第26話 沙羅 ー 結果

 「え…………………?」



 クラス分けの結果は、1ヶ月後に学校で貼り出された。

 ちなみに、その1週間前には高校からの編入組の合否が出ている。ほとんどが中高エスカレーターで上がる為、編入する人はほとんどいないが、その人たちの分もまとめてクラス分けが発表されるらしい。



 新学期にはまだ早いこの時期に発表されるのは、クラスのカリキュラムによって、春休み中の宿題の内容も変わってくるからだと聞いている。




 結果を見るために登校したあたしが見たのは、信じられない文字だった。





 呆然としたまま家に帰り、そのままリビングへ突入する。あの日から、母は出迎えをしなくなっていた。


 扉を開けると、真っ先に違和感が飛び込んできた。


 

 「お父さん…お帰りなさい」


 「ああ」



 こちらを横目で見ると、すぐに手元に目線を戻す。昼間に家に父がいるのは、いつぶりだろうか。まあ、あたしもずっと学校か自分の部屋にいるけど。



 「沙羅、クラスはどうだったの」


 そう話を振ってきたのは、ソファで居心地悪そうに座っている母だ。

 悪い知らせを持って帰ってくる娘を父と待つのは、大層心臓に悪かっただろう。早く結果を聞いて、とどめを刺してほしいようだ。




 あたしは、どもりながら結果を口にした。




 「え、Aクラス、だった…」


 「えっ…?あら、良かったじゃない!お父さん、聞きました?」


 「ああ」



 1人浮かれる母。

本当なら、あたしも一緒になって喜ぶはずなのに。


 『Aクラス 更木沙羅』



 この3年間、1番望んでいた文字を見たのに、あたしはちっとも喜べなかった。あるのは強烈な違和感、それだけ。



 熱でぼんやりしながらも、意外とちゃんと解けていた、なんて都合の良いことはない。だってそもそも全然埋められなかったのだから。

 Aクラスに入るには、8割近く正答しなければいけないと聞いた。あたしは7割も埋めてない。そこから更に正答した数を数えるとしたら、5割に満たないくらいだろう。諦めて自己採点はしていないから、予想ではあるが。それでも、どんな奇跡が起きても、Bクラスにすら入れないはずだ。



 帰ってくる道すがら、ずっと頭に浮かんで消せなかった考えがある。



 あたしの成績では、Aクラスには入れるはずがない。……じゃあ何で???

 あたしは、それが出来る人を、ただ1人だけ知っている。





 「お父さんが、Aクラスにしたの」



 疑問じゃない。確認だ。

それしか考えられないから。

父の答えは、淡々としたものだった。



 「理事長の娘に、それ以外の選択肢があるのか」



 つまり、肯定だ。

ふらふらと、ダイニングテーブルに座る父に近づく。



 「お父さん、ごめんなさい。あたし、熱で今回は全然駄目だったけど、でもこれからは」


 「どうでもいい」


 「え」


 「お前が何点だったか




 知らない…?

