第3話モトクロス・前半

 むにゃむにゃ……帰還用の液体酸素と液体水素を燃やすなんて動画映えをさせるためといってもやりすぎだよ……夢か。


 そうだよね。いくら地球で疫病が蔓延して月面のあたしたちが地球の戻れなくなったからって液体酸素に液体水素を月面にばらまいて燃やすなんてやりすぎにもほどがあるもんね。


 大体そんなことをしたら気体になった水素と酸素が燃えてあたしたちまで黒焦げになっちゃうもん。疫病と言ってもそこまで絶望的な状況じゃないみたいだし……


 SNSで地球の人間が次から次へと病死していくところを、月面のあたしたちが何もできずに眺めながら絶望してやけになるなんてことあるわけないんだから。


 そもそも施設建設用のブルドーザーがあるにはあるけれど10台もないし。


「ねえ、サバイブ。いまからクレーター使ってBMXのハーフパイプトリックやる動画作るから手伝ってよ」


 ほら。夢の中ではやけっぱちな調子でマウンテンバイクを乗り回していたモトクロスがこんなに元気よく部屋で眠っていたあたしに声をかけてきた。


「うん、わかった。それにしてもモトクロス、器用だよねえ。宇宙服を着ながらマウンテンバイクを乗り回すんだから」


 部屋から出ながらあたしが話しかけると、モトクロスは得意げに答えた。


「それはもう、サバイブ。地球でみっちり鍛えたからね。プールの水中でBMXのトリックを決められないと最終選考で落とされちゃうからもう必死よ」


 そうだった。月面への派遣メンバーを決める最終選考は自分が月面でどんな動画を地球に配信するかのアピールだった。最終選考に残された受験生全員がNASAの設備にスタッフさんと協力して月面での過ごし方を特訓したんだった。


 モトクロスは水中トレーニング用のプールでマウンテンバイクを練習していたな。そのかいあってモトクロスは合格したんだった。


「それにしてもモトクロス。BMXのハーフパイプトリックって横倒しになった半円の筒を使って、振り子みたいに往復しながら端の垂直になってるところからジャンプしてくるくる回るやつでしょ。それを月面のクレーターでやるの?」


「そうだよ。BMXのトリックだとおっきなサラダボウルみたいなコースでやる場合もあるからね。それと似たようなものだよ」


 そんなものなんだ。それにしても地球の6分の1の重力でやるBMXのトリックってどんなものになるんだろう。想像もつかないや。


 そんなことを考えながらあたしとモトクロスは宇宙服を着て、居住ブースから気密ハッチを通じて外に出る。


「じゃあサバイブ、わたしの肩につかまって。クレーターまで二人乗りで行くから」


「え、二人乗り……」


「いいじゃない、サバイブ。ここは月面なんだから道路交通法もなにも関係ないんだから」


「いや、モトクロス。それもあるけれど……なにしろここは月じゃない。ほら、ちょっとジャンプしただけでこんなに高く飛べちゃう低重力なんだよ。そんなところでマウンテンバイクで二人乗りしたら……」


 ジャンプしたあたしはそうおずおずと問いかける。そしたら……


「わたしはサドルに自分をベルトでがっちり固定するけれどね。ところがサバイブはわたしに肩で捕まっているだけだから。飛んでるスーパーマンみたいな体勢になるんじゃないかな。こんなこと地球上ではまずできないね」


「そんなことをわざわざしなくても……あたしは別な方法でついていくんじゃだめなのかな。トラクターとかで」


「だめだめ。わたしの肩につかまったサバイブがマウンテンバイクに乗ったわたしに引っ張られて、ギャグ漫画みたいな体勢になるところを撮影してもらう手はずもしっかりととのえてあるんだから。ほら、早く捕まって」


「え、そんな。ちょっと待って」


 戸惑うあたしにモトクロスは無理やり自分の肩をつかませてペダルをこぎ始める。


「しっかりわたしに捕まっててね、サバイブ」


「きゃああ」


 たしかにモトクロスの言う通り飛んでいるスーパーマンみたいな体勢になった。やっぱりここ月の重力は地球よりもずっと小さい。 


 ……


「見よ! 地球の諸君! 月面の低重力とこのモトクロスのBMX技術によってはじめて実現するクレーターの絶壁周回を!」


 そう言いながらモトクロスはクレーターの垂直になっている壁の部分を横向きになってぐるぐる回っている。よくもまあこんなBMXのパフォーマンスにぴったりの半球形をした形のクレーターを見つけたものだ。


 ちなみにあたしは二人乗りを辞めてそんなモトクロスを撮影しているんだけれど。


 サーカスでおっきな木の樽の横の壁をオートバイでぐるぐる回っているのを見たことがあるけれど、それが月では自転車でできちゃうんだからなあ。


「そして御覧じろ! 世界初! 月面でのBMXエアトリック!」


 そして、こんどはクレーターから高く飛び上がったと思ったら着地して次は反対側から垂直に飛び出して華麗な回転を決めて見せる。何回転して何回ひねったのかとてもあたしの動体視力じゃ確認できないや。


 動画を生配信しているけれどさっそくコメントが書き込まれている。


『リップから30……いや、40メートルは飛んでいる!』

『5回転5回ひねり……信じられない』


 とにかくすごいことをしていることは伝わってくるな。


 

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