第34話 価値

 「死んでからは、前に話したとおり。サラに会って、ここにいる。サラは…全く見も知らない女のあたしを、心から必要としてくれた初めての人だから。だからサラの望みは全部叶えたい。それに、もう何にも後悔したくない」




 話しきると、沙羅はグラスに半分ほど残っている水を、ひとおもいに飲み干した。かなり長時間話してしまった。喉が、仮病ではなく本当にカスカスになってしまう。



 他人の、それもこれほど面白みのない話を延々と聞くのは苦痛だろうに、リックは最初から最後まで、話を遮ることなく真剣に聞いてくれた。

 途中、あまりにも身じろぎ1つしないので、寝たのかと思ったほどだ。


 リックは表情は感情が眉に出やすいらしい。声や表情で大げさに表すことはなかったものの、話しの合間に眉だけピクピクと動くのが、視界の端で見えていた。

 疲れないのかな、と思っていたがやはり疲れるようで、話が終わった途端しきりに眉の周りを手で揉みほぐしている。



 「はい、リックも。疲れたでしょ」



 ベッド脇に置いてある水差しから、もう1つのグラスに水を注いで手渡す。グラスを受けとるために手を退けたリックの顔を、こっそりとうかがった。



 本当は、ずっと緊張している。

話し始めてから、ずっと。リックが沙羅の過去を知ってどう思うのか、気になるからこそ話している間も顔を直視できず、でも眉の少しの動きにも敏感に反応してしまいそうだった。



 あたしがいかに出来損ないで、サラの中にいるに相応しくない人物か、バレてしまった。

 その顔に、侮蔑の表情を浮かべていても仕方ない。そう思いつつも、そうでないことを願ってしまう。


 もう、沙羅だけの時とは違うのだ。

リックが拒んだとしても、あたしはサラと離れられない。あたし自身の価値のせいで、サラとリックの関係性が変わってしまうかもしれない。それが堪らなく怖かった。



 大人しく水を受け取り、一気に飲み干すリックの顔からは、困ったことに何も感じ取れない。相変わらず眉間に皺はよっているけど、それがただ熟考しているのか、侮蔑なのか、同情なのか、全く掴めない。

 だから、全て語り尽くした沙羅は、待つことしか出来なかった。



 ふと、サラの視線に気づいたリックが顔を上げ、目が合う。意外にも、話し始める前と同じ、優しさの滲む瞳だった。



 「悪かった、無理やり話させて。お前にとって、あまり良い思い出ばかりじゃないだろ」



 かけられたのは沙羅への労いの言葉で、一瞬呆けてしまう。そういえば、最初に沙羅にキツく当たっていたのだってサラを守るためで。なのに結局、他人の沙羅のことまで気にかけてくれる。良い人なのだ。



