第27話 沙羅 ー 新学期

 うちの学校は中高一貫なので、編入生がいようと、高等部の入学式はない。高等部集会が30分ほどあるだけだ。


 教室に戻った後は、クラス替え後の恒例行事、自己紹介と担任からの言葉。


 驚いたことに、あたしの後ろの席の女子は外部から編入して来た子だった。編入試験は、内部のものよりも難しいはずだ。Aクラスに編入生が入ったという話は、あたしが中等部にいた3年間は少なくとも聞いたことがない。

 単にあたしが情報に疎いせいかとも思ったが、彼女が「高等部からの編入で緊張していますが、よろしくお願いします」と言った途端、クラス中がざわめいたので、特異なケースであることには違いないだろう。



 それ以外の人は、名前を知っている人と知らない人と、半々くらいだ。知っている内の何人かは、同じクラスになったことがあったはず。

 「はず」というのは、自分でも呆れたことに、名前は授業中の先生の指名等で聞いたことがあっても、顔をほとんど覚えていなかったから。あたしにとって関心があったのが教科書の中身だけだったのだと、改めて突きつけられた気分だった。



 これから3年間のあたしは、どうしたらいいんだろうか。

 以前のように必死に勉強は出来ない。かといって、今から新しく部活に入ったり、友達を作って一緒に時間を過ごしたいとも思っていない。というか、Aクラスに入った時点で、周囲は今から大学受験を見据えて勉強を始める人たちばかりだ。もしも望んだとしても、部活も友達も無謀だ。



 たった1つ確かな望みは、3年間をこのまま、ただ静かに終えることだけ。それだけだ。



 なるべく息を潜めて過ごして、この学校から抜け出して初めて、あたしは父からも解放される。抜け出した先は、進学でも就職でも何でもいい。父と母から離れられさえすれば。




 進学校といえど初日なので、オリエンテーションと春休みの課題の回収、各教科担当からの簡単な連絡があっただけで、その日は終わった。


 前後の席の人と会話を交わし、残っている人もいたが、その数も他のクラスに比べたら少ないのだろう。お陰で、あまり目立たずに速やかにクラスを出ることができた。



 たった半日、授業でさえなかったのに、あのクラスにいるだけで罪悪感で押し潰されそうだった。ある意味、3年間この罪悪感に耐え続けることが、不正をしてAクラスにいるあたしへの罰なのかもしれない。



 なんにせよ、早く学校ここから出たい。その一心で廊下を早足で突き進んでいると、



 「あ、あのっ、更木さんっ」



 息切れした声に後ろから呼び止められた。


 名前を呼ばれたので振り返らざるをえない。そこにいたのは、後ろの席の彼女だった。あたしを追いかけてきたのか、思っていたよりも離れた所から駆け寄ってくる。走り方が、少し鈍臭そうな印象である。



