第22話 写真撮影
沙羅の言伝を報告すると、旦那様も奥様も、飛び上がって喜んだ。比喩ではない。手にしていたスプーンは宙を舞った。ナイフじゃ無くて本当に良かった。
別段驚くことではない。娘の寝姿を見られるかもしれないというだけで、外着に着替えるような人たちだ。
「本当に、本当にサラからそう言ったんだね?」
「ああ、やっぱり着替えておいて良かったわ。サラと一緒に写真を撮れるなんて、いつぶりかしら」
浮き立つ2人を見て、脇に控えていたシュルツも、そっと目頭を押さえている。いつも穏やかな表情を崩さないようにしているシュルツにしては、珍しい。だが、誰よりも長くこの家に仕えている者として、思うところがあるのだろう。
「旦那様と奥様さえよろしければ、ご朝食を終えられた後すぐにお会いしたいそうです。いかがなさいますか」
リックの言葉に、最早食卓に着席さえしていない2人の持つ答えなんて1つしかないだろう。
「「勿論、今すぐに!!」」
◆
(ああ、今更不安に襲われてきた…)
2人をサラの部屋に案内する途中、リックは自分の心臓の音が聞こえないかドギマギしてしまう。
サラと2人を対面させるという状況が、勢いに任せてしまった自覚があるが故の後悔だ。後悔したところで、もう突き進むしかないのだが。
いつもは無駄に広いこの廊下を煩わしく思うことさえあるのに、今はやたらと短く感じてしまう。サラに会うのが待ちきれない2人が、大分早歩きなせいもある。
(ああ、着いてしまった)
よく見慣れた、両開きの大きな扉。
着いてしまったものは仕方ない。
(沙羅、頼むぞ)
いつものように、3度ノックをした。
「どうぞ」
小さく、サラの声が聞こえたのを確認し、汗の滲む手で扉を開く。
「旦那様、奥様、どうぞ」
入室を促すリックの言葉は果たして聞こえているのか、吸い込まれるようにサラの元に近づいていく2人。
「「サラ!!」」
「お父様、お母様」
2人の背中越しに見えたサラの顔に、心臓が跳ね上がる。
あの顔には、見覚えがある。
サラが生き返って、2人と再会したときの顔と一緒だ。目元は涙で潤み、眉は溢れ出る喜びを堪えようとして、ぎゅっと力が入っている。
(お嬢様の「体の記憶」、か)
あの日ほど取り乱しはしないものの、一家の再会を喜ぶ姿には、一部たりとも沙羅の存在は感じられない。
「もう体調はいいのかい」
サラと同じく目元を潤ませながら聞く旦那様に、何度も首を振って肯定する。
「心配かけてごめんなさい、お父様」
「いいんだ、いいんだ。こうして、今ここにいてくれるのだから」
その言葉を聞くと、サラは旦那様をよりキツく抱きしめた。
(あまり喋らず、ボディランゲージで済ますつもりか…賢明な判断だな)
感動的な場面を見ながら、リックの内心はやけに冷静だった。冷徹だと、責めないでほしい。沙羅が一体どうするつもりなのか、分からないままここにいるのだ。
正直、今朝見た沙羅の擬態の精度は、本当に高かった。だから今も、サラの体の記憶が先行してこのような行動をとっているのか、それとも沙羅の計算の結果なのか、リックには分からない。
それが余計に、リックの不安を煽るのだった。
(それに、ボディランゲージでは済ませられないことがある)
「ねぇサラ。私達と写真を撮ってくれるって、本当……?」
きた。これだ。
思わず顔が強張るも、幸い、アリシュテル一家はリックの方を見ていない。
「ええ。お父様とお母様と、3人で撮りたいの」
その言葉は、旦那様と奥様を一瞬にして元気にさせる魔法の言葉だ。
だが、手放しに喜ぶだけでは済まないのだ。
「それはとても嬉しいのだけれど…本当にいいの?もうちょっと、元気になってからの方がいいんじゃないかしら」
不安げな奥様の声。
…やっぱり、そうだよな。
病気になったとき、痩せこける自分を見るのが辛いと、写真を取りたくないと言ったのは、サラだ。
