツケか、急な吐き気に襲われ公衆便所へ走った。足元がふらついた。倒れた先に、ため込んだ後悔や不安を酒と一緒にぶちまけた。

 吐き出すたびに酔いは薄れ、沈めた昨日を思い出す。酒におぼれれば嫌なことのすべてを忘れられると思った。そう思っていたかった。この感情を吐き出せる相手はもういない。きっとこれから少しずつ時間に寂しさを奪われていくのだろう。ただ、今はまだ、頬を涙が伝う。これっぽっちの涙でこの心は洗われない。それでも、これっぽっちを重ねることでしか、この感情を捨てられない。

 まだ痛む頭を左手で押さえ、ふらふらとと歩いた。久しぶりに帰ったボロアパート、二階、奥の部屋は以前からずっと鍵が開いたままだ。ギィ、開いたドアの軋む音にさえ懐かしさを感じる。吹き込んだ風にホコリが舞う。止まっていた部屋の時間が動き出した。この部屋にはまだ、あの頃と変わらぬ酒とタバコと君のにおいが残っている。君の身体と私の心だけが薬と病と死のにおいのしたあの病室に置き去りになっているのだろう。

 昨日の酔いももう覚めようとしている。私は部屋に転がった新しい瓶に手をかけた。

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飲酒 春風月葉 @HarukazeTsukiha

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