アリシュテル伯爵家

第38話 石商

 沙羅が、サラとして転生してから、1ヶ月が経とうとしている。



 最初の3日間は、急ピッチでサラになろうとして無茶をしたり、それがリックにバレて自分の過去を話すことになったり、心も体もせわしなかった。しかしそれ以降は、比較的穏やかな日々を過ごしている。


 この1ヶ月のサラの生活パターンは、毎日ほぼ変わらない。朝8時ごろに、サラ専属のメイドであるクレアが起こしに来て、身支度を整える。その後ダイニングルームに移動し、両親と一緒に食事をとる。


 朝食後は、サラの部屋で体を休めながら母と写真を眺めるか、広すぎる庭を散歩しつつ外でお茶をする。父は、家で仕事をしている時は、たまに休憩がてらサラたちに合流して、暫くするとリックか執事長のシュルツに回収されている。


 昼食を食べたら、リックと2人で勉強の時間。これは、文字を書くことが出来ない不便さを痛感した沙羅からお願いして、時間を設けてもらった。

 家庭教師を雇おうとする父を、リックが上手いこと丸め込んだそうだ。お陰で不自然なく、リックと情報共有できる時間を確保できている。


 とはいえ、リックは執事のため、父が王宮や領地に赴く際はついていかなくてはならない。そのため毎日勉強できる訳ではなかったのだが、そういう日は、帰ってくると寝る前に蜂蜜入りの紅茶かホットミルクを持ってきて、サラの眠気がやってくるまで話に付き合ってくれた。つくづく、面倒見の良いまめな男だ。執事になれるのも納得である。



 そんな訳で沙羅は、大分サラの生活に順応してきていた。

 当然ながら、まだままならない事も沢山ある。リックがいるときは、そっと左耳に触れてSOSを発し、いないときはやんわりと話を反らして誤魔化した後、リックに会った際に確認していた。依然綱渡りではあるが、大きな事故は起こっていない。




……否、1度だけ。

数日前にトラブルになりかけた事があった。

いや、もっと正確に言うならば、別に沙羅以外にとっては何も起きていないに等しいのだが。


忘れもしない、秋風の肌に突き刺さる、寒い日のことだった。







 「サラ、今日は石商が来るんだよ。一緒に見るかい?」



 そう父が言ったのは、いつもと同じように、ダイニングルームで朝食を囲んでいるときのことだった。朝食を運んできたメイドが、紅茶を注ぎ、そっと父の手元に置く。



 (石商…宝石商みたいなものかな)



 日本では聞いたことがなかったけど、なんとなくの予想はついた。少し前にも、香辛料や食器を売る商人が家を訪れたことがある。下町に行けば露店や、日本と同じような店舗形式の店もあるらしいが、この国の貴族は大抵の場合、家に直接呼びつけて買い付けするのだそうだ。


 こっそりと、父の後ろに控えるリックに目をやると、誰にも見えぬよう小さく頷いたので、サラも父に向かって頷いた。



 「はい。ぜひ、見てみたいですわ」


 「あら、楽しみね。ヴァネッサにも来てもらわなきゃ」



 優雅に紅茶を飲む母に、同意するように微笑みかける。ちなみに、ヴァネッサというのは、この家のメイド長だ。この家に仕える者を執事長と一緒に束ねると同時に、母専属のメイドでもある。

 もっと言うと、ヴァネッサは執事長のシュルツの奥さんだそうだ。これは最初にリックから聞いていたが、実際当人たちを見て納得した。2人とも穏やかで、似たもの同士の老夫婦だ。



 (にしても、何故わざわざヴァネッサを?)



 沙羅の知る限り、両親がいる買い付けの場には、必ずシュルツとヴァネッサも同席していたはずだ。基本的には、両親が買うものを決めて、シュルツが後でその支払いをする。香辛料の時は料理人に意見を聞いたりしていたが、ヴァネッサは大体いつも後ろで微笑んで見守っているだけだった。

 なんだろう、実は宝石の目利きがとても上手いのかもしれない。



 確かに違和感は感じたのに、その時はそう受け流してしまった。


 後悔したのは、石商が来て荷物をほどいてからだった。




 「いつもありがとうございます。今日も、他には出せないくらい良質なものをご用意しております」



 ふくよかな腹の石商が持ってきた荷物を、両親の間から覗き込み、唖然とした。



 (これって……石?)



 それは大小様々なだった。

宝石のように、透き通るほど磨かれたり、ダイヤモンドのようにカット加工もされていない。

 青、赤、黃、黒の混ざる石が、色や大きさごとにそれぞれ箱に収められている。大きさはまちまちで、小さいものはビー玉サイズのものから、大きいので父の拳くらいある。形も不揃いで、色味の特徴を除いたら、そこらへんの河原にでも落ちていそうなものだった。



 (加工する前の宝石…?にしても、石要素が強いような)



 そう、1人心の中で首を傾げていたときだ。なぜ母がヴァネッサを呼ぶ必要があったのか、それがすぐに判明した。



 「ヴァネッサ、足りない石を報告してもらえるかしら?」



 母が言うと、後ろに控えていたヴァネッサは、手帳を開いて前に進み出た。



 「かしこまりました、奥様。今足りていないのは、冷蔵庫用の冷氷石、温熱石の在庫が5つ、光輝石の在庫が3つでございます。あと、1階の厨房前の廊下の光輝石の台座が壊れかけております」


 「なるほど、冷氷石は冷蔵庫のものですね。ちなみに、冷凍用のものは足りていらっしゃいますか?」


 「ええ、そちらは大丈夫ですわ」


 「左様ですか。ではそうですねぇ…卿のお宅は冷蔵庫もかなり大型ですから、このくらいの大きさはあったほうがよろしいかと。…いかがでしょう?」



 石商は話しながら、分厚い革の手袋をはめると、青色の混じる石の中から1番大きな拳大のものを選んで取り出した。そして、石の入っている箱の横に置いてあった、円形の平べったい板の上にそっと置いた。



 「わっ」



 思わず声が出てしまう。

彼が石を置いた途端、両親の間から覗き込んでいたサラの所まで、鳥肌が立つほどの冷気が押し寄せてきたからだ。母は笑いながら、サラの肩を抱き寄せてさすってくれる。



 「うーん、少し強すぎる気がするな。そっちの石だとどうなる?」


 「こちらでしたら…」



 父は至って真剣に石商との交渉を進めていたが、沙羅の脳内は大パニックである。しかもよりによって、肝心なときにリックがいない。きっと別の用件を父から頼まれて、こなしている最中なのだろうが。

 いつもの癖でつい左耳を触ってしまうものの、どれだけ強めに引っ張ろうと、不在のリックは説明してくれる訳がない。



 忘れていた。

平穏なせいで、ここが異世界であることがポンと頭の中から抜け出ていた。今まで、細々とした差しか知らなかったせいもある。


 ここは異世界。沙羅の常識が通用しない世界なのだ。



 「ああそうだ。実はカメラを再開したんだよ。電流石ももらえるかな」


 「おや、それはおめでとうございます!勿論、卿のお宅に伺うときはいつもご用意しておりますよ。ささ、お選びください」



 そんな楽しそうな会話が頭上で飛び交うのを他人事のように聞きながら、もう何があっても驚くまいと、固く誓ったのだった。

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