第33話 沙羅 ー おちる

 翌朝、あたしはタクシーに乗って学校に向かっていた。



 病院で捻挫と診断された足は、湿布を貼った上からテーピングされているが、学校指定の黒ソックスに丁度すっぽりと覆われ、傍目には全く目立たない。

 それでも、ひょこひょことした歩き方しか出来ないので、通学にだけタクシーを使うことになったのだ。



 家に車はあるけど、わざわざ運転したくない。かといって、休ませて勉強しないのは許せない。そう考えた母の決断だった。なまじお金持ちのせいで、お金の使い方が歪んでいる。



 家から学校までは、タクシーで15分くらい。画面酔いするあたしは、スマホを見ることもできず、ただぼんやりと窓から外を眺めていた。




 (あれ………?)



窓枠の向こうに、ふと気になるものが見えて、目を凝らす。



 「すみません、ここで降ろしてください」


 「はい?あの、目的地まで、まだありますが」


 「大丈夫です、お釣りはいいです」



 ミラー越しに困惑する運転手の顔が見えたが、無視して元々払う予定だったお札をトレーに叩きつけ、外に出た。


 今更ながらスマホで時間を見ると、まだ時間には余裕がある。ここからなら、今のあたしの足でも、なんとか学校には間に合うだろう。

 それが確認できたところで、あたしはきびすを返し、たどたどしい足取りで先程通り過ぎた歩道橋へと向かった。



 近づきながら、歩道橋を見上げると、車の中で見えたものは、まだそこにあった。というか、居た。




 (やっぱり、百波だ)



 百波は歩道橋を渡るでもなく、ただその上から、朝で交通量の多い車道を見下ろしていた。表情が暗く見えるのは、あたしの思い込みだろうか。


 第一、百波はいつも自転車通学だと言っていたはずだ。2学期になってから徒歩にしていたとしても、学校の最寄り駅からも離れているここに、いるはずがない。



 すぐ横に横断歩道もあるせいか、百波以外、歩道橋に人はいない。

 痛む足で慎重に階段を上りながら、考える。なぜここにいるのか、どうして学校に向かわないのか、何から聞けばいいのか。

 頭の中を整理しようとしたけど、あと数段で上りきる、という所で百波の全容が見え、頭が真っ白になった。




 「……その服、どうしたの」




 頭を占領する疑問をそのまま口に出すと、ようやく百波はあたしの存在に気づき、半歩後ろに飛び退いた。



 「沙羅ちゃん…?」


 絶望したような声に、おののく顔。

 それでもあたしは、どうしても彼女の下半身に目がいってしまう。


 

 下から見えた時には、気がつかなかった。いつも通り、見慣れた黒のセーラー服だったから。


 でも、下はそうじゃない。学校指定の、膝丈のプリーツスカートじゃない。膝下まであるフレアスカートは、百波の私物だろうか。濃紺で色味を上と近づけようとはしているみたいだが、長さと、艶々とした素材から、制服と別物なのは明白である。

 上がいつも通りな分、余計にちぐはぐな印象を与えていた。



 何かあったのだと、言っているような服装だった。



 「どうしたのなんて、他人事みたいに。わ、わたし、ちゃんと知ってるよ。沙羅ちゃんがやったこと」



 呆然とするあたしに、百波は冷たい声を浴びせた。

 驚いて顔を上げると、声は辛辣なものの、百波の体は震えて、瞳に涙を滲ませていた。明らかに、あたしに怯えている。



 ふと、昨日の忠告が脳裏をよぎる。

嫌な予感しかしない。



 「だって、あたしのスカート切り裂けるの、沙羅ちゃんしかいないじゃん。他に体育の授業中、抜け出した人いないもん」


 「え、」



 百波の言葉に、あたしは既に前田の手中にいたのだと気づいた。もう、遅かった。


 当然、あたしはそんなことしていない。授業を抜けはしたが、その後教室には行っていないし、犯行は不可能だ。

 しかし問題は、百波はあたしがやったと思い込んでいるということだ。そしてそれは間違いなく、前田がそう思わせた。



 百波は、怯えてはいるもののマシンガントークなのには変わりがないようで、状況を掴みきれていないあたしをそっちのけで話を続ける。



 「わたし、ずっと信じてたよ?あかりちゃん達に、沙羅ちゃんがあたしの悪口言ってたから付き合うのやめたほうが良い、って言われてからも。…でも、物が無くなり始めて、それが誰かがわざとやってることだって気づいて。あかりちゃんに相談したときに、言われたの」



