第21話 ピンチ再び

 『旦那様が、どうしてもお嬢様に会いたいとおっしゃってましてね…』



 サラは、昨日シュルツからそう聞いた時のリックと同じ顔で固まっている。開いた口から、魂が出ていくのではないかと心配になる。



 「あー、本当にすまない…。旦那様の溺愛っぷりを、低く見積もりすぎていた」



 リックは、眉間を指で押さえながら、今朝の旦那様の言葉を思い出す。








 シュルツが言っていたことが本当か、今朝旦那様の元に挨拶に行ったついでに確認したところ、リックが思っていた以上に厳しい現実を突きつけられた。



 「朝から来てもらってすまないね、リック。ヘレナが良くお茶会に呼ばれているお家で、明日ご令嬢たちの演奏会があったのを覚えてるかい」


 「はい。参加される予定だったのを、お嬢様のことがあって急遽お断りのご連絡を差し上げたので、よく覚えております」


 「そうそう。それなんだけど、サラも元気になってきているのなら、私とヘレナだけでも来ないかと昨日連絡があってねぇ。連絡がてら回復のお祝いも頂いてしまったし、前回の演奏会にも参加できてなかったから、やっぱり参加しようってことになったんだよ」



 ひげを撫でながら、少し困ったように話す旦那様。


 「左様でございましたか。もしかして、それで本日お嬢様にお会いになりたいと…?」


 恐る恐る確認すると、我が意を得たりと、旦那様の声がワントーン上がる。


 「そうなんだ!リックは明日か明後日には大分良くなってるんじゃないかって言ってたけど、明日は朝から準備で忙しいし、ディナーパーティーは断って帰ってくるつもりだけど、捕まってしまうかもしれない」


 旦那様の言い分は分かる。貴族は繋がりが大事だ。娘が大事だからといって、パーティーやお茶会を疎かにする訳にはいかないのだ。


 「では、明後日お会いすればよろしいのでは…」


 きっと断られると思いつつも、念の為提案してみる。断られるだろうけど。

 

 「そうなんだがね、リック。私もヘレナも、サラが回復してから、あの一瞬しか会えていないのだよ。頼む!!5分だけでもいい。サラが辛いなら、寝ている間だけでもいい。少しだけでも顔を見て安心したいんだ」


 「私からも、お願いよ、リック」



 案の定、心底辛そうな様子の旦那様と奥様。奥様に至っては、サラによく似た大きな目が潤んでいる。傍から見ればオーバーにも感じられるほどだが、リックはこの2人がどれほどサラのことを愛しているか、ちゃんと知っている。



 (生き返ってすぐの愛娘から、3日も引き離しておくのは無理があったか……)



 懇願するようにリックに手を合わせる2人に、「無理だ」とは言えない。…が、沙羅のことを思うと、両手もろてを上げてどうぞどうぞとも言えない。



 「…かしこまりました。お嬢様に、少しでもお会いできそうか、確認いたします。もしも難しそうなときは、お嬢様が寝ているときでもお許しいただけますか…?」


 「勿論だ!!!ありがとう、リック!」


 「ああ、折角サラに会えるんだもの。サラが気に入ってくれていたドレスを着ようかしら。ヴァネッサ、取りに行ってくれる?」


 「かしこまりました奥様」


 メイド長まで巻き込んで大事になってきた部屋を抜け出し、早足で朝食を取りに厨房へ向かう。



 (まずいことになったぞ……)







 「…ということがあった」



 以上、説明終わり。

今朝起きたことを、簡単にサラに話したが、意外なことに話を進めるにつれ、サラは落ち着きを取り戻していくようだった。



 「…すまない、3日は引き止めると言っていたのに」


 「いえ…お父様のことを考えれば、仕方ないと思うわ」



 未だ動揺の収まらないリックに対し、サラは冷静に受け止めている。口調はサラのものを守りつつも、顎に手を添えて、沙羅は何か考えているみたいだ。

 暫くそのまま固まっていたが、パッと顔をあげると、食器を下げるリックのことを大きな目でじっと見つめてきた。



 「リックは、どうするつもりだったの?」


 「ああ。流石に全部お断りするのは、気が引けてな。悪いが、お前には寝たフリをしてもらおうかと…」



 流石に今すぐ対面するというのは、沙羅への負担が大きいだろう。寝た状態でも、あのお2人の様子では、泣いて喜ぶだろうし。



 (かといって、本当に寝てもらう訳にはいかないな…沙羅がむき出しだった昨晩みたいになれば、流石に旦那様方に違和感を持たれてしまう)



