第24話 嫌い

 「おーい、リック?ごめんってば」



 結局サラに昔何があったのかを知り損ねたリックは、スツールの上でしばらく不貞腐れている。

 ずっと動かず固まっているので、仕方なくリックの膝の上に置いてあるアルバムを、サラのいるベッドの方に引っ張る。昨日は夕方から眠ってしまったから、今日で時間を取り戻さなくてはいけないと思ったのだ。



 無事に父親と母親と対面するミッションは終了したものの、短時間なのと、感極まって細かいところに気を配っていない状況だったからこそ成功したというのは気づいている。



 「心ない言葉」とか、いくつか子供らしくな言い回しも使ってしまった。


 平常時でも沙羅の存在に気づかれないように、もっと練習しなくては。



 そう思って、いそいそとアルバムを開いたサラの手から、リックがアルバムをもぎり取る。




 「ちょっと、なに?」



 さっきまで一切動かなかったのに、急に動かれると怖い。不服を訴えるも、リックはサラの言葉を無視して、アルバムを閉じてしまった。



 「お嬢様のことが聞けないのは分かった。じゃあ、代わりに聞かせてくれないか」


 「………?何を?」



 椅子に座るリックは、さっきまでと変わらない格好だけど、どこか真剣だ。でも、沙羅にはそれが何故だか分からなかった。

 写真のことは、沙羅が話せる範囲で説明したと思ったのだけど。



 しかし、リックの口から出てきた言葉に、自分が全くの見当違いをしていたのだと知った。




 「お前の、サラキサラのことだ」


 「え、」



 リックの言葉に、心臓が嫌な音をたてる。

なんで、急に、そんなこと。



 「そんなこと、聞いてどうするの」



 どうにか体から絞り出した声は、彼への非難の気持ちを隠すには余裕が足りない。

 当然リックもそれに気がついているだろうに、怒りもしない。ただまっすぐに、サラではなく、を見据えている。

 沙羅は、その視線から逃げたくてたまらない。



 「お前、今朝から…いや、昨日の夜からか。焦ってるんじゃないか。早く自分をお嬢様にしなきゃって」


 「それは、そうだけど。そもそも3日でサラに近づくって約束だから、焦って当然じゃん」



 昨日の夜、という単語に思わず反応してしまいそうになるが、必死で自分を押さえ込む。昨日夢から覚めたときの、身体にまとわりつく汗を思い出して、腕をさすった。なんで今更そんなことを聞くのか、リックの意図が掴めない。

 サラの言葉を聞きながら少し眉を寄せたリックに、思わず身じろぎする。




 いけない。



サラの奥底に沈めるつもりだった「沙羅」を、暴かれる予感がする。






 「違う。お前は、自分が嫌でたまらないから、早く消し去ろうとしてるんじゃないか」






 リックの言葉は的確に、沙羅の心臓のど真ん中を貫いた。




 まさか、リックが気づくとは思わなかった。

 沙羅自身ですら見たくなかった、心の奥底にいる、醜い自分に。




 「もし、そうだとして。あたしが自分を消して、サラになる。その結果は一緒でしょ」



 サラになって初めて、こんな低い声が出た。相手を突き放すことを意図した声。

 それなのに何故か、リックは沙羅を放置しておいてくれない。沙羅がいなくなることは、リックにとっても良いことのはずなのに。


 眉間に寄った皺が、いっそのこと拒絶であればいいのに。なんで彼は、申し訳なさそうにしているのだろう。



 「すまないと、思っている」


 「え」


 「俺は、お前がお嬢様の体を乗っ取って、好き勝手に生きるんじゃないかと思ってそう言った。でも、そんなことする訳ない」



お前は、自分が嫌いなんだから。

小さく付け加えられた言葉に、やっぱり昨晩、リックに何かを見られたのだと確信する。



 昨日の夕方、嫌な夢を見た。夕食の時もどうしても引きずってしまったけど、それだけでここまで確信をもった言い方はしないだろう。


 (そういえば、あのとき、リックが起こしてくれたんだった)



