第20話 サラの変化
次の日のリックの目覚めは最悪だった。
というか、あまり寝付けなかった。
小さな手鏡で確認すると、案の定目の下にくまができている。我ながら極悪人みたいな面構えだ。
「こういうとき、少しだけ女性が羨ましくなるな…」
いつものように髪の毛をセットしながら、そう呟く。
髪の毛を整え、モノクルをつけようとすると、手に整髪用の油が残っていたのか、つるりと滑って落としてしまった。
「最悪だ…………」
慌てて床から拾い上げたが、落ちる途中で机にぶつかってしまったらしい。それ程目立つ傷ではないが、うっすらとガラスに線が入ってしまった。
なんだか、とても嫌な感じだ。
昨晩から、沙羅の様子と、シュルツに聞いた話が頭の中でぐるぐると回り続けている。
ああ、とても嫌な感じだ。
きっと、リックの望む答えはもらえない。そう予感しながら、リックは自分の主人のもとへ向かった。
◆
「おはよう、リック。…大丈夫?顔色が悪いようだけれど」
サラに朝食を持っていくと、開口一番にそう言われ、少し凹む。如何なるときでも表情に出さないのが、執事の鉄則であるのに。
かくいうサラは、昨晩の不調が嘘のようにケロリとしている。
リックが入室したときには、既に黄色のワンピースに着替えており、ベッドの上で昨日置いていったアルバムを眺めていた。
「ねぇリック。1つ質問してもいいかしら」
「ええどうぞ、お嬢様。……いや待て」
なんていうことだ。
凹んでいて、全く気が付かなかった、この違和感に。いや、違和感がないことへの違和感、と言えばいいのか。
「それ、お嬢様のマネか?」
「ええ、そうよ。表情も、アルバムの中のサラになるべく近づけているのだけど……もしかして、似てなかった?」
そう言って、不安げに上目遣いでみてくる顔は、紛れもなく「サラ」の表情だ。
(似てないか、だって…??)
似てる、なんてもんじゃない。
俺は、ついさっきまで、「サラ」と話していると思い込んでいた。
当の本人は、ドレッサーから見つけたらしい手鏡を持ちながら、鏡の中とアルバムとを交互に見比べている。
今更ながら、サラの目元にも、リックと同じようにくまがあることに気がついた。
(もしかして……一晩中、こうしていたのか)
ぞくり、と背筋が波打つ。
「リック?大丈夫?」
サラの心配な声に、自分がどんな顔をしていたのか悟り、正気に戻る。けれど笑顔までは作れず、声にも動揺が滲んでしまった。
「あ、ああ。大丈夫だ。その…似ていたから、驚いた」
「本当!?よかった」
心底嬉しそうに笑うその横顔も、よく見覚えがある顔だ。
なのに何で、これほど胸騒ぎがするんだ。
「なぁ。お前の質問を聞く前に、俺も1つ聞いていいか」
「ええ。なぁに?」
きょとん、と首を傾げるサラ。
リックは、ずっと思っていた疑問を口にした。
「何で、俺の前でもお嬢様のマネをするんだ。別に今はしなくても良くないか」
至極真っ当だと思うリックの問いに、サラは「なんだそんなこと」と、あっさりとした様子で答える。
「だって、時間は少ししかないでしょう?だったら、リックの前でもサラでいる練習をして、お父様たちに合う前に少しでもすり合わせをしておいた方がいいんじゃない?」
「それは……、そうだが」
沙羅の意見は理に
「サラの中から沙羅を消す」というのがどういうことなのか、分かっていたようで、目の当たりにするまでちゃんと考えられていなかった。
「沙羅」は確かに、昨日までこの部屋にいた。なのに、この短期間で沙羅の存在はもう薄れてきている。確かに、いたはずなのに。
これがリックの望んだ結果の望んだ結果なのだと思うと、本当にこれで合っているのか、怖くなったのだ。
「ねえリック、私の質問は聞いてくれないの?」
肉づきの悪い頬を膨らましてむくれるサラに、咄嗟に笑顔を取り繕う。シュルツが見たら「執事失格ですよ」と言われるような歪な笑顔だが。