 サラは納得したように頷いて聞いていたが、少し逡巡した後、突拍子もないことを言い出した。



 「ねぇ……ちょっとだけ、お父様たちと話しちゃだめかしら」


 「は!?」



 折角沙羅にとって都合がいいだろう提案をしているのに、何を考えているんだ。もしや、もうサラに成りきれたつもりにでもなってるのか。



 「そんなリスクを取って何になる。お前はサラお嬢様じゃないんだぞ」



 苛立ちを抑えきれず、ついぶつけるような口調で沙羅に当たってしまう。沙羅があくまでも落ち着いた様子なのが、余計に胸の中がざわつく。



 「ごめん。あたしが今、サラになりきれるなんて思ってないよ」



 そんなリックの心を知ってか知らずか、急に沙羅としての口調に戻る。静かに、ただ事実を述べる声だ。サラは、先程と変わらず真っ直ぐにリックを見たまま話を続ける。



 「でも、サラのご両親は今、サラのことを心配してくれてるんでしょ?もしかしたら…あたし、その不安を払拭できるかもしれない」


 「…寝姿だけでも、旦那様方はお喜びになると思うが」


 「うん、それはあたしもそう思う」


 「ならなんで、」


 「1個だけ」



 サラが、ベッドから身を乗り出して、リックの言葉を遮る。



 「1個だけ。あたしに分かった、サラの気持ちがあるの。あたしはそれを、サラの言葉としてちゃんと、ご両親に伝えたい。だから、お願い。5分だけでいいの。そのくらいなら、多分今のあたしでも何とかできるから」



 何を言っても聞かなそうなサラの様子に、深く溜息が出てしまう。

 ここ数日で分かっていたが、沙羅は1度決めたことは意地でもやり抜くタイプだ。自分1人で突き進む癖は本当にどうにかして欲しいが、ここまで言うのなら、沙羅の目には進むべき道がはっきりと見えているのだろう。



 「絶対、大丈夫なんだな」


 「うん。今だけでいい。を信じて」


 「………分かった」



 仕方なく首肯すると、サラは安心したように表情を弛めた。







 「それにしても、本当に大丈夫なんだろうな…?」



 サラの部屋を出たリックは、朝食のカートを厨房に戻す道中の廊下で、1人小さく呟いた。



 (まさか、写真を撮りたいと言うとは)



 沙羅のことを信じると言ったリックに対し、沙羅は、旦那様方に写真を撮りたいと伝えてくれ、と言ってきた。


 理由を聞いても「後で説明するから」の一点張りだ。沙羅を信じる、と言質をとられた手前、それ以上深く問い正せないのが歯がゆい。



 「あ、リック!」


 「クレア」


 廊下の向こうで窓を磨いているのは、サラのメイドのクレアだ。普段はしない仕事だが、今はリックがサラに付きっきりになっているせいで、手持ち無沙汰なのだろう。

 物音を立てないように、小走りで近づいてくる。



 「お嬢様、どうだった?」


 心配そうにきいてくる彼女に、これまた先程沙羅にお願いされたように答える。


 「実は、今朝になって大分体調が良くなってきたそうだ。クレアと合ったときは寝起きでまだ声が出にくかったらしいが、今は少し出るようになられている」



 「本当!?あ〜良かったぁ」



 心底嬉しそうに笑うクレア。

クレアはサラと10個も年が離れているが、誰よりもサラと一緒にいる時間が長いこともあり、主従関係を超えた、友情に近いものがあるのだろう。まあ、リックと似たようなものだ。

 クレアもリックに同族意識があるのか、他の使用人よりもリックに対する距離感が近い。



 「でも、体調が良くなってるとは思ったのよねぇ。今朝のお嬢様、ご病気になる前みたいに柔らかな表情をしてらしたから。あ、この後旦那様のところに行かなきゃいけないのよね?よかったら、食器はあたしが厨房に持ってくわ」


 「ああ。それは助かる」


 「いえいえ。お嬢様の為ですもの」



 機嫌良さそうにカートを押して去っていくクレアの背中を見ながら、クレアの言葉を頭の中で反芻する。



 流石、同族である。

リックと同じことを考えていた。




 さっきのサラの姿は、病気になる前のサラに瓜二つだ。ちょうど、アルバムに写真が残っているくらいのサラに。




 あのとき、「信じて」とサラに言われたとき。


 寝姿さえ見せたら良いものを、リスクのある沙羅の願いを認めてしまったのは、論理的思考などない、ただのリックのエゴだった。



 (見てみたい、と思ってしまった)



 あれほどの精度で、過去のサラを掴んだ沙羅が「分かった」と言ったサラの気持ちを。


 リックは、ただ、見てみたいのだ。

 

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