 『うーん、消しゴムとかシャープペンを狙うのって、犯人かなりみみっちいよね。あー、それか、百波んちの家庭事情知ってるとか?』



 百波の語るあかりの言葉に、あたしはきっと百波と同じことを思い浮かべただろう。


 なぜ編入してきたのか、あたしが百波に聞いたとき。百波は「学費が高いから」と言っていた。あたしは、この学校の人たちと比べると、百波の家庭が金銭的に余裕がないことを知っていた。

 あたしの家は通学にタクシーを使わせるような家だけど、百波にとっては、教科書や筆記用具の買い直しが重なるのは厳しいと、知っていたことになる。

 それを、他の人がどれ程知っていたのかは分からないけど。百波の反応を見るに、直接話したのは私や前田くらいのものだったのかもしれない。



 「それでも、シャープペン貸してくれた時もあったし、わたしまだ信じてた。友達だもん。信じたいと、思ってたのに」



 不自然なスカートの上で、百波は手の血が止まるほどキツく拳を握りしめる。涙も、もう止まらなくなっている。



 そんな百波と対面してなお、あたしは情けないくらいに何も言葉が出てこない。

 百波の言葉を、肯定も否定もしない。ただ聞くだけというコミュニケーションしかとってこなかったせいで、今何を言うのが正解なのか、皆目見当がつかないのだ。



 違う、あたしはやってない、と言いたい。でもそれが言えるのは、百波の味方になれる人だけじゃないのか。あたしにはなれない。自分が加害者側だと、思っているから。


 もう、あたしが犯人ということにした方がいいんじゃない?

父から見放されるけど、軽蔑されるだろうけど、元の関係とそれほど変わらない。それなら、今壊れそうになっている百波が信じているものを、守った方がまだ救いがあるのでは。



 思考は2極の間をぐらつくけど、結局そのどちらにも留まらない。

 以前であれば、このまま無言でも問題なかっただろう。しかし流石に、この状況では許されないようだ。



 「ねぇ、沙羅ちゃん。ちゃんと聞いてる?」



 怯えよりも怒りが勝ってきたのか、階段の最後1段を上りきることすらできず、手すりで体を支えその場で立ち尽くすあたしに、百波が恐る恐る近づいてくる。

 あたしを見下ろす百波の目は、昔はあんなにきらきらしていたのに、今じゃ虚ろに陰っている。



 「ただ楽しく学校行ってただけなのに。急に悪意ぶつけられて。知らない人にまでこの格好ジロジロ見られて。いたたまれなくて途中で電車降りて。初めて死にたいって思って、こんなとこ上っちゃってさ。なのに、なんでよりによって、沙羅ちゃんが来るの?」



 捻挫しているあたしと同じくらいふらふらとした足取りの百波。


 視線を縛られたように彼女を見つめながら、あたしは不謹慎にも安心していた。


 自分と違いすぎて受け入れられなかった百波が、あたしと同じくらい不幸になっているから、ではない。その逆で、この百波の姿を見て、ちゃんと胸が痛むことに、ほっとしてしまった。



 「あんたはこっち側」と前田に言われてから、あたしは前田と自分が同じだと思っていた。

 違う。

確かにあたしは傍観者になった時点で、加害者の1人かもしれない。前田と同じように、今でも百波のことは嫌いかもしれない。

 でも、嫌いだからって、百波を貶めたいと思ったことは、なかったはずだ。それを今更思い出した。




 「見つけられてよかった。百波、しなないで」



 これは、ちゃんとあたしの本心。

 迷わずに出てきた言葉。



 あたしを犯人だと思っている百波には、もう真っ直ぐには届かないけど。

 もっと早く気づけばよかった。あたしがまちがいを選んでいる内に、こんな手遅れな所まで来てしまった。



 百波は届いた言葉をどう受け止めたのか。あたしの目の前まで来た百波の顔は、先程以上に歪んでいた。



 「だから、なんでそれを沙羅ちゃんが言うのよぉ…!?」


 「あ」



 どしん、と体に衝撃が走る。

いや、本当はもっと軽い力だと思う。少し胸を小突かれただけだ。



 問題は、ここが階段の上で、あたしが片足重心の不安定な姿勢で立っていたこと。

 そして、反射的に踏ん張ろうとした、捻挫中の右足が悲鳴をあげ、よりバランスが崩れてしまったこと。



 階段から落ちゆく束の間、あたしは驚きに目を見開く百波とずっと目があっていた。




 (にげて)



 そう言いたいのに、そんな僅かな時間すら与えられない。



 即死だった。

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