第41話 探検にいこう

 「お恥ずかしいところをお見せしました。どうも、焦ると目の前のこと以外見えなくなってしまうみたいでして…」



 サラの数歩先を歩くクレアは、恥ずかしそうに手で顔を覆う。その姿だけ見ていると、控えめで仕事のできるお姉さんなのだが。

 医者に対する塩対応ならぬブリザード対応や、先程の全力疾走から鑑みるに、きっとクレアの素の姿は裏表のない感情豊かな人間なのだろう。

 使用人としてあろうとするクレアがふと見せる1面は、メイドとしては良くないのかもしれないけれど、サラに心を許してくれているようで嬉しくなってしまう。



 しかしクレアは、上機嫌なサラには気づかず猛省しているようだ。いつもだってもう少しくだけた態度なのに、型にはめられたかのようにメイド然としている。


 「よろしいですか、お嬢様。本日は冷え込んでおりますし、雨も降りそうですので、お庭や馬舎うまやに行くのはまたの機会になさいませ」


 「そうね。家の中だけで十分よ。わくわくしてきたわ!」



 楽しさをこらえきれず、小走りでクレアの横に並び、見上げると、クレアはサラの爛々らんらんと輝く瞳に気づき、くすりと笑った。



 「ふふ。そうですね。お屋敷は広いですから。お嬢様がご覧になったことが無いところ、お会いしたことがない人。きっと、新しい発見が沢山ございますわ」


 「大冒険ね」


 「お供いたします、お嬢様」



 クレアは、わざとらしく畏まって、リックのようなお辞儀をする。サラの冒険ごっこに付き合ってくれるみたいだ。サラも調子にのって、無い顎髭をさする真似をする。よく父がやっている仕草だ。



 「ほう、ではクレア隊員。最初の目的地はどこかね?」


 「はっ。まずは厨房へ。標的はもうすぐです」



 2人でビシッとポーズをとったあと、堪えきれず吹き出すと、クレアも一緒になって笑った。




 「おや、楽しそうなことをしていらっしゃいますね。私もご一緒しても?」


 「えっ、あっ、シュルツさん!?」



 言葉につられて後ろを振り返ると、少し困ったように笑うシュルツが姿勢よく立っていた。いつから居たのだろう。足音がしなかった。


 しかし、冒険ごっこが見られていたのは間違いない。恥ずかしさで顔が赤くなるサラと、遊んでいたところを見られて青くなるクレア、そして感情の読めない微笑を崩さないシュルツ。

 この中にリックがいたらまだバランスがとれたものを。寄せ集めのよく分からないパーティー編成で、一行は厨房へと向かうことになった。






 「お嬢様!本当にいらっしゃるとは!」




 サラが厨房の扉を開けた途端の熱気と人の多さに呆然としていると、女性ばかりの人の波をかき分けて、中から大柄な男性が飛び出してくる。体だけでなく声も大きい彼は、サラの目の前に辿り着くと、サラの手を両手で掴みぶんぶんと振った。


 肩が外れそうな勢いに言葉が出なくなる。男性が若干涙ぐんでいるせいで、余計に振り払いがたい。


 サラが躊躇っていると、



 「こらっ!!止めなさい!」



 その言葉と同時に、目の前の男の身長が縮んだ。というか、しゃがんでいた男の頭上に、強烈な拳骨が落ちてきた。



 「いってぇな!何すんだエマ!」


 「うるさい!そんな馬鹿デカい声聞いて、お嬢様がまた倒れたらあんたのせいよ!」



 そう言う彼女の声も、なかなかに大きい。彼女の言葉を真に受けたのか、サラの後ろから、クレアがサラの耳をそっと覆う。元々仲が悪いのか、終わりそうにない口論を、そのままぼんやりと眺めていた。


 エマと呼ばれた彼女は、肉付きの薄いすらりとした体つきで、クレアよりはお姉さんらしく見えるが、まだ若い。そんな彼女が、自分より遥かにがたいの良い、年も離れているであろう男の人と対等に言い合っているのは、不思議な光景だった。



 「2人とも、そこまでにしなさい。お嬢様の前ですよ」



 後ろから聞こえてきたシュルツの声はいつも通り静かで、耳を塞がれているサラには途切れ途切れにしか聞こえなかった。しかし、言い争う2人には効果はバツグンだったようだ。

 一時停止ボタンでも押したかのように同時にピタリと固まると、これまた同時にシュルツを見て顔色を失った。気のせいだろうか、背中側だけ寒い。



 「「申し訳ございませんでした…」」



 そっと耳から手が離れると、2人の謝る声が見事に重なって聞こえた。もしかしなくても、実は2人は凄く息があっているんじゃないか。第2の火種になりそうなので、本人たちには言わないけれど。