沙羅も、アルバムを見てそのことは予想がついてたみたいだったし、リックから説明もしてある。
本来、回復しつつあるとはいえ、まだまだ肉付きの戻っていないサラの方から、写真を取りたいと言うことは考えにくいのだ。
沙羅からこの提案を聞いたときにも、そのことは説明したのに、「任せて」の一点張りだ。
ここから沙羅がどうするのか、リックには全く予想がつかない。
リックの心配をよそにして、サラはこくりと深く頷く。そして、抱きしめていた父親から離れ、その顔を覗き込んだまま、ありえないことを口走った。
「お父様、私、カラー写真が撮りたいの」
「っ、お嬢様!?」
誰よりも先にその言葉を制したのは、リックだった。
これはいけない。どう考えても、「サラの気持ち」じゃない。サラが、そんなことを言うはずがない。なんでだ。昨日、散々説明したじゃないか。
なのに、
なのになんで、
旦那様越しに、サラと目が合う。
申し訳なさそうに、でも、穏やかにこちらを見つめている。
「リック」
沙羅を止める方法も分からぬまま、駆け寄ろうとしていたリックの足を、サラのたった一言が地面に縫い留める。
「ごめんなさい、リック、お父様。私、本当は知っていたんです。どうしてお父様が、モノクロ写真に変えたのか」
「え…?」
目を見張る旦那様と、そっと目を伏せる奥様。やはり、奥様は本当の理由に気づいていたのだ。
(でも、お嬢様も気づいていたのか…?)
そんなこと、リックは聞いたことがないし、思ったこともなかった。
戸惑う周囲をそのままに、サラの話は続く。
「ごめんなさい。言えなくて。お父様がどんなに悲しい思いをしたか、少し考えれば分かることですのに。…でも、どうしても、言えませんでしたの。そんなこと、しなくても大丈夫よ、って」
俯いて語るサラの背中を、奥様が優しく撫ぜる。労るような、寄り添う手付きだ。
「そんなこと、サラは気にしなくていいんだよ。私はサラを撮れれば何でもいい。いや、こうして家族で一緒にいられることが1番の幸せなんだ。無理に撮らなくても、いいんだよ」
「違うの!」
旦那様の、宥める言葉を、サラは強い口調で止めた。
あまりに強く言い過ぎたのか、そのままむせ返ってしまっている。奥様が、心配そうに背中をさする。堪らずリックもサラに近づき、ベッド脇に置いていたお水を差し出した。
小さな口でゆっくりと嚥下すると、サラは息を整える。
「後悔、してしまったの」
先程よりも幾分小さい声だったが、サラの容態を心配する3人には、はっきりと聞こえた。
「私が、1度意識がなくなったとき、とても怖くなったの。もうこのまま、お父様にもお母様にも、リックにも、皆に会えなくなっちゃうって。だって私、ちゃんと言えてなかったんですもの」
「…何を?」
優しい声で、奥様が先を促す。サラはそのまま言葉を紡いだ。
「私が、1度でも、髪の毛の色が違ったら、って思ってしまったのは本当よ。でも、でもね。私、この髪色が嫌いって思ったことなんて、1度もないわ」
「え…?」
「私は、お父様に似た、優しいグレーの髪の毛が大好き。お母様に似た、綺麗な黄色の瞳が大好き。お父様とお母様の、2人分の愛情が詰まっているのが分かるの。どちらも大切な色なの」
サラの瞳から、耐えきれず滴が溢れる。
「なのに私、他の人の、心ない言葉ばかり気にして、ちゃんとお父様とお母様にいえないまま、居なくなるところだったのよ。そんなの、嫌ぁ」
話すにつれて一層感情が込み上げてきたのか、最後の方は、嗚咽が混じり、意味を成さない、途切れ途切れの音になった。
それでも、そこにいる全員に伝わる声だった。
両親への愛も、深い後悔も。
全部、サラの本当の気持ちだった。
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