第30話 沙羅 ー 不穏

 それから数日後。

初めて、百波が熱で学校を休んだ。


 久々に静かで穏やかな教室。あたしを阻むものは、何もない、はずだった。



 昼休み。

自分の席で、1人パンを食べるあたしに、女子が声をかけてきた。だいぶ前に、百波と仲がいいのか聞いてきた子だ。



 「ね、更木さん。ちょっとだけいい?」



 そう言ってきた彼女の後ろで、彼女といつも一緒にいる女子が3人、こちらをチラチラと見ていた。



 「何?」


 「あー、あのね、」



 なぜか囁き声で、コソコソと彼女のスマホを目の前に差し出される。



 「これって、更木さんのアカウント?」




 そういう彼女の声とスマホに写し出された画面に、体中が総毛だった。


 「S.S」という名前に、河川敷の写真のアイコン。間違えるはずがない。誰にも見られるはずのなかった、あたしのアカウントだった。



 「なんで…?」



 駄目だ。あからさまに固まってしまった。自分のアカウントだと、答えているようなものだ。

 「なんでそう思うの」という質問にはもう出来ない。問題は、なんで見つけたのか。



 明らかに声色が強張ったのがバレたのか、彼女は眉尻を下げて、胸の前で大げさに手を振った。




 「あ、違うの!…ごめんね、わざと見つけたんじゃないの。覚えてる?私、中2の時更木さんと同じクラスだったの」


 「…うん、覚えてるよ」



 嘘。本当は今思い出した。

彼女は、前田…そう、前田あかり。名前の漢字までは思い出せないけど、確かに同じクラスだった。当然、別に仲良しでもなかったけど。

 あたしの返事にほっとした様子の前田は、話を続けた。



 「その時ね、これは多分覚えてないと思うんだけど、私、クラスの連絡網で更木さんの前だったの。だから、連絡網に書いてあったスマホと家の電話番号を登録させてもらってて、それで……」



 話を聞きながら、嫌な予感が確信に変わっていく。

 そういえば、アプリを登録するときに、連絡先と連動するか、確認があったはずだ。ああいうアプリは、アカウントに登録した電話番号を電話帳に登録している人宛に、「友達かも?」と通知が来ることがあるのだとか。あたしはクラスの誰にも連絡先を教えたことがなかったし、唯一連絡先を知っている母も、スマホには疎い方だったから、別にいいやと思ったのだった。

 そうか、連絡網。完璧に失念していた。



 誰とも繋がらないと信じ切っていたから、アカウント名はただのイニシャルだし、偶に授業や先生についても呟いてしまっている。個人名は出していなくても、カリキュラムの内容から、同じクラスであることがバレて、あたしに辿り着けたのだろう。