 起こしてくれたとき、夢見が悪かったサラだけじゃなく、リックまで顔色が悪かった。

あのときは、具合の悪そうなサラ自身を心配してそうなっていると思っていたけど、違ったのか。

 あたしは、一体何を口走ってしまったんだろう。





もう、認めるしかないじゃないか。





あたしは、あたしのことが大嫌いだ。

 





 「そうだよ。あたしは自分が嫌い。そんな人間の、何を知りたいっていうの?」



 言葉に力はない。今まで幾度となく思っていたことだけど、言葉にしたことはなかった。向き合ったことはなかった。

 もう知り尽くした感情だと思っていたけど、声に出すことで、こんな気持ちになるなんて。



 「俺は、お前のことが嫌いじゃない」



 目の前が見えなくなっていた沙羅の視線を、ふとリックの言葉が掬い上げる。透き通るグレーの瞳が綺麗で、綺麗だから、こちらを見ないでほしい。

 サラの可愛らしい顔で、こんな醜い表情をしたくないのに。


 リックは、サラ越しに沙羅を見たまま、話を続ける。



 「最初は、お嬢様にただ近づくことが、1番良いんだと思っていた。お嬢様をなぞって生きていくことが、お嬢様の為になると。……だが、写真を撮ってほしいというお前を見て、そうじゃないと気づいた」



 「っ、あれは!ちゃんと、サラの気持ちだった」


 リックの目には、サラらしく映らなかったのだろうか。もしかして、あの2人も、サラらしくないと思ったのだろうか。

 焦って早口になる沙羅を、リックは目だけで制した。



 「そうだ。あれは間違いなく、お嬢様のお気持ちだろう。お嬢様の側にずっといた者そして、保証する」


 「じゃあ、なんで……」


 「確かにあれは、お嬢様のお気持ちそのものだった。だが、きっとお嬢様は、あんな風にちゃんと、お気持ちを伝えられなかっただろう。伝えられたとしても、もっと先のことだと思う。ああ待て、お前が何を考えてるか流石に分かるぞ。失敗した、って思ってるな?」


 「違うの?」


 「違う」



 みるみると血の気が引けていく顔に気づいて、リックが慌ててフォローを入れる。沈みそうになる肩を、手でしっかりと掴んで、顔を上げさせてくれる。

 先程まで、あれほどリックの目の前から逃げたくてたまらなかったのに、今はこの手に安心するなんて。



 「あれは紛れもなくお嬢様だった。だが、お嬢様だけでは行けなかった、一歩先を歩く、未来を歩くお嬢様だ」


 「未来を…?」


 「それが出来たのは、沙羅、お前がいたからだ。俺は、それをもっと見たい。だから、お前自身のことを知りたい」




 (あたし自身を知ることが、サラの未来に繋がるの……?)



 それは今まで、思いもしなかったことだ。

あたしの過去が、誰かの役にたつなんて。



 (でも、)


 

嫌だなあ。

ここまで認めてくれた人の信頼を、あたし今から失わなきゃいけないんだ。

折角、嫌いじゃないって言ってくれたのに。



 「話してもいいけど、後悔するかもしれないよ。あたしの嫌なとこ知ったからって、サラの中身を別のもっといい人と交換なんて出来ないんだから」



 「嫌なところかどうかは、俺が判断することだ」




 まだサラの肩にリックは手を載せたままなので、否が応でもその顔が視界に入ってくる。その表情は、沙羅に向けられた彼の表情の中で、1番柔らかい。




 そのあまりの眩しさに、そっと瞼を閉じた。

優しい眼差しを受けながらでは、彼女を引きずり出せないから。



 瞼を閉じて、自分の奥深くに潜り込む。サラの奥底に、深く深く沈めた彼女を探す。


 沙羅が思っていたよりも早く、それは見つかった。

 黒のセーラー服を纏い、自分を抱きしめる、胎児のように眠る女の子。




 沙羅あたしに、起きてもらわなくては。

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