 「えっと…清水さん?」



 確か…そう、清水しみず百波もなみさん。編入生の。名前すらうろ覚えの彼女が、何故必死にあたしを追いかけてくるんだ。



 「あ、そう。わたし、同じクラスの清水百波です。えと、そう。更木さん、皆と違う方行くから、どうしてかなって」



 あたしの疑問を察したのか、慌てた様子で畳み掛けてくる。息が上がっているせいで、言葉が途切れ途切れだ。



 なんて、彼女の分析をしている場合ではない。彼女の言葉で、ようやく自分の失態に気がついた。



 「あー、はは、間違えた。中等部の時の癖」



 自分で自分にガッカリする。

もうあの頃みたいに勉強しないって決めたのに。無意識に、図書室に行こうとしていたなんて。



 もう視界の端には図書室の入口が見えている。あたしの目線を追って、百波も図書室の存在に気がついたみたいだ。



 「図書室?行かないの?」


 「うん、行かない。じゃあね」



 不自然にUターンして、今度こそ玄関に向って歩きだす。しかし、「じゃあ」と言って話を切ったはずだったのに、百波は早歩きするあたしの斜め後ろを必死に付いてくる。

 なんで。質問には答えたのに。


 このままだと、玄関はおろか帰り道まで付いてきそうな勢いだったので、仕方なく階段の手前で足を止めた。



 「ごめん、まだ何かあった?」


 用がないなら放っておいて、と言外に伝えたつもりだったのだが、百波には伝わらなかったのか、嬉しそうにあたしの横に並んだ。



 「あ、違うの。あのね、わたし、春休み中、ここから1駅先の市立図書館で、よく更木さんを見かけていたの」



 予想外の答えに、軽く目を見開く。

当然ながら、全く気がついていなかった。あそこへは時間を潰すためだけに行っていたので、周りもよく見ていないし、手元の本の内容すらあやふやだったから。

 でもそういえば、あまり私服を持っていないので、毎日制服で行っていたんだった。毎日、自分の編入先の制服を着た女が同じ場所に座っていたら、それは目に入ってくるのかもしれない。



 「ずっと、ここの生徒なんだな〜先輩か後輩かどっちなんだろ〜って気になってたから、まさか同じクラスだなんて、嬉しくって」


 そう言って、本当に嬉しそうに微笑む百波。どうしてそんなに嬉しいんだろう。百波にとっては数週間の出来事かもしれないが、あたしにとっては今初めて知ったことだ。中々感情が追いつかない。



 「…そうだったんだ」



 結局出てきたのは全く気の利いていない言葉だったけど、百波にとっては十分だったようだ。階段を下るあたしの横を、上機嫌で付いてくる。

 …あれ、この子を撒こうと思って足を止めたのに。結局付いてきちゃうのか。



 さっきから、どう贔屓目に見てもフレンドリーとは言えない態度を示しているのに、めげないタイプなのか、はたまたあまり周囲が見えていないタイプなのか、百波はずっと同じテンションで話しかけてくる。

 正直、やりにくい。




 「ここって、エスカレーターの人ばっかで、編入生あんまりいないでしょ?だから、教室で更木さん見たときはもう『運命!?』くらいに思えちゃって。絶対に友達になろーって決めたんだよねぇ」



 いやいやいや。

あたしは友達と呼べる人は一切いないけど、それでも「友達になる」と一方的に決めてなれるものではないことくらい知っている。せめて、同意を求めるとかないのかな。



 どちらにせよ、あたしの持ち合わせている答えは1個だけだ。



 「悪いけど、Aクラスで誰かと仲良くなりたいとか言わない方がいいよ。皆授業に必死だから」


 「えっ、でも、3年間ずっと勉強だけはキツいでしょ?やっぱり、辛いときに支えてくれる友達はいたほうがいいよ」



 返ってきた答えに、思わず頭を押さえる。そうだった、この子は含ませたニュアンスは一切感知しないんだった。こんなんで、国語の試験とか大丈夫だったのか。

 でも、つい自分を守るような言い方を選んでしまったあたしも悪い。今度こそ、はっきりと「NO」と言わなければ。



 「ごめ、」

 「あっ!!!!」



 あたしの覚悟は、1単語も言わせてもらえず挫かれた。遮ったのはもちろん百波だ。やけに慌てている。



 「そうだ、編入生は放課後視聴覚室に集合しなきゃいけないの、忘れてた!ごめんわたし行かなきゃ。また明日ね!」



 そう言って、百波は下ってきた階段を、また上がっていった。嵐のような人だ。巻き込むだけ巻き込んで、後のことには目もくれず去っていってしまった。

 というかこれ、結局百波の中では「友達」カテゴリに入れられたままなのでは。




 「なんでこんなことに……」



 誰もいなくなった廊下で、肺の中の空気が全部なくなるほどの溜息をつく。とりあえず次あったら今度こそ否定しよう。そう強く心に決めた。

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