 どうしよう。

 贔屓目に見たとしても、書いている内容は毒ばかりだ。もしもクラス中にアカウントがばれて、それが教師や、果ては父親の耳に届いてしまったら。

 父は、母に向けていたのと同じ軽蔑の眼差しを、あたしに向けてくるかもしれない。


 ぞっと身震いする。

いっそのこと、全てを投げ出してしまいたくなる暗闇を切り裂いたのは、皮肉にも今まさにあたしを突き落とそうとしている、前田の声だった。



 「本当にごめんね。見るつもりなかったし、見たことをいうつもりもなかったの。でも、これ見ちゃって…」



 そう言って、再び渡された彼女のスマホには、数日前にあたしが吐き出して、捨てたはずの言葉。



『それ、わざわざ言う必要ある?この年にもなって、言われた人のことも考えられないんだ。馬鹿みたい。わざわざ言わなくても、知ってるよバーカ』



 改めて見るもんじゃない、こんなの。結局忘れきれなかった醜い感情を、引きずり出して増長させられる気分だ。

 これは、人を傷つけることを目的とした言葉だ。それをまさか、全く別の人に拾われるなんて。


 何も言えないあたしをどう思ったのか知らないが、前田と、気がついたら彼女の横に並んでいた友達ABCは皆、可哀想なものを見る目でその画面を覗き込んている。

 あまりに、いたたまれない。

 スマホから目を反らしたあたしに、前田の友人Aはそっとスマホの画面を消した。



 「これって、清水さんのことだよね?」


 「……え?」



 友人Aの言葉を飲み込めないあたしに、他の3人が畳みかけるように話しかけてくる。



 「あの日の清水さん、流石に酷かったよねぇ」


 「ほんとに。あたしかなり引いちゃった。天然って言ったらいいの?周りのこと全く見てないっていうか」


 「私たち、皆必死に勉強してるのに。あんなこと言われたら、誰だって傷つくわ。ほんとに、わざわざ言う必要ある?って皆思ったよ」



 思いもしなかった言葉の渦に、ぽかんとしてしまう。



 (ああ、そっか。)



 前田たちクラスメイトが、母のことを知っている訳がない。それにしてもまさか、百波と勘違いされるとは思わなかった。

 確かに、あの日の百波の失言を考えれば、納得はできてしまうが。



 「ごめんね更木さん。前に清水さんと仲良いのか聞いたときに、本当はちょっと苦手なのかな?って気づいてたのに。こんだけ我慢して付き合ってあげてるって知らなくて」



 そういう前田に、やっと彼女たちの表情の理由を理解した。彼女たちは、SNS上で暴言を吐くあたしの狭量さを憐れんでたのではない。百波と一緒にいるあたしに、同情してたのだ。


 「本当は、清水さんのこと、あんまり好きじゃない…んだよね?」


 眉尻を下げる前田の言葉に、一瞬逡巡したものの、



 「……そうだね。好きじゃないよ」



 答えは、あたしの中では既に出きっているものだった。



 なのに、どうしてだろう。

 口にすると、やけに胸がざわつく。

まだ癒えきっていない瘡蓋かさぶたを、無理やり剥がしてしまったときのような。そんな不快感が胸にこびりついた。



 本当はその違和感にも気づいていたし、あたしの答えを聞いた前田たちの、同情の下に滲む喜びの表情にも気づいていた。

 それに、彼女たちが百波について話すときの言葉が、あたしがSNSで使う言葉に似ていることも。





 でも、全部見ないことにした。

前田たちの話に乗っかっておけば、本当に触れてほしくない、家の話はせずに済むから。




 「更木さん優しいから断れないかもだけど、清水さんとは距離おいたほうがいいと思うよ」


 「うん。そうするよ」





 この時あたしは、自分を守るために、百波を売ったんだ。






 次の日には、百波は体調が戻って学校に出てきた。

 距離をとるとは言ったものの、席は前後だし、こちらが距離をおこうにも、その分百波は距離を詰めてくる。そういう人間だ。



 だが運が良いことに、百波の部活は夏にコンテストがあるらしく、昼も部活に出る日が続いたため、自然と以前よりも一緒にいる時間が減った。




 そしてそのまま、夏休みに入る。

Aクラスは勿論、夏期講習と銘打って、夏休みに入っても2週間は午前授業がある。強制ではないと言いつつも、参加しない人はまずいない。

 例外は、コンテストの準備で参加しなかった百波くらいのものだ。




 お陰で、百波から着実に離れていっている。

 前田たちに話しかけられた日に、あのアカウントは消して、アプリもアンインストールした。もう2度とSNSはやりたくない。



 これで、平穏な生活に戻れる。

…なんて、そんな簡単にいかないことは、この半年で嫌というほど痛感している。




 変化が現れたのは、あたしにじゃない。


 百波だ。




 百波が教室にいない合間を狙って、ポツポツと、百波をよく思わない人の声が大きく膨らんでいった。



 そしてそれは、2学期になり、百波が教室に戻ったときに、最悪の形で現れた。




 どんな学校にも、大小存在し、時に黙殺されている犯罪行為。すなわち、いじめである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る