第42話 厨房の愉快な仲間たち

 どうやら致命傷になる発言はしていなさそうだと分かったので、安心してエマと話せる。エマはというと、流れ落ちそうになる涙を、片手を使って必死に堰き止めているところだ。幸い、沙羅が記憶を遡っていたことにも気づいてなさそうだ。



 「なあ。いい加減、俺も自己紹介していいか?」



 知らぬ間に料理長はダメージが回復してきていたようで、ヤンキー座りのままエマの泣き顔を覗きこもうとしている。



 「ぐすっ、駄目です」


 「はぁ!?何でだよ!……ぐっ!?」



 エマに抗議するために立ち上がろうとする料理長の肩を押さえ込んだのは、エマやクレアではなく、今まで料理長たちの後ろで黙々と働いていた女性たちだった。がたいの良い料理長を3人がかりで押し留めると、矢継ぎ早に言葉で畳み掛けてくる。



 「駄目です!何のために今までお嬢様からダンさんを遠ざけてきたと思ってるんですか!というか私達だってお嬢様とお話したい!」


 「そうですよ!今日だって折角奥の方にいてもらってたのに、お嬢様来た途端に私達のバリケード蹴散らして前出ちゃうんですから、もう」


 「なっ、お前らあれワザとか!…あ、ちょっと待てよ。もしかして、香辛料の調達も俺が参加する予定だったのに、急に別の買い出しが入って行けなくなったのって」


 「ご名答〜。皆で考えて、わざとダブルブッキングさせましたぁ。だって、お嬢様の人生で、こんなに声も動きもデカくてガサツな人に会ったことないはずですもん。教育に良くないわぁ」



 困ったように頬に手をついて溜息を吐く彼女の言葉に、料理長を押さえる3人だけじゃなく、エマや、皿洗いをしている人たちまで大きく首肯する。そのまま、喧喧囂囂けんけんごうごうの延長戦に突入である。

 人数が増えて迫力の増す言い争いに口を挟む度胸は、サラにはない。ただただ呆気にとられるばかりだ。



 不思議なもので、悪口の応酬のはずなのに、聞いていて苦い気持ちは湧いてこない。前田たちの悪口よりよっぽどストレートで口が悪いのに。なぜだろう。原因を探すために、悪態を吐きあう料理人たちをガン見する。



 (…あ、そうか)



 「お嬢様、あまりご覧にならない方が…」



 彼らを凝視するあまり、クレアから釘をさされる。それこそ、教育によろしくないと思ったのだろう。しかし、クレアの声をどこか他人事のように聞くサラは、無意識にぽつりと言葉を零した。



 「そっか、信頼してるんだ」


 「え?」



 顔を覗き込んでくるクレアに、自分の考えを口に出してしまっていたことに気がつく。出てしまったものは仕方ないので、口論する彼らから目線を外し、クレアに向かって説明をする。



 「ほら、自分より力が強くて、立場も上の人にここまではっきり意見を言えるのって、よっぽど相手を信頼してないと出来ないんじゃないかしら。だからうちの料理は全部美味しいのね。皆が妥協しないで作ってくれているのが分かるも…の……」



 語尾が尻すぼみになったのは許してほしい。先程まで大声を出していた人たちが、急に無言になってこちらを注視していることに気づいたら、誰だってこうなると思う。端的に言うと、怖い。もしかして、また変なことを言ってしまっただろうか。



 「おい、お嬢様が1番大人じゃねぇか…」


 「はい…反省しましたわ」


 「やっぱりあれですかね、ちゃんとした地位にいる方は、幼少期からしっかりしてるんですよ」


 「人生2周目みたいねぇ」



 ざわつく大人たちに、自分の失態を思い知る。いけない、つい沙羅としての意見を剥き出しにしすぎてしまった。偶にやってしまうのだ。気を抜くと、5歳児ということが、ポンと頭から抜け出てしまう。大人もなにも、そりゃあそうだ。中身が16歳なのだから。誰だ、人生2周目って言った奴。エスパーか。



 「じ、実は、前にお父様がそうおっしゃってたのを聞いたの。どう?立派な令嬢に見えたかしら?」


 「ええ、とてもご立派でしたわ、お嬢様」



 慌てて誤魔化した言葉は、ちゃんと文面どおりに受け取ってもらえたようだ。誇らしげに答えるクレアの言葉に、エマたち料理人衆も大きく頷く。



 「ふふ、よかった」



 ダメ押しで、スカートをつまみ、笑みを浮かべながら膝を折る。リックに教えてもらった、ドレスでの所作だ。なるべく優雅に見えるよう意識しているが、内心はバックバクしている。リックに沙羅の存在がバレた時を除けば、1番危うい綱渡りだったかもしれない。ほとんどの人が初対面だったのが救いだ。


