第16話 白黒写真
次に沙羅の意識が浮上したとき、気がついたらリックが横にいた。心配そうな顔で、サラを覗き込んでいる。
「うわ、びっくりした。なに?」
「なに?じゃなくて。もしかして、また寝ないでずっとこうしてたのか?」
リックの言葉に、嫌な予感がして時計を見る。14時ちょっと過ぎ。沙羅がアルバムを見始めてから、ゆうに1時間は過ぎていることになる。
「あー、はは。やらかした」
ちょっとだけ見て、後はリックの言葉に甘えて一旦横になろうと思っていたんだけど。
写真にある明らかな違和感が気になって、ページをめくるのが止まらなくなっていたみたいだ。
「ノックにも気づかないし、何事かと思った」
本当に困惑したのか、言葉に少し怒りが含まれているのを感じる。
「ごめん、心配かけて」
「お前の心配などしていない」
「いや、ごめん、サラの心配ってことだったんだけど…」
「…分かっている」
気まずそうに目を反らすリックに、謝らない方が良かったか、と反省する。
沙羅に向けてあんな心配そうな顔を向ける訳がないので、サラに向けた感情だったことは明白だったのだが。もしかしたら、沙羅にその顔を見られていたこと自体嫌だったのかも。
「それで。そんな熱心に、何の写真を見ていたんだ」
気まずさに耐えかねたように、リックが先に沈黙を破った。
目線は、机の上で開かれっぱなしの3つのアルバムに向かっている。結局、3つ同時進行で見ていたのだ。あることを確認するために。
1番左のアルバムを持ち上げて、表紙をリックに向ける。「1」と書いてある物だ。
「この数字って、アルバムが作られた順番で合ってる?」
「は?まあ、そうだが」
「だよね。試しに全部ざっくりと目を通してみたけど、3番のアルバムに向かうにつれてサラも大きくなってる気がするし」
気がする、と言ったのは、確信は持てなかったからだ。サラは今回以外にも何度か病気で体調を崩していたのか、2冊目の最初の方が後半よりもふっくらして体も大きく見えたり、年齢以外の印象の変化が大きくて分かりにくかったのだ。
「何が言いたいんだ?」
少し苛ついた声のリック。
そうだった。彼は回りくどい言い回しが好きじゃないんだった。
話を進めるために、左のアルバムの中身を指差す。
「これ、サラがまだ赤ちゃんの頃の写真。これも、これも、これも。全部カラーの写真」
次に、右のアルバムを指す。
「これが、1番最近のサラの写真…っていっても、今ほど痩せてないから、病気になってからは写真を嫌がったのかな」
「…………」
「で、これが本題なんだけど、この3冊目のアルバムは、どのページも全部白黒の写真」
ペラペラとページをめくる指先を、リックは黙って見つめている。
流石にもう、沙羅が何を言いたいか分かっているだろうに。
「逆じゃない?白黒からカラーになるんなら分かるけど、このアルバムの場合…………ここ」
真ん中のアルバムの、前から3分の2くらいのところを開く。
「このページからくっきりと、カラーから白黒に以降してる。なんで?」
最初は、雰囲気に合わせてカラーとモノクロを使い分けているのかと思った。日本でも、写真が好きな人がモノクロの加工をしてたのを見たことがあったから、サラの父親もそうだと思ったのだ。
でも実際アルバムを見てみると、分かりやすくターニングポイントがあったので、余計に違和感が残った。
「…なんだ、そんなことか。言っただろ。写真を撮るのは、貴族でも大金と思うほどのお金を使わないといけないんだ。あまりにもお金がかかりすぎるから、途中から少しでも費用を抑えられる白黒写真に旦那様が変えたんだよ」
「愛するサラの為に、写真にはお金の糸目をつけない、とも言ってたけど」
「………………今のはミスだ」
珍しい。
嘘を吐きました、と言わんばかりのセリフだ。リックは意地でも間違いを訂正しないタイプかと思っていた。
首の後ろをガシガシと引っかいている。
眉間には酷い皺。まさかこれほど悩ませることになろうとは思ってもいなかったので、流石に申し訳ない気分になってくる。
「ごめん、言えないことなら別に」
「いや」
サラの言葉を遮るように口を挟む。
「話す。が、これはお嬢様と旦那様と俺しか知らない話だ。絶対に他の人に漏らさないと約束しろ」
リックの淡いグレーの瞳に鋭い光がゆらめき、思わず身が竦む。リックの目つきの悪さには慣れてきたつもりだったけど、あれでも沙羅のために加減してくれていたに過ぎなかったのだと、ようやく気づいた。
声も引っ込んでしまったので、彼の気迫に負けないよう、その鋭い目を睨みながら頷いた。
「はぁ……まあ、お前がお嬢様である以上、今隠したところで時間の問題か…」
眉間の皺を指先でぐりぐり伸ばしながら、独り言のように話す。それからサラを見て、話をし始めた。
「これはな、お嬢様が言ったことから始まったんだ」
「サラが言ったこと…?」
流石の父親も、愛するサラに諫められたら、少しでも安い白黒写真に変えざるをえなかったのか。
そんなことを考えていた沙羅にとって、次にリックが口にした言葉は、全くの予想外だった。
「ある日…急に、お嬢様が、自分の髪の色が嫌だと言い始めたんだ」
「え……?」
「お嬢様は何か溜め込んでいると、声が出ないと仮病を使う。俺に、もやもやを吐き出したいときの合図みたいなものだった。その日は朝から仮病で部屋に引きこもっていて、俺はいつもと同じように蜂蜜入りの紅茶を持っていった。………驚いたよ。今まで1度も、そんなことを言ったことはなかったから」
『リック、髪の色って、急に変わったりする?』
『私、お母様の髪色が良かったなぁ…』
そう言うサラに、持ってきていたアルバムを見せようとすると、「今は見たくない」と辛そうに断られたのだという。…いっつも、嬉しそうに見ていたというのに。
「お嬢様が仮病をされた時は、必ず旦那様に報告するよう義務付けられている。…だから、そのときも、報告するしかなかった」
折角伸ばした眉間の皺が、再び深く刻まれる。
けれど、それも仕方ないと思う。赤の他人の沙羅でも、想像するだけで胸が締め付けられそうだ。
あれほどサラを愛している人に、自分と同じ髪色を否定され、その上自分が撮った写真もサラを苦しめているかもしれない、などと報告するなんて。なんて拷問だろう。
「旦那様は全て受け止めて、俺に
「ごめんなさい、あたし、踏み込むべきじゃなかった」
沙羅の心には、後悔しかない。
あたしはただ、サラの家族を幸せにしたかっただけのはずなのに。
「こればかりは、仕方ない。誤って旦那様に直接聞いてしまうよりは、よっぽどマシだろう」
諦めたように、口の端を上げるだけの笑い方をするリックに、一層沙羅の罪悪感が膨らんでいく。
リックの中でも、自分がサラの父親を傷つけたという罪悪感が
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます