第36話 リックの提案
サラはその後、フルーツもぺろりとたいらげた。驚異的な食欲だ。料理人達も、戻ってきた皿を見たら喜びのあまり卒倒するかもしれない。
食後の紅茶を啜るサラの口角は、自然と上向いている。リックはその光景を、眩しいものでも見るかのように、目を細めて眺めていた。
今でも、日に日にやせ細っていくサラの、諦めにも似た仄暗い瞳を覚えている。死期を悟り、死への恐怖と両親への懺悔で泣き崩れる、震える肩を覚えている。
脳に焼き付いて、一生消えないものだと思ってた。その輪郭が、目の前のサラのお陰で、やわやわと
「本当は、こんなに笑う奴だったんだな」
伝えるというよりは、
「あたし、いま笑ってた?」
「ああ。昼食を持ってきてからずっと、穏やかな顔をしてる」
当人は全く気がついてなかったらしく、不思議そうに顔を手でペタペタと触っている。ほっぺたはおろか、リックの癖のように眉間まで撫ぜているが、それで何か分かるのだろうか。リックには疑問だったが、暫くするとサラは納得したように呟いた。
「びっくりした、あたし今笑おうとしてないのに。……あたしが今笑えてるんなら、それは元々そうだったんじゃなくて、リックのお陰でそうなったんだよ。あたし、笑い方なんて忘れてたもん」
返ってきた沙羅の答えは、リックにとっては喜ばしいものだが、手放しに喜ぶには引っかかりがある。
(笑い方、ね)
笑うのなんて、やり方を思い出しながらするものじゃない。そんなことも、沙羅は知らなかったのだ。
どうりで、サラの真似が上手かった訳だ。元から自分の笑い方を知らず、誰かの笑い方をなぞることで笑っていたのなら、今回のだってそれの応用にすぎない。
(……まぁ、いいか)
現に今、目の前にいる沙羅は笑っている。笑おうとしなくても。それで十分だ。過去に起きたことは変えられないけれど、今を変えたら、過去の意味は変えられる。そのために俺がいる。
いつか、沙羅が過去の沙羅ごと愛せるようになれたら、それでいい。
「お嬢様の笑顔をなぞるだけより、よっぽど良い。もう少し、子供っぽくしてもいいとは思うけどな」
「子供っぽくねぇ……。してるつもりなんだけど。でも正直、甘え方とかはよく分かんないかな…」
困ったように宙で視線を迷わせるサラ。そんなことだろうとは思った。
「お前は、周囲のことを見すぎているんだ。俺や、旦那様や奥様がどう反応するのか。子供は、そんなこと考えなくていい。自分の感情にいっぱいいっぱいになって、それで周囲を振り回せばいい」
「なるほどね……思いっきり泣きわめいて、宥めすかしてもらうくらい?」
「あっ、あれは!」
もう触れられないものとばかり思っていたので、動揺が露骨に態度に出てしまう。片付けていた食器が、手元で音を立てる。それを見たサラが、不思議そうに首をかしげた。
「なにもそんなに驚かなくても。従者っていっても、サラはリックのことお兄ちゃんみたいに思ってたっぽいし、それくらい大丈夫なんじゃない?心配しなくても、お父様たちには言わないよ」
「は?そうじゃなくて。俺は、お前が気にしてるんじゃないかと思ったんだ…が…」
全くの見当違いの方向にフォローを入れる沙羅に、つい本音が出てしまう。気づいた時には、もう軌道修正できない所まで吐いてしまっていた。自爆しに行ったようなものだ。折角勘違いしてくれていたのに。
「あ、え、そっち?…あー、いや、そりゃあ当然恥ずかしくはあったけど…。そもそもお母さんにすら抱きしめてもらったことあんまり無いし。というか、人前で泣いたことないし。でも、今あたしはサラな訳だし。サラに対してしたことで、あたしが恥ずかしがっててもしょうがないじゃん?」
流石に気恥ずかしさはあるのか、早口で一気にまくし立てられる。照れを誤魔化そうと、下手な笑みを浮かべている。その態度に、リックは今日何度目か分からない肩透かしをくらう。
(沙羅自身を抱きしめたことには、気づいてないのか…?)
もしや、気づいている上で、知らないフリをしているのでは。そう思いはしたものの、
「甘え方、甘え方ねぇ…」と呟きながら紅茶を飲むサラの横顔からは、リックを拒んだり避けようとする態度は覗えない。
友情や異性からの恋情はおろか、親からの愛情の受け取り方も知らない沙羅だ。リックがあの時、サラよりも沙羅を優先したと知れば、逃げるに違いない。
そうだった。
この
それは彼女の身に染み付いた、忌々しい癖。だが、今回ばかりはリックを救ったようだ。
今は、沙羅に距離をとられる訳にはいかない。この世界で沙羅の存在を知っているのは、リックだけなのだ。そんな状況の中でリックから離れられてしまっては、また元の沙羅に逆戻りしてしまう。折角、これほど自然に笑えるようになったのに。
「1つ、提案がある」
「ん、なに?」
「俺は元々、3日でお前をお嬢様にするつもりだったが、あれ、止めないか」
「え……?」
サラの大きな瞳が、更に大きく見開かれる。不安を隠しきれていない。
リックはソファに腰掛け、サラと目線を近づける。
「あれは元々、お前の態度を見極めるつもりでつけた制約でもあった。その結果は、今朝旦那様方の前で示した通りだ。お嬢様をなぞるのであれば、お前はもう十分すぎるほどできるはずだ」
「つまり、もうおしまい?」
迷子の顔になるサラの髪を、かき回すように雑に撫でる。サラ自身には、決してしない触り方だ。
「そうじゃない。ただ、やり方を変えようと言ってるんだ」
「やり方?」
「そうだ。お嬢様になるだけじゃなくて、お前は自分のことも知りたいんだろう?」
「…うん」
「なら今のままじゃ駄目だ。自分を省みない努力じゃ、自分を大切にできない」
「じゃあリックは、どうしたらいいと思う?」
リックが沙羅を見放すつもりは毛頭ないことが伝わったのか、不安の色は消えている。それでも、解決策までは思い浮かばないみたいだった。
「お前は、思慮分別はつくし、普通の16歳と比べてもかなり頭のきれる方だろう」
「まあ、勉強だけは人並み以上にはしてきたから」
「そうだな。だが逆を言えば、それ以外の経験値はからっきし。3歳くらいのものだな」
「さっ、3歳!?えっ、急に辛口…」
「でも事実だろ。それに、悪いんじゃない。経験値がないなら、経験すればいい。現にお前はこの数日だけで、見違えるくらい変わったよ。だから、ずっと俺と2人でお嬢様のことだけ勉強してるんじゃもったいない。お嬢様としてこの家の人たちと接するだけでも、きっと、自分の知らなかった自分が見えてくるはずだ」
「それは…知りたい」
リックによってぐちゃぐちゃにされた髪の毛のまま、サラの瞳は先程とは違い、期待を秘めていた。その姿に思わず吹き出す。
今の沙羅は、乾ききった土壌に忘れ去られた種だ。リックや他の人たちに存分に水を与えられ、栄養を吸い上げ、日をすくすくと浴びて、どんな実がなるのか。楽しみで楽しみで仕方がないのだ。
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