 しかし不幸中の幸いか、皆がサラに注目してくれたお陰で、料理長対その他大勢の小競り合いは収拾がついたようだ。エマも流石に涙は引いている。



 「あ!折角お嬢様が来るって言うから美味しいお茶とお菓子を準備してたのに。忘れてました…」


 「あら、嬉しい!もし良かったら、皆の話を聞きながら、一緒にいただきたいわ」



 エマの言葉は、今のサラにとっては願ってもない助け舟だった。有難く乗らせてもらおう。パッと顔を輝かせたサラに対して、料理人たちも乗り気だ。「一緒に」という言葉に、クレアが心配そうな顔をしているのは、見ないことにした。







 本日のおやつは、頂上から流れるカラメルが美しい、濃厚とろ〜りプリン。卵黄だけを使用した、サラ用の贅沢プリンだそうだ。紅茶はプリンを引き立てる、香りのくどくないストレートティー。



 おやつの内容は材料にもこだわった一級品だが、場所は厨房脇の大きなテーブルである。サラから1番遠いへりに、野菜が入った紙袋や調味料が溢れている。恐らくサラが来る直前に、無理やり寄せたのだろう。いつもの食卓とは違い、テーブルクロスも引いていない。

 クレアはダイニングルームに移動するよう強く勧めたが、ここはサラの我を通させてもらった。移動してしまっては、おやつといえど、使用人と食を共にすることなど不可能だ。

 というより、本来ならこの場で食事をするというのも駄目だとは思うのだが、料理人たちはクレアよりもそこらへんの基準は大雑把で助かった。夕飯の仕込みをする数人以外、机を囲んで座っている。クレアだけは、サラの脇で立ったまま控えていた。


 やきもきするクレアには申し訳ないが、少し離れたところで丁寧な所作で食器を磨くシュルツも、見ないフリをしてくれている。サラがまだ幼く、病み上がりだから許してくれたのだろうか。何にせよ助かった。



 「ねぇ、そういえば、皆はどういう経緯でうちで働いてくれているの?楽しい?」



 舌先でプリンの滑らかな感触を堪能した後、本当に聞いてみたかったことを口にした。仕事の内容や人の名前はリックに聞けるかもしれないけれど、これは当人にしか分からないことだから、会う機会があれば聞いて見たかったのだ。

 もしかしたら、選択肢などなく連れてこられたのかもしれない。辞めたくてたまらないけど、踏ん張って頑張っているのかもしれない。そうだとしてもサラに出来ることなんて何ひとつないけど、それでも、知らないよりは知っている方がマシだと思った。


 まあつまるところ、顔色を窺いたかったのだ。結局、沙羅にとってはそれが1番信頼できる情報だから。



 「俺は、前の奉公先の料理長と全然上手くいかなかったんです。正直、料理長は俺より料理が上手くなかったし、こだわりも無かった。けど、生家が俺よりも良い身分の方だったんですよ。それが余計に腹が立って、俺も露骨に反発しちゃいましてねぇ…。その家にいられなくなったところを、旦那様が拾ってくださったんですよ。貴方の父親は、俺の恩人なんです」


 照れくさそうに語る料理長のダンからは、嘘の匂いは一切しない。今は料理人に信頼されているように見える彼からは、想像が出来ない過去だった。そんな彼だからこそ、余計に人間関係に気を遣っているのかもしれないが。



 「私も以前はとある伯爵家に奉公していましたが、そこが没落して、人を雇うのが厳しくなってしまい…その家のご主人様が、昔馴染だった旦那様にお願いしてくれたお陰で、ここにいますの。この4人も同じ理由です」


 「前のお家ではずっと皿洗いをしてたのですけど、ここでは実力さえあれば料理人になるチャンスも頂けるから、すっごく嬉しいんです。ずっとここで働いていたいくらい」


 「本当に。これもお優しい旦那様と奥様のお陰ね。………まあ後、一応ダンさんも」



 その他の料理人たちも、明るい表情で経緯を語ってくれる。その姿に、胸がくすぐったくなる。サラ自身への言葉はまだ真っ直ぐ受け止めきれないけど、父と母への言葉は純粋に嬉しい。誇らしさすら、覚えそうになるほど。

 そしてやはり、料理長ダンと他の使用人の関係は良好みたいだ。良かった。



 前世を含めて、これ程多くの人と1度に話したのは初めてかもしれない。少し気疲れしてしまうのは否めないが、皆が楽しそうに笑っている声を聞いているだけで、ここに来てみて良かったと思うのだった。

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