知らないのにどうして、あたしはちゃっかりAクラスにいるんだ。もしかして、もしかして。


 「最初から、テストを受ける前から、Aクラスに入るのは決まってたの…?」


 「そうだ」



 父の言葉に、足から力が抜ける。そのまま床にへたりこんでしまう。

 あたしの頭上で、母の焦った声が聞こえる。母もまさか、出来レースだったとは知らなかっただろう。知ってたら、試験の日にあそこまであたしに怒るはずがない。



 「ま、まあ、試験は置いておいて。沙羅はお父さんを目指して、本当に勉強を頑張ってるのよ」


 あの日の母の冷たい声を覚えているから、とても白々しく感じてしまうけど、それでも母は一応は沙羅の勉強に対する姿勢だけはフォローするつもりがあるらしい。


 しかし、母に対しても父の態度は変わらない。否、あたしに対しては全く感情の動きを感じなかったけど、母に対しては、溜息を吐いて呆れを隠そうともしていない。



 「何度も言っているが。お前が男を産めなかった時点で、跡継ぎについての話は終わっている。沙羅を跡継ぎにする気は一切ない。頑張っていようが関係ない」




 もしも人間が心の傷で死ぬことがあるなら。



 あたしも、母も。

この時に死んだんだろう。




 勉強をしたら、母が喜んでくれて。

勉強したら、父が認めてくれる。

あたしを後継者として、誇りに思ってくれる。




 それはあたしが母に植え付けられた、まやかしの夢。



 前提から全然違ったんだ。



 あたしが女として産まれてきた時点で、父にとってあたしはもう何の価値もなくて。


 何の価値もないなら、勉強が出来ても出来なくても、それもどうでもいいことなのだ。ただ父の顔に泥を塗らなければ。



 あたしの努力なんて、最初からなんの意味もないことだったんだ。




 気がついたら、窓の外が暗くなっていた。

リビングには、腰の抜けたままの沙羅以外誰も残っていない。父は間違いなくもう居ないだろうけど、母はどこに行ったんだろう。

 固まっていた体に、少しずつ五感が戻ってくる。固い床に、冷たい体。電気を点けていない室内は暗く、その分外の夕陽の赤さが際立って、綺麗というよりは怖かった。そして微かに、廊下の向こうから声が聞こえる。



 足に力が戻ってくるのを確認し、イスとテーブルづたいに立ち上がる。床の軋む音に気をつけながら、忍び足でリビングのドアを開けると、その声ははっきりと聞こえてきた。



 「…………っく、……っ」



 声は母の部屋から漏れ聞こえていた。



 (ああ、なんか聞き覚えあると思ったら)



 似ているんだ。1ヶ月前の、試験から帰ってきたときの沙羅に。



 母が、父にあんなことを言われていたなんて、知らなかった。あたしには「勉強したら幸せになれる」としか言わなかったから。

 あたしにかけ続けた言葉は、誰よりも母が、そう信じたかった言葉だったんだ。沙羅が勉強して、父に認められることがあれば。男の子を産めなかった母も、父に認めてもらえる、と。




 あたしは初めて、母と自分がそっくりだと気づいた。

 不毛なところが、本当にそっくり。






 それから1週間。

あたしと母はとことん似ていたのだと、痛感することになる。



 「おはよう。カフェオレ飲む?」


 「…うん、飲む。ありがとう」



 あたしと母は変わらずに、あの家で暮らしていた。何もなかった、普通の親子のように。



 今までの父の仕打ちを考えれば、いっそのこと外に男の人でも作ってしまえばいいものを。母は律儀に「母親」という役割を担い続けている。


 かくいうあたしも、今までのことが全部無駄だったと気づいてもなお、全てを捨てきれないでいる。グレることも出来ず、毎日表面上の平穏な日々をなぞっている。



 母もあたしも、結局それ以外の生き方を知らなかった。




 それでも、少しの変化は現れ始めていた。



 流石のあたしも、もう死にものぐるいで勉強なんてしたくなかった。ただ父の顔に泥を塗らないよう、Aクラスとしての春休み課題だけは機械的にこなした。元々勉強ばっかりしていたから、何も考えなくても手は動く。


 困ったのは、自分の部屋にいると、無意識に机に向かってしまうことだった。10年以上続けたルーティンは、そう簡単に解けてくれないみたいだ。



 母も、本当は母親役なんてもう放り出したかったのだろう。母としての行動をしてはいたが、あたしのことを視界に入れなくなった。仕方ないことだと思う。父も、母も、あたしも。互いにとって互いが、毒にしかならないのだから。

 それに気づいてから、春休みの残りの大半は学校近くの図書館で過ごすようにした。家の机に向かうよりは、まだマシだったので丁度良かった。





 そうしている内に、4月になる。


高等部の、そしてAクラスの始まりである。

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