「ああ、悪かった。何だ?」
「この写真」
サラが指差す先には、カラー写真があった。珍しく、人が沢山写りこんでいる。
「この人たちは誰?」
「ああ、それか」
確かに、サラ以外、他の写真には一切写っていないだろう。
「そちらはこの国の王子達だ」
「王子様…?」
「そう。貴族でも、趣味でこれほど写真を撮っていらっしゃる方は他にいないからな。昔1度だけ、お嬢様が旦那様の政務に付いてお城に行ったときに、国王様に「ぜひ撮ってほしい」と言われて撮ったのだそうだ」
写真の中のサラも、王子達と会うのは初めてだったはずだ。緊張していたのか、笑顔が他の写真より固い。
写真の中の人物を、1人1人指し示しながら説明する。
「この真ん中に写っている金髪の男の子が、第1王子のレオ様。年はお嬢様の3つ上。お嬢様とレオ様の間に立っている、レオ様より少し髪色が暗い方が、第2王子のアシェル様。で、もう一人の、薄い青色の髪の方が、第3王子のジョシュア様だ」
「この、ジョシュア様の隣の女の子は?」
サラと同じくらいの背丈の、真っ赤な髪が艶やかな少女を指差す。
「そちらは王家の方ではない。確か…そう、マクレーン侯爵家のご息女だ。マクレーン侯爵が宮中勤めだから、王子たちとは昔から仲が良いのだとか」
「へぇ……」
新たな情報を取り込もうと集中しているのか、ふと沙羅寄りの真面目な表情になる。
それを見て、リックは少しほっとしてしまった。
その後も、サラは朝食をとりながら、次々とリックに質問をしてきた。
これはどこで撮られた写真なのか、とか、この写真に写っている食べ物は何?とか、大方アルバムに関することだったが、急にサラは今着ている黄色のワンピースが好きだったのか、という脈絡のない質問まで飛んでくるので、少し疲れる。
「そのワンピースは、お嬢様が自分で選んだものだから、気に入っていたはずだ」
と言うと、
「そう、そうだよね…」
とだけ零し、また沙羅の表情で固まってしまった。
やっと質問攻めから解放されたので、休憩がてらなんとなくサラの真剣な横顔を見ていると、それに気がついたのか、サラもこっちを見やる。
「ごめんね」
「え?」
先程の質問よりも脈絡のない謝罪に、気の抜けた声が出る。しかし、サラは心底申し訳なさそうだ。
「サラになりきれてないから、気持ち悪いでしょう」
「あ、いや…」
別に、「沙羅」がむき出しになっていることへの嫌悪感で見てたわけじゃない。それどころか、ちゃんと「沙羅」が残っていることに、少し安心してさえいた。
しかし、沙羅はリックの内心など露知らず、見当違いの方向にフォローを入れてくる。
「ごめんね。サラの真似をしながらサラについて聞くなんて不格好なこと、今しかしないから。安心してね」
そう言って微笑む顔は、やっぱりどう見てもサラの表情だ。
その顔につい、リックは喉元まで出かかっていた否定の言葉を、引っ込めてしまった。
リックの言葉を真っ直ぐに受け止め、サラになろうとしている相手に、「やっぱりこのやり方は間違っている」なんて言えなかったのだ。
(せめて、本当に間違っている確信を得てから言おう。俺の勝手な思い違いで、またこの人を振り回すのは可哀想だ)
ただでさえ、沙羅にとって良くない知らせがあるのだから。
「あー、水を差すようで、本当に悪いんだが…その…1つ、謝らなければならないことがある」
歯切れの悪いリックの言葉に、不思議そうな顔をするサラ。
分かっている。「らしくない」ことくらい。それでも、先に謝ってからでないと、とてもじゃないが伝えにくい内容だった。
「その………旦那様が、やっぱりお嬢様にお会いしたいとおっしゃっているんだ」
それは、「3日」というギリギリのデッドラインすら吹き飛ばす悪魔の呪文。
(全く………恨みますからね、旦那様)
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