 そう考えると、沙羅の話は、さぞ心苦しかったかもしれない。

 父は無関心、母からは承認欲求の道具にされ、友達になろうとしてくれていた子を見捨て、最後にはいじめの主犯として事故死。

 リックのような善人に聞かせる話ではない。 



 「別に、あたしは慣れてるからいいよ。今まで言わなかったのだって、サラの中にいる奴がこんなのだなんて、知らないほうがいいと思ったからってだけだし」



 これは本心だ。リックが気にしないよう、なるべくあっけらかんと言ったつもりだったのに、リックは余計に険しい表情になってしまう。

 まずい、また間違えた。でも、何がいけないのか分からない。



 「えっと…ごめん」


 「違う」


 適当な謝罪はやはりバレるのか、すぐさま否定される。また出そうになる謝罪の言葉を、必死に飲み込んだ。

 リックが深く溜息を吐く音に、びくりと肩が跳ねる。



 「そうじゃなくて。『慣れてる』とか、『こんなの』とか。もう自分を下げるようなことは言うな」



 苛立ちを含んだ声に、困惑する。

そんなこと言われたって、こんなどうしようもない自分を、他にどう表現しろというのだろう。それは、この16年間、誰も教えてくれなかった。



 「でも、」


 「お前は」



 また否定的なことを言おうとしたのを察してか、出るはずの言葉は、再びリックに押し止められた。


 「お前は、お嬢様が亡くなったのは、病弱に産まれたせいで、お嬢様が悪いと言うのか」


 「なんてこと言うの!」


 そんな恐ろしいこと、言うわけがない。病弱でも懸命に生きて、家族を愛する心を持っていたあの子に。

 何故よりにもよってリックがそんなことを言うのか。サラを大切にしていたはずなのに。


 非難の目で睨みつけると、リックは眉尻を下げて困った顔をした。



 「だったら、同じだろ」


 「え?」


 「女だからとか、勉強ができないとか。当人じゃどうしようもない事で価値を決めるのは、卑怯だろ」


 「それは…」



 それは、心の奥底でずっと考えていたことだ。自分じゃどうにも出来ないんだから、仕方ない。誰かにそう、言ってほしかった。

 でも、


 「しょうがないじゃん。他の人からしたら、そうかもしれないけど。この国では髪色が美しさの基準になるみたいに、あたしの家ではそれこそが価値の基準だったんだから。あたしが否定したところで、周りの環境がそのままなら、否定したって仕方がないじゃん」



 これも、幾度となく辿り着いた結論だ。その度絶望し、諦めてきた。これ以外に道はないなら、歩き続けるしかないから。



 「っ、だから!」



 リックがサラの肩を揺さぶるように掴む。その指の強さに一瞬慄くも、痛くはされなかった。ただサラの存在を確かめるような、しっかりと抑え込むような触り方だった。



 「お前はいま、。囲い込んでいた環境はもうない。お前の価値を決めるのは、お前の両親じゃない。この家や、俺や、何よりお前自身で決めるんだ」



 肩から、リックの手の熱が伝わってくる。今まで誰にも触れさせることのなかった、沙羅の1番醜い部分まで届く光。

 その熱に浮かされてか、目頭がぐっと熱くなる。今まで封じ込めていた扉が開く予感がする。枯れ果てたはずの沙羅の涙が、溢れてくる。

 今まで泣いていたのは、あくまでもサラの涙だったから、何も気にせずに泣いていられた。でも、これは沙羅自身のものだ。そう思うと、自分の感情をあらわにするのが恥ずかしくて堪らなくなり、小さな両手で顔を隠すようにして泣きじゃくった。自分がこういうふうに泣くことを、産まれて初めて知った。5歳のサラより、よっぽど下手くそな泣き方だ。



 リックは、暫くは黙って見守ってくれていたようだったが、ふと肩の重しが無くなる。

 

 そして、ベッドの軋む音がしたかと思うと、手の向こうの世界が暗くなった。



 「……っ」



 どうやら、というか間違いなく、リックに抱きしめられている。先程は肩越しだった温もりが、じんわりと全身を包む。

 あまりにも驚いて、一瞬涙が止まりかけたけれど、その温かさと、後頭部を優しく叩く手のリズムで、涙はすぐに戻ってきた。



 嗚咽を堪える頭上から、サラに向けるような柔らかい声が降り注いでくる。



 「前世の考え方が抜けないなら、何度だって言ってやる。

いいか、お前は、大切なひとのために惜しまずに努力できて、初対面のお嬢様にだって自分を捧げることができる。家族の愛情を知れなかったからこそ、それがいかに尊いものか知っている。価値観の合わない人を、嫌いに思ったとしても、それを相手にぶつけずに受け流すことができる。嫌なことがあっても、周りや人のせいにしないで、自分を省みることができる。…まぁ、かなり自己犠牲がすぎるが。俺から見たお前は、そういう人間だ。

…なぁ。こんな人間の、どこを嫌う必要があるんだ?」



 その言葉があまりに優しくて、一層涙が止まらなくなる。リックの皺1つない服に染みを残さないよう必死に手で堤防を作るけど、それも決壊しつつある。



 環境が変われば、価値も変わる。

リックが言っていたことは、どうやら正しいみたいだ。


 今までだったら到底受け止められなかっただろうリックの言葉は、驚くほどすんなりと、沙羅の体に吸い込まれていった。




 そうだ。

本当はずっと、認められたかった。

あたしのあるがままを、認めてほしかった。



 だからこそ、結局はあの家も学校も切り捨てることができずに、諦めた顔をしながら、全ての期待を切り捨てることはできていなかった。

 それこそ、あの白い空間で、遠くからサラの父親の声が聞こえたときに、性懲りもなく脳裏に自分の父親が思い浮かぶくらいには。




 誰よりも父と母に、認められたかったんだ。


 

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