第40話 全力

 さて、話を現在に戻そう。

なぜ数日前の話を、これ程長々と思い出しているのか。その理由は至ってシンプルである。




 つまり、超がつくほど暇なのだ。





 この1ヶ月、父が政務で外出したり、母がお茶会に誘われることも何度かあったものの、リックか両親のどちらかは、必ず家にいた。病み上がりだから、気遣ってくれてたのだろう。

 穏やかな毎日だが、誰かしらはサラの相手をしてくれていたのだ。



 それが今日になって、父は領地で何らかのトラブルがあったらしく朝からリックと共に出かけており、母も昼前からお茶会で不在。

 その結果、



 「今日はなんだか、時間が進むのがゆっくりですねぇ」



 そう言ってサラの髪の毛をみつ編みにするクレアと2人で、大いに暇を持て余していた。ちなみにクレアはあくまでもサラのメイドなので、彼女からサラをどこかに連れ出すことは出来ない。

 今髪の毛をいじっているのだって、暇すぎたのでサラからお願いしたことだ。



 勝手に外出することも出来ないし、5歳児の無力さを痛感する。



 「不思議よね。使用人も沢山働いてるはずなのに、お父様とお母様が居なくなった途端、こんなに静かになるなんて」



 午前中は廊下で何人かのメイドとすれ違ったのだが、昼食以降、その気配すらなくなっている。

 ドレッサーの鏡越しに、サラの髪を優しく触るクレアを見る。クレアは苦笑しながら答えてくれた。



 「そうですねぇ。使用人たちもそれぞれの持ち場に散らばっていますから、あまり会いませんものね。旦那様も奥様も、太陽みたいな方々ですから、いらっしゃらないだけで寂しく感じてしまいますわ」



 確かに、1ヶ月もいるのに、目にする使用人の数はかなり限られている。リックやクレアは勿論会うし、両親に直接仕えているシュルツやヴァネッサも、食事の時によく見かける。

 しかしそれ以外は、食事を給仕するメイドが日替わりで数人と、廊下や部屋を掃除するメイドがこれまた数人。どう考えても、リックが言っていた58人には到底及ばないのだ。そういえば、仕事場が細分化されているから、サラが会ったことがない使用人も沢山いる、とも言っていたか。



 そこまで考えて、ふと思い当たることがある。



 「ねぇクレア」


 「はい?どうなさいましたか」


 「お祝いをくれた使用人たちの中には、私とは直接会ったことがない人もいるのよね?」


 「そうですわね。でも皆、心の底からお嬢様の回復を喜んでおりますわ」



 実は、沙羅がここに転生してから1週間もしない内に、使用人から何度か回復のお祝いをもらっていたのだ。それも、1つや2つではない。

 料理人からは美味しいご飯だったり、クッキーだったり。庭師からは花束を。文字を書ける一部のメイドからは手紙を貰ったこともある。縫い物専属のメイドには、美しい刺繍の入ったハンカチを貰った。

 他にも数え切れないほどの物や言葉を貰ったのだが、それを持ってくるのはいつもリックかクレアだった。忙しくて来られないというのもあるが、使用人のほうから主人に会いに行くのは失礼にあたるそうだ。



 沙羅はそのプレゼントを貰う度、「本当にこんなに沢山使用人がいるんだ」という妙な感動と、「もう、皆が知っているサラじゃないのに」という罪悪感にさいなまれていたのだった。



 「あ!」


 急に大声を発したサラに、クレアが驚き跳ねるのが鏡越しに見えた。暗い茶色の瞳をぱちくりさせている。

 今までの沙羅であれば、あれこれと気遣って、頭に浮かんだ考えを言わずに取り消していただろうが、子供らしくある1歩は顔色を見ず遠慮しないことだとリックが言っていた。それを信じよう。そうでないと、貴族の価値観が掴みきれていない沙羅からしたら、この考えが突拍子もないことなのかどうか分からず、尻込みしてしまうから。


 生唾を呑み込み、上目遣いでクレアを見つめる。



 「ねぇ、こんなに暇なんですもの。皆が働いているところを見に行っては駄目かしら?」


 「えええっ!?そのう…使用人を呼びつけるのではなく、お嬢様か持ち場にいらっしゃるのですか?」



 クレアの反応を見るに、やはり今までサラはこんなことを言ったことはないらしい。予想はついていたけど。

 それでも言ってしまったのは、単純に沙羅自身の知的好奇心からだ。あと暇なのだ。



 「そうよ。皆仕事で忙しいのに、呼びつけるなんて出来ないわ。それに、皆は私にお祝いをくれるのに、私はその相手の顔すら分かってないなんて、酷いと思わない?」



 クレアの情に訴えかけるように、わざと眉尻を下げてお願いする。サラの髪の毛をしばり終わったクレアは、斜め上からサラの顔を覗き込むと、共感するように自身の眉を下げた。



