第2話バッドエンド・後半
そして月から見える太陽が地平線に沈んでいく。あっという間にあたりが暗くなっていく。月には大気がないから夕焼けなんてものはない。月の世界はほとんどモノクロだ。
そして大気がないから周囲の温度はみるみるうちに急降下していく。昼間のうちは摂氏100度を超えることもあるが 、夜中になれば摂氏マイナス100度を軽く下回る。
そんな極寒になった月面であたしたちは最後の総仕上げに入る。
昼間に掘った円模様にブルドーザーに乗って地球に帰還するための燃料である液体酸素と液体水素を注いでいく。五輪のエンブレムを掘り終わってから燃料タンクをえっちらおっちらブルドーザーに乗せておいたのだ。
この燃料タンクは月の衛星軌道を周回している帰還用ロケットに着陸ポッドで戻るためのもの。ブルドーザーでなんとか運べる程度のサイズだ。
夜なので日光は当たっていないが優れもののブルドーザーには充電池があるので、半径10キロの半円くらいなら充分に走行できる。今回は地面を掘り進む必要がないから、スピードも軽やかだ。
水素と酸素の沸点は摂氏マイナス200度くらい。真夜中の月面とは言え、燃料タンクから地面に注いでいくそばから気体になって蒸発していくのがわかる。急いでね、ブルドーザーちゃん。
そして、あたしは半円を再びブルドーザーで走り終えた。これで、月面に描かれた五輪のエンブレムには液体水素と液体酸素がそそがれてちょっとした水路になっているはずだ。
準備は万端。あとは点火スイッチをオンにするだけだ。月面にいるあたしたちだけで。
全員でスイッチを入れる。5つの円のそれぞれ一点から火が燃え始めると、その火がすぐさま燃え広がっていく。こうして燃え上がる五輪のエンブレムが月面に揺らめいた。
この、高校生のキャンプファイヤーをちょっとばかりおおげさにしたものは地球からも見えているだろうか。そもそもいまの地球の人間に月を見上げる余裕はあるのだろうか。
あたしたちの地球への帰還はかたくなに拒否された。地球からリモートコントロールされている、帰還用ロケットは月の衛星軌道を周回し続けるそうだ。地球への帰還軌道にコースを変更することはないと。
地球では恐ろしい疫病がはやっているらしい。その様子は月面からでもSNSや動画サイトでよくわかる。幸か不幸か月面のあたしたちの中に発病するものはいなかった。
これであたしたちは地球には戻れなくなった。少なくとも、地球に戻るためにはいま燃やした液体酸素に液体水素を地球から輸送する必要がある。
そんなふうにあたしが思いをはせている中、ほかのみんなは月面でのオリンピック競技を楽しんでいる。お互いにスマホで撮影しあいながら。
その動画をできるだけ多くの人に見てもらうために。そうして得た収入を、民間宇宙旅行会社の物資輸送費にあてるために。
100メートル走をしている子がいる。月の重力は地球の6分の1。とっても走りにくそうだ。重力が少なくなったからといって、そう簡単になんでもできるスーパーマンになれるわけではない。
走り高跳びをしている子もいる。月の重力下で人間が最も高くバーを飛び越せる飛び方は何だろうか。地球同様に背面飛びだろうか。それとのベリーロールやハサミ飛びだったりするのだろうか。ひょっとしたらぜんぜん別の飛び方が生み出されるかもしれない。
砲丸投げをしている子もいる。砲丸なんて重たいものを月まで運ぶなんて今となってはばかばかしい限りだが、あたしたちが地球を離れる時は人間にそのくらいの心の余裕があった。『月でオリンピック種目をやれば面白いね。道具も輸送しちゃおう』なんて。
地球では非常に重たいであろう砲丸を使ってジャグリングを始めだした。これは動画としては面白いな。お次はやり投げを始めた。月の重力のおかげでとんでもない記録が出るかもしれない。
地球でのやり投げなら客席にやりが届いたら大ごとだが、どうせ客席なんてないのだ。いっそのこと地平線まで飛ばして……それどころか衛星軌道まで飛ばしてもらってほしいくらいだ。
マウンテンバイクに乗ってトリッキーな大技を決めている子もいる。2020年のオリンピックで新種目となるはずであったBMXの出場を確実視されていた子だ。
『月での動画配信でBMXをもっとメジャーにしたい』。その一点でこの月面での動画配信者の選抜試験を勝ち抜いたのだ。そんな彼女はいまいったいどんな気持ちなのだろうか。
そんなふうにあたしは周りを見物しながら、クレーターの壁を登り始める。べつにあたしはオリンピックの新種目であるスポーツクライミングの選手というわけではない。
あたしの配信者としての名前はサバイブ。サバイバル技能が評価されてこの月面に立つことになった。サバイバル技術としてのひとつとして登坂には多少の心得がある。
そういうわけで、クレーターをよじ登る姿を動画として公開する。これでいくらかは稼げるだろう。
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