 「さて、失礼をいたしました。私は食器を磨きに来ただけですので、こちらで失礼いたしますね。お嬢様、どうぞごゆっくり」



 にこやかに厨房の奥へと去っていくシュルツからは、先程の冷気は一切感じられない。だが、サラには確信がある。シュルツも、クレアと同じブリザード使いだ。それもクレアよりもかなり上手の。

 シュルツの姿が見えなったのを見計らって、4人の溜息がシンクロした。張り詰めた空気が緩む。



 「ったく、今日に限ってあの若造じゃないのかよ…いつもいらないタイミングでは来る癖によ…」


 「だ〜か〜らぁ、お嬢様の前だって何回言えば分かるの馬鹿っ!」



 シュルツに気を遣ってか小声ではあるものの、気が緩みすぎたのか、2回戦が勃発しかけている。これはまずい。

 このままでは本題に進めなさそうなので、無理やり軌道修正させてもらおう。



 「ねえ、食器を磨くのって、シュルツがしていたのね。知らなかったわ」


 「ああいえ、違うんです。大抵の食器は皿洗いが磨くとこまで担当しているんですけど、伯爵家代々の大切な銀食器とか、高価な食器に関しては私達は触ることが出来ないので…。いつもリックか、シュルツさんが磨いているんです」


 「へぇ、そうなのね」


 「最近はシュルツさんが来ることは全然ないですけどね。あいつがちゃんと磨けてるか、点検に来たんでしょうねぇ」



 つまり、『あの若造』『あいつ』とはリックのことか。随分彼に嫌われているみたいだが、何かしたんだろうか。丁寧に説明してくれていたエマが、彼の補足を聞いて笑顔のまま肘鉄をくらわせている。低いうめき声をあげて膝から崩れ落ちたので、本気で痛いやつだ。彼女の必殺技に違いない。



 「申し訳ございません、お嬢様。彼らは料理を美味しく作るのが使命ですから、言葉遣いまでは深く教育はされておりませんでして」


 「ほんと申し訳ありません…こんなのが料理長なんて恥ずかしい…」



 脂汗を浮かべる男性の変わりに、クレアとエマが交互に謝罪を重ねる。対するサラはというと、今まで生きていて、一回りも年上の人たちにここまで謝られた経験なぞない。あちらもたじたじ、こちらもたじたじだ。



 「えっと…本当に気になさらないで。私がここに来たのは、皆の仕事を知りたかったのもあるけど、それ以上に、皆がどんな人たちなのか知りたかったからなの。だから、素の状態で話してくださるのはとっても嬉しいわ」



 サラとして最良の答えを考えても、沙羅の中に貴族の価値観はまだ根付いていない。ならいっそ、正直にありのままを話すことにした。怒っていないことを伝えるために、なるべく笑顔で。

 すると、



 「お嬢様、少しお会いしないうちに、大人っぽくなられて…」



 エマがサラと同じ目線にしゃがみ、両手で優しく手のひらを包み込む。している動作は男性(料理長らしい)と同じだが、繊細な飴細工にでも触れるかのような、慎重な手付きだけが違っていた。

 じんわりと暖かさを譲り受ける手づたいに視線を正面に向けると、エマの目にはうっすらと涙が浮かんでいる。



 (あっ!!…そうか。エマって、あのエマか!)



 彼女の感極まった顔と、話を聞いて、沙羅の中で1月ほど前に聞いた話がやっとのこと蘇ってくる。あれはそう、衝撃の58人事件の日。リックと一緒にアルバムの写真を見ながら、使用人についての話を教えてもらっていたときのことだ。



 『厨房で働く奴らは、あそこから出ることが殆どないから、お嬢様とも全くと言っていいほど面識はない。ただ、エマだけは俺の知らない間に仲良くなっていてな…。気づいたら、奥様たちに隠れてこっそりお菓子を貰う仲になってたんだ』



 やだ、どうして忘れてたんだろう。確かに最近は文字の勉強に追われているところはあったし、そもそも前より勉強に対する意識も下がっていた。エマは写真に写ってなかったから、覚えにくかった記憶もある。

 それにしても、今の今まで思い出せなかったなんて。どうしよう、完全に初対面なものとして接していた。決定的な何かを言ってしまっていないだろうか。



 焦りつつも、それを表情に出さないようにしながら、ここに来てからの言動を遡る。えーと、2人が喧嘩して、耳塞がれて、シュルツが怒って、2人が喧嘩して…。あ、大丈夫そうだ。あたしそんなに話してない。2人の独壇場だった。



 (ありがとう料理長。ありがとう犬猿の仲)



 知らぬ間に沙羅を助けていた彼に、こっそりと感謝の念を送った。

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