第31話 沙羅 ー 加害者
2学期になると、席ががらりと変わった。あたしは1番廊下側の最前列。百波は、窓側から2列目の、後ろから2番目の席。ほぼ対角線上の位置だ。
席が変わったお陰で、授業の合間の休憩時間は急いでトイレに逃げ、お昼休みも人が来ない穴場を見つけることができた。
百波も最初は人波をかき分けてでもあたしに追いついていたけど、席が近くなった前田グループが彼女に絡むようになり、お昼ごはんも彼女たちと食べるようになったみたいだった。
なぜ、百波の悪口を言っていた前田たちが、百波に構うのか。疑問に思いつつも、あたしは身を守ることを優先した。百波も、話し相手ができて嬉しそうだし、良いだろう。
そうしてまた、あたしは違和感から目を反らした。
最初のうちは、いじめに全然気がつかなかった。関わらなくなったから、当然ともいえる。
異変を感じたのは、Aクラスで行われる、難関校対策模試の授業のときだ。
皆が黙々と問題を解く中、監督官をしていた教師が、唐突に立ち上がり、教室の後ろまで行く。多分、皆真剣に問題に立ち向かいながらも、何事かと耳をそばだてていたと思う。
「駄目だ。貸し出しは認められない。本番と同様、そのまま解きなさい」
「はい、すみません…」
教師の高圧的な声の後に聞こえてきた弱々しい声は、百波のものだった。
(何があったんだろう…今まで、試験の途中でこんなこと無かったのに)
何が起きていたのかは、次の休み時間で明らかになった。
久々に、百波があたしに話しかけてきたのだ。
「沙羅ちゃん、ごめん。消しゴム2つ持ってたりしない?」
「え?…ごめん、1個しかない」
すぐに答えられなかったのは、今がもう午後の授業だからだ。午前中は、消しゴム無しでどうしていたんだ。
あたしの困惑した顔に気づく余裕もなく、百波は困ったように笑う。
「やっぱそうだよねぇ。あかりちゃん達も、皆持ってないらしいし。どうしよ…」
「…購買に、売ってたと思うけど」
あたしの提案に、ぱあっと表情を明るくした百波は、お礼の言葉だけ言うと、一目散に廊下を駆けていった。
時計を見る。ここは3階で、購買は1階にしかないから、急いで行っても次の授業にギリギリ間に合うかどうか、といったところだろう。
あたしに出来ることは何もないので、模試の問題用紙をしまい、次の授業の準備をする。
その後ろで、雑音に紛れて、自分の名前が呼ばれるのが聞こえた。
「更木さん、なかなかやるぅ〜」
女の子の声だ。
次いで、教室のあちこちから、くすくすという笑い声が聞こえてくる。嘲笑うニュアンスを、隠そうともしていない。
流石に気がつく。百波は家に消しゴムを忘れてきたんじゃない。途中で失くした、というより、隠されたのだ。
(気持ちが、悪い)
実行犯が誰かは分からないが、笑い声は教室中から聞こえてくる。まるで教室一体が気味の悪い化け物のようで、その
結局そのどよめきは、百波のバタバタした足音が聞こえるまで続いた。
教室に飛び込んだ百波に、
「あっ、ねえ百波!これ百波の消しゴムじゃない?」
と、前田がやたらと明るい声で話しかける。
「えっ?…あっ、ほんとだ!!嘘ぉ、買ってきちゃったよ〜」
「もー、百波ってば天然だなぁ」
息を切らしたままの百波に、笑いかける女子の声。それを聞いて、クラス中がまたどっと笑う。
Aクラスらしくない、穏やかな光景だろう。…その言葉の裏に潜む、棘にさえ気が付かなければ。
気がついてしまってはもう、とてもじゃないけど、振り返ってその光景を直視することは出来なかった。
それから、同じようなことが度々起きた。失くなるものは消しゴムだったり、シャープペンだったり、あるいはその中のシャー芯だけ抜かれていることもあった。時には消しゴムの時のように後で別の場所から見つかったり、見つかっても壊れていたり、またある時には出てこないものもあった。
それが何度か続き、流石の百波も少しずつ不信感を抱きはじめたころ。放課後、あたしは前田たちに呼び止められた。
「ねぇ、更木さん。なんで今日、百波にシャープペン貸したの?」
その顔は笑っているけど、声は高圧的だ。前田の後ろに控える友人ABCに至っては、不服そうな顔を隠そうともしていない。
「べつに、予備があったから」
あたしの返事に、笑顔が曇る。望んでいた答えじゃなかったようだ。
それもそうか。「あかりちゃん達、ペン1本しか持ってないんだって」と百波は言っていたが、そんなはずない。「いつ壊れるか分からないから、必ず予備のペンを持っておくように」というのは、入学式のときに校長に聞いた話だ。
持っていても断れよ。
前田はそう言っているのだ。
思わず、溜息が出る。
「もう、ここらへんにしておいた方がいいんじゃない」
つい、口をついて出てしまった。それを聞いた前田の後ろに控えていた1人が、にじり寄って来てあたしの机に手を置いた。
「へーえ。更木さんって、そんな聖人ぶったこと言える人だったんだぁ。えらーい」
そう言って笑う彼女を囲み、前田たちもクスクスと笑う。ここ1ヶ月ほどで聞き慣れた、不快な音。前田は笑いながら、席に座るあたしを見下ろす。
「でもさぁ。今更じゃない?私たち、更木さんが百波のこと嫌い、困ってるって言ってたから助けてあげたんだよ?」
「っ、それは」
そんなこと言ってない。そう言いたかったのに、言葉が詰まる。確かにあたしは「好きじゃない」としか言っていないけど、それを証明できるものはないし、何より、心の奥底では「嫌い、困る」と思っていたから。
「…それにしたって、やりすぎじゃ、」
結局、あたしの口からはそんな曖昧なセリフしか出てこなかった。おずおずと見上げた先の、前田の顔を見て、凍りつく。さっきまでは表面上は笑顔を浮かべていたのに、すっかり冷めきった顔をしている。前田を囲む人たちも同じ、侮蔑的な瞳で睨みつけてくる。
「ねえ。さっきから聞いてりゃさ、さも私たちが悪人みたいだけど。一緒だよ?」
「え…」
「更木さん、いかにも自分は知りません〜って感じで、いっつも傍観してるじゃん。それって、同罪だから。あんたもこっち側なんだよ」
正論だ。
そう思ってしまった。
前田たちを
今度こそ本当に何も言えなくなったあたしに、
「分かったら、もうこんな下らないこと言わないでよね。次言ったらどうなるか、Aクラスの賢い更木さんなら、分かるでしょ?」
そう釘をさして、前田たちは笑いながら教室を出ていった。
いつの間にか、あたしは加害者になっていた。その自覚が、一層あたしを動けなくさせた。
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