 「使用人とはそういうものですから、お嬢様が悪くお思いになる必要はございませんよ。ですが…そうですねぇ、きっと、旦那様も認めてくださるでしょう」


 「本当!?じゃあ、」


 「ですが!」



 クレアは、ずずいとサラに詰め寄る。今まで見たことのない剣呑な表情に気圧されて、口をつぐむ。



 「30分!30分だけお時間をくださいませ!」


 「へ?それは…いいけれど…」



 深刻そうな顔をして、サラの目の前に指を3本たてたかと思えば、言い出したのはたったそれだけのことだった。今日は本当に一切予定が入ってないから、30分くらい余裕で待てる。もしかして、クレアには他にすべき仕事があったのだろうか。

 心配になるサラを他所に、クレアは心底安心したようだ。詰め寄っていた姿勢を戻し、胸に手をあてて嘆息している。



 「あー、良かった。皆、急にお嬢様がいらしたら、びっくりして腰が抜けてしまいますもの。私が先に行って、お嬢様がいらしても問題ないくらいには準備してもらいますわ。では、行ってまいります!」



 そう言うと、クレアは颯爽と部屋を出ていってしまった。外からバタバタと音が聞こえる。



 ……どうやら、相当困らせてしまったみたいだ。

というか、手間をかけさせない為に自分から行くって言ったのに、準備させてしまうのなら余計に手間をとっているんじゃないか。



 「あ~、うん。切り替えていこう」



 気にしすぎない。相手の顔色を見すぎない。


 サラの、少しずつ肉づきが戻り始めている頬をぺちぺちと叩きながら、リックに言われていることを、脳内で呪文のように繰り返す。罪悪感に襲われる胸中に、言葉で蓋をする。そうだ。サラが嫌われるようなことをしたんじゃない…んだと思いたい。嫌われないくらいの我儘なら、つき通させてもらおう。




 後ろから、みつ編みにしてもらった内の右側の1房を手前に持ってくる。サラの柔らかい髪質を活かした、ゆったりとした結び方だ。「せっかくだから、編み込みにしますね〜」と言っていたのは、どの部分のことなのだろうか。

 よく分からないけど、みつ編みを触っているだけでも楽しい。沙羅はずっと肩上の長さで髪を保っていたから、縛ったことすら無かったのだ。



 夢中で髪の毛を触っていると、ドアが再びノックされる。もう30分経ったのかと驚いたけど、時計を見てみると、15分も経っていないくらいだった。



 「お、お嬢様、お待たせ、いたしましたぁっ」


 「クレア?いいから、一旦ソファに座って?」



 よっぽど全速力で根回ししてきたのか、部屋に戻ってきたクレアは見るからに満身創痍だった。普段の楚々とした歩き方が嘘のようによたつくクレアをソファに促すと、いつもは頑なに断るクレアも、今回ばかりは大人しく座ってくれた。

 机に置いてある水差しからコップに水を注いで渡すと、か細い声で「申し訳ございません…」と言いながら受け取り、豪快に呷った。



 いつも従者らしく、お姉さんらしく居てくれるクレアのあられもない姿に、笑いがこみ上げてきてしまう。



 「ふ、ふふっ。そんな急がなくても…あははっ」


 「うぅ…お嬢様を待たせてしまうのが申し訳なくて…あ、でも、ちゃんと了承は取ってきましたから!」



 達成感に満ち満ちた顔で、握りこぶしを見せつけるクレアは、選挙ポスターのようだ。「叶えます、その願い」というキャッチコピーでもついていそうだな。できることなら、屋敷内を奔走する彼女の勇姿を見たかった。



 年頃も近いからだろうか、その猪突猛進っぷりが、ふと百波の面影と重なる。まあ、メイドをしているだけあって、クレアの方が周りをよく見れているけれど。



 「じゃあ、クレアの息が整ったら、行きましょうか」


 「はい…すみません…」



 自分のために頑張ってくれた人を、いつまでも笑っている訳にはいかない。笑いを噛み殺して、依然ぐったりするクレアに微笑みかけると、彼女は何度目か分からない謝罪を口にして項垂れた。

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