第32話 沙羅 ー 忠告

 それ以降、百波に対するいじめは、更に過激になっていた。



 教科書の一部が破られていたり、失くしたものも、戻ってこないことが多くなった。



 1度、昼休みに、人通りの少ない廊下で百波が泣いているのを見た。百波は前田に縋りつくように泣いていて、その周りにはいつもの3人もいる。

 前田は百波の肩をさすりながら宥めていたけど、あたしと目が合うと、獰猛な笑みを浮かべた。



 あたしは、すぐに顔を背けて、足早にその場を離れるしか出来なかった。

 縋りついているその相手こそ、自分を貶めている犯人だと、言えるはずもない。言ったとしても、百波はもうあたしよりも前田たちを信頼しているだろう。




 あたしは、傍観者を選んだんだ。





 ある日の、体育の授業中。

あたしは思いっきり足をひねった。別に事件性はない。元々他のクラスよりも体育の授業が少なく、運動不足だったというだけの純粋な事故だ。



 ひねったついでに大げさに転んでしまったこともあり、授業を抜けて保健室に行くことになった。

 片足の自由がきかない為、あまり知らないクラスメイトが保健室まで肩を貸してくれた。



 「ごめん、ありがとう」


 「ううん、気にしないで」



 道中にお礼を言うと、彼女は控えめに頷いた。それ以上話すことがなくなり、無言になってしまう。

 密着しているせいで彼女の表情は見えないけど、彼女もかなり気まずいのではないか。こういうときに、勝手に話してくれる百波は、楽だったと思ってしまう。



 「あ、あの、更木さん」


 「なに?」


 急に話しかけてきた、大人しそうな彼女を萎縮させないよう、なるべく静かに答える。彼女は少しの間まごついていたが、言いたい内容が固まったのか、物凄く小さな声で1言、



 「前田さんには、気をつけて」



 と言った。

静かな廊下でも、1メートルも離れたら聞こえないくらいの声量。でも、真横にいるあたしにははっきりと聞こえた。



 「わ、わたし、中1のときに前田さんと同じクラスだったんだけど、不登校になった子がいたの。その時、最終的にいじめの犯人として先生に呼び出されたのは、わたしの友達だった」


 「それって、」


 「その子、何もしてない!絶対に」



 急に、語気が強くなる。支えられている右側から、震えが伝わってくる。

 彼女の友達は、前田に身代わりにされたのか。



 「なんで、それをあたしに?」



 前田たちに放課後囲まれた現場を見ていたならともかく、それ以外はあたしは傍観者を貫いている。わざわざあたしを選んで忠告する理由が見当たらない。

 そう思ったのだが。



 「…笑ってたから」


 「え?」


 「さっき更木さんが足を挫いたとき、前田さん、すっごく嬉しそうに微笑んでたから」



 ぞくり、と背中を悪寒が這い上がる。鳥肌が止まらない。

思い出したのは、百波が泣いていたときに見せた、獰猛な笑い方。そして、『あんたもこっち側』という言葉。


 あたしが思っている以上に、前田は厄介な人物なのかもしれない。



 「あの、更木さん、大丈夫?」



 右側からの遠慮がちな声に、保健室まで辿り着いていたことにようやく気がつく。

 依然動揺している頭で、今できる最善を考える。組んでいた肩をほどき、初めて彼女を正面から見据える。細い縁のメガネが似合う、見た目も大人しそうな子だった。



 「ありがとう、教えてくれて。でも、あなたも気をつけた方がいいよ」


 「えっ、」


 「前田があたしを狙ってるなら、普段あたしと全く接点のないあなたが今ここにいることで、あなたも目をつけられるかもしれない」


 「あっ…」



 どうやら、あたしに話しかけることに精一杯で、そこまでは考えていなかったようだ。元々悪かった顔色が、さらに色を失っていく。彼女は、前田に目をつけられた人間の行く末を見ている。そうなるのも当然だ。



 「今すぐ体育館に戻って。なるべく早く。で、戻ったら多分前田さんに話しかけられるから、あたしの悪口を言って。こっちは心配してるのに、ありがとうすら言わないとか、無愛想で気まずかったとか」


 「更木さんは、それでいいの…?」



 戸惑う彼女に向かって頷くと、彼女は深々とお辞儀し、もと来た廊下を駆け足で戻っていった。角を曲がり、すぐに見えなくなる。



 (大丈夫かな、嘘が下手そうだけど)





 その後保健室の先生に診てもらうと、思った以上に右足が腫れていて、念の為そのまま早退して病院に行くことになった。

 女子は着替えを教室でしていたので、保健室の先生が制服と荷物をまとめて持ってきてくれた。



 タクシーで運ばれた先の病院で合流した母には、またぐちぐちと文句を言われたが、あたしの頭の中ではずっと、前田の顔と忠告してくれた彼女の言葉が反芻されていて、珍しくちっとも気にならなかった。



 忠告してもらったものの、対策をとれるかといえば、それは難しいだろう。



 それに、前田が具体的にはどのように、あたしを巻き込もうとしているかも分からない。いじめられるのだとすれば、まあ、他の人のように周囲に心配をかけさせることも無いし、それ程痛手ではない。

 でも、いじめの主犯に仕立て上げられたとしたら。先生に、呼び出されたとしたら。流石に父の耳に入ることになるだろう。

 それだけは、絶対に嫌だ。



 幸い、現状ではあたしになすり付けられるものはないはずだ。物の紛失に関しては、百波の席に近づいていないどころか、自分の席を1度も立っていないときだってあった。証人もいるはずだ。



 とにかく、明日からは、一層気をつけねば。今まで以上に、誰とも接しないように。でも、いざという時のために証人がいる場に身を置くようにしなくては。




 そう思っていた自分が、どんなに呑気だったのか。


 彼女の忠告が、どれほど的確だったのか。



 あたしはすぐに